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この空間の中で、不愉快にならないと言う人物がいるのなら見てみたい、とブルーは心底思った。
がたん、と発車する電車のスピードで車内が揺れる。それに合わせて人の並みも動くわけだから、窮屈で堪らない。朝の通勤ラッシュ。いわゆるその魔の時間帯に乗ってしまったのは不覚としか言いようがない。そう、不覚だったのだ。何がどうして女子高生である自分がこんなとこに乗っているのか。体のあちこちに、仕方がないとはいえ他人の体がくっつく。耐え難かった。
こんな空間の中で、不愉快にならないと言う人物がいるのなら見てみたい。もう一度思ったことを復唱する。それはきっと変態のはずで、ビンタでもしてやらなければ気がすまない。
ブルーは人混みの中で、らしくもなく拳を握りしめてじっと耐えていた。自分の魅力は、驕るでもなく正しく理解しているつもりだ。それでもって、裾の短いスカートに、女子制服。こんな女の子が満員電車に乗っていれば、痴漢してくださいと言っているようなものである。だからいつももっと早く電車に乗るようにしていた。それは正しく自分の魅力を知っているブルーの、ある意味礼儀でもあったし自己防衛だった。
本当ならば、既に校門をくぐっている時間。ブルーは早起きだった。こんなことにならないための早起きだった。

お世辞にも真面目とは言われないブルーが、一番早く教室につくほど。

(…早く着かないかしら)

らしくもなかった。寝坊だなんて。それでも充分登校時間までは余裕があるのだけれど。
こういうときに限って弟のシルバーは、生徒会がどうのと、ブルーが起きたときにはとっくに家を出てしまっていた。

大きな揺れの後、人が乗っては降り、窓際にいたはずのブルーは奥に追いやられていく。いつも早めに電車に乗るブルーは、この状況に慣れていない。あれよあれよと押し流されため息をつきたくなった。
次の駅で降りなければならないのに、これじゃ身動きが取れるかすら怪しい。

四方八方囲まれて、一瞬体が強張った。嫌な予感がする。女の勘が人一倍鋭いブルーのそれは、悲しいかな外れたことがなかった。

(…っ、もう…最悪)

するり、と恐らく男の手であろう、それが厭らしくブルーの太ももを撫で上げる。偶然当たったそれではなく、明らかな意志を持って。 そのままスカート越しに尻のほうへ移動する。緩く、まだ控えめなそれはそれ故に慣れている、とブルーは思った。こちらがどう反応するのかを見ているのだ。
痴漢なんて悪趣味で陰険な行為をする人間からしたら、派手できつめな子よりは泣き寝入りしてしまいそうなおとなしい子のほうがやり易いだろう。
そしてブルーとはいうと、完全に前者だ。
これくらいで怖じけづくようなか弱い女の子ではなかった。
では、何故探りを入れている手を好きにさせているのか。
この手の持ち主をとっくにブルーは検討付いていた。右後ろにいる、しがないサラリーマン。ついでに、さっき揺れたときに財布をすらせていただいている。この際ブルーの手ぐせの悪さは置いておくとして、これを手に揺すろうとすら考えていた。ブルーはか弱い女の子ではない。むしろたくましいほどにずる賢く人を手玉に取るのが得意な質だ。

(このまま警察につきだしても、それはそれで面白いけど)

私を目につけたのが運の付きね。

厭らしい手つきはブルーの腰まで手を回してくる。いまだ直接的なところを触らないあたり、臆病者であるに間違いない。
いいカモが出来たと、痴漢されているにも関わらずブルーは不敵に笑いそうになって、ポーカーフェイスを決め込む。おどおどしている女の子の演技をしながら打算を打つ。
ブルーとて、見知らぬ他人に触られて気持ち悪くないわけがない。むしろ気分は最悪だ。だからこそ、その怒りがこうした形で現れていた。
こうやって、自分は生きてきた。こうでもしなきゃ、生きていけなかったなんて大袈裟に言うつもりはないけれど。

また車内が大きく揺れて、すこしずつ電車がゆっくりになる。
ブルーが降りるのはこの駅だ。体を触るこの気色悪い男を連れて、財布に入っている身分証明を確認して身元を特定し脅そう―とまで考えて、突然男の力が強くなる。

「……っちょ、」

腰に手を回され、ハァハァと気持ちの悪い荒い息がブルーの耳元から聞こえてくる。これはまずい。予想外に力が強い。興奮してきたのか熱くなった手がスカートの中に侵入しようとしてきている。

気持ち悪い、
気持ち悪い!

そうでなくともブルーはここで降りなければいけない。
舌打ちを堪えて、考えた作戦を放棄した。「痴漢!」と叫べばここまで手を伸ばしているのだから完全に黒だとわかるだろう。
物事なんて、上手く行くほうが難しい。

叫ぼうと口を開けたとたん、男の手がブルーの口を覆い被さる。ブルーが叫ぼうとしたのがわかったのだろう。

同じタイミングで、電車のドアが開く。 ああ、ここで降りないといけないのに!
ならば、と近くにいる人にどうにか気づいて貰おうともがこうとした瞬間、男の手が突然離れた。
誰かに引っ張られたような不自然な離れかたに、疑問に思う間もなくブルー自身の腕も何かに掴まれて引きずられていく。人混みを掻き分けてあっという間に電車の外に出れば、外の空気が懐かしいほどだった。
誰かがブルーの腕を引っ張って、外に出してくれたのだ。どさ、という音と共に駅のホールには先ほどブルーに触っていた痴漢が転がっていた。

「……大丈夫か?」

はっ、として顔を上げると、薄い色素をしたツンツンヘアーの、ブルーと同じくらいであろう男子高校生が翡翠のような澄んだ切れ長の瞳でブルーを見つめていた。
美形、という言葉が瞬時に浮かんでくるほど整った顔をしている少年に見惚れてしまっていたが、こくりとブルーは頷き返す。ブルーも散々、容姿を褒められてきたし弟のシルバーも姉ながらキレイな顔をしていると思うのだが、彼はまた違う魅力があった。

ブルーの腕を掴んでいるのは彼で、どうやら助けてくれたのはこの目の前の彼らしい。
どこかで見たような気もするのだが、思い出せない。こんな美形を覚えていないはずがないのだけど。
あら、イケメンに助けられちゃったわ。と呑気に構えていると、掴んでいるのとは別の手を差し出された。

「………?」
「こいつを今から警察につきだす。だから、先に財布は返しておけ」
「っ、え、」
「すまないが、お前にも付き合わせることになる。だが、お前がこいつの財布を持っているのを知られるのは、まずいんじゃないか?」

どうして、という言葉は声にならずぱくぱくと口を動かすだけだった。信じられない。今まで一度だってバレたことはないのに。しかも、あんな電車の中で気づくはずもない。ヘマをしたわけでもない。
唖然としているブルーを横目に、逃げ出そうとした痴漢に少年は足蹴を食らわせて沈ませていた。あまりの華麗さに言葉も出ない。彼は意外と足癖が悪いらしい。
周りの人々も、どうやら状況を察しているのか、いきなり足蹴を披露した少年に対して何を言うでもなく通りすぎていく。

「俺は何も言わない。後々面倒くさいことになるぞ」
「…わかったわ」

黒長の財布を手渡すとそのまま痴漢に投げ捨てて、駅員を呼んでいた。
といっても、騒ぎを聞きつけた駅員がこちらに元々向かっていたのだけれど。
少年が簡潔に事情を説明し、駅員と連行される痴漢の後ろを並んで歩く。参考人と事情聴取をするのだろう。学校は間に合わないかもしれない。

「…悪かったな」
「え?」
「もっと早く助けるつもりだったんだが、お前が少し妙な動きをしていたからな。少し様子見させてもらったんだが…やはりすぐ動けばよかった」

くい、と少しだけ掴まれた腕を引っ張られる。そういえば、ずっと彼は掴んでいてくれていた。

「震えてる」
「!」

途端にかあ、とブルーの顔が赤くなる。紛れもなく羞恥だった。頭の中ではあんなに不敵に計算していても、したたかな賢しいブルーでも、ただの女の子だ。女の子なのだ。痴漢などされて、怖くないわけがなかった。
でも、怯えているなんて、弱いみたいで、怖がっていたなんて、気丈であろうとするブルーにとっては悔しくて恥ずかしいことだった。それも、今会ったばかりの初対面の少年に悟られるなんて。

(今日はついてないわね…)

寝坊から始まり、満員電車に痴漢。今思えばブルーのペースは乱されっぱなしだ。
俯いてしまったブルーに、それも察したであろう少年はそれとなく話題を変えた。

「学校は間に合わないだろうから、教師には俺が言っておく。クラス担任は?」
「……マツバ先生よ。そういえば、まだお礼言ってなかったわね。ありがと…、う」

沈んでいた気持ちを振り払って、笑顔で顔を上げたブルーは、改めて少年の顔を見て固まった。
何故今まで気付かなかったのか。同じ学校の制服を着ていることすら、言われて初めてわかった。嘘みたいにキレイな顔をしているツンツンヘアーなんて、ブルーの通う学校の中じゃ、いやそれだけじゃなくもしかしたらこの一辺の有名人だ。

「……グリーン?」
「俺のことは、知ってるみたいだな、ブルー」

オーキド・グリーン。
容姿端麗、文武両道、成績優秀。
理事長の孫で、生徒会長を勤める。
よく一緒にいるクラスメイトの幼なじみで、生徒会に所属の弟の話にもよく出てくる。
知らないわけがない。

三年間同じクラスになったこともなければ、近しい人はいるのに何故だか一度として顔を合わせたことのない有名人が。

クールで、あまり感情を表に出さないというグリーンの少しだけ悪戯っ子のような微笑みから目が離せなかった。







(131205)
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