誰もいないはずの背後から、隠しきれない狂気を含んだ気配、が、漏れだしてオレに届いた。それが何なのかを頭で理解する前に右足を引いてそのまま素早く蹴り上げる。横へと体重移動したオレの顔の目の前に、風を切る音を発した拳が通りすぎた。スローモーションに見える動きだけど、不意討ちでかわせるスピードじゃない。そもそもこのスピードがゆっくりに見えるのはオレだけで、やっと状況を把握したときには心臓が情けなくもどくどくと流れ始めていた。
もう半歩反射的に後ろに下がると、チッ、という舌打ちと共に拳が下ろされた。不機嫌そうなのはいつものことで、煙草を加えていないのは珍しいことだった。
明るく染めた前髪の間から見据える。身体中から汗が吹き出しそうだった。
「…なに、いきなりビックリしたー!」
「…………」
「ちょっと、いきなり殴りかかっておいてシカトはないでしょシカトは。気配消すためにわざわざ煙草のにおいも消してきちゃってさあ」
「……ふん」
「その亜久津くんのパンチを避けれたオレを褒めてもらいたいね。」
おどけたように見せて、内心の動揺を隠しきれただろうか。誰だってびっくりする。いや、怖いだろう。でも、それを悟られたくないのは子供らしいプライドだった。
亜久津の手が、オレに伸びた。
「っ、…!」
今度は避けるのに失敗した。動けない。
ああ、こんな至近距離で殴られるなんてイヤだったのに。
息を詰めて、きたる衝撃に耐えた。
「アホか、テメェは」
オレがテメェを殴ったこと、無ェだろ。そう言ってまだ染め直して傷んだ髪をぐしゃぐしゃにされる。
そのまま素っ気なく立ち去る亜久津を、出来もしないのに殴りかかりたくなった。
知ってたよ、亜久津。
オレがアホだってことも、お前が絶対にオレに手を上げないことも。
だって、見てみぬフリしか出来ないじゃないか。
お前はオレを見てちゃダメなんだ。
白髪の後ろ姿に無性になきなくなった。
(131205)