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僕はきっと、何ににも、なりえない。

空気が澄んだ寒空の下で、誰に言うでもなく那月が呟いた。肩を並べて歩く彼を真斗が見上げると、やはりこちらは見ておらず、ただ前を向いていた。一人言にしてはやけに大きな声で、会話にしては酷く突然だった。一言目と二言目で、まったく会話が繋がらないことがままある。そんな那月と同クラスで共にいる時間がそこそこ長い真斗は、最初は戸惑いもしたが今ではもう慣れた。春の兆し溢れる暖かな日差しが、枯れた木の葉を揺らす北風に変わっていた。それぐらいの付き合いはあった。
あまりにも抽象的な言葉で、真斗は発言を迷った。これも那月自身の台詞では珍しくはない。人と感性が違う、むしろ異次元にいるかのような那月の言葉は今でも真斗に届かないことは、実は少なくない。それでもこれまでなんとか会話になってきたのは、真斗も特別な感性を持っていて、早乙女学園にはそんな人間が集まっているからだ。真斗の同室人や先生、校長も含めて。

「真斗くんは、」

真斗が口を開くのを躊躇ったのを感じたのか否か、前を向いたまま那月は言葉の続きを紡いだ。

(やはり、さっきのは俺に話しかけていたのか)

那月との意志疎通が、自分には難しいと真斗は薄々感じていた。真斗は親しい友人たちを思い浮かべた。同じクラスの音也や、那月と同室の翔あたりはそんな弊害はまったくなさそうだった。レンも、那月と話していてるところを良く見かけるし、友千香たち女性らは真斗にはよくわからない。トキヤはどうだったか図りかねるが、真斗と同じような感覚だろう。と勝手に思っている。
だからといって嫌なわけでも不快なわけでもない。むしろ、那月といると見た目も中身も柔らかいせいか、自分に無いものを持っていて不思議と癒される。真斗はどちらかというと固く見られがちだし、実際そうなのだから、否定もしない。そんな自分も、嫌いではないのだけど。

「雪みたいです」
「雪?」
「冷たく見えるけれど、ほんとはふわっとしてて。実際触ると冷たい、よりも、ひんやりとしてる。心地いい冷たさなんです」
「そう、か。そうだろうか」

雪は嫌いじゃない。むしろ好きな部類だ。
真斗が冬生まれだということもそうだろうし、人生の起点となったあの日も、雪が降っていた。
那月の発言からして、どうやら真斗を褒めているのはわかった。悪い気分じゃない。少しだけ体温が上がったのを感じた。でも、どうしても最初の言葉に繋がらない。

「そして、なにより。降ると喜ばれます。ゆっくり舞っている雪たちはとてもキレイですよね。冷たいはずなのに、それを見ると心があったかくなる。僕、好きです」

それ、は。
雪のことか。真斗のことか。
どちらともとれる、あえてそういう風に言っているのか、真斗には決めかねていた。もどかしい。その奥まで、那月の真意までは読み取れない。踏み込んでいいのかもわからずに足踏みをする。彼のことをもっと知りたいのに、どうすればいいのか真斗はまだ答えを見出だせない。音也やレンのように人懐っこいわけでも、翔のように昔から知っているわけでもない。トキヤのように割りきるには、那月と真斗は近すぎる。
そうだな、と肯定するだけで精一杯だった。

「でも、……僕は」
「…四ノ宮?」
「僕は、何ににも、なりえない。真斗くんのようには、なれない。静かで、優しくて、でも強くて、皆を魅力する。僕はそんな真斗くんが大好きです。でも僕は、僕の好きなものを何一つ持っていない」

絶句した。といったほうが正しいくらい、真斗は開いた口が塞がらなかった。
白い息を吐きながら、暖かいはずの音色がどこか悲しげに飛び出してきた。
那月の心がそこまで強くないことくらい、真斗も知っていた。優しくて繊細な心は傷つきやすい。いつも暖かな表情が、時折憂いに顔を伏せることも知っている。それでも真斗に対して那月が弱音を吐くことはこれまで一度として無かった。それも、真斗に劣等感を抱いているようなニュアンスで。

「…驚いたな」
「僕が、こんなことを言うのは変ですか?」
「いや、違う。どうしてお前がそう思ったかはわからないが、俺は一度としてそう感じたことはないからな。それを言うなら、四ノ宮は俺にはない、たとえば柔らかさや感性、お前自身の考え方。それは誰にも真似できない唯一無二のものだろう」
「でも、僕にはそんな強さはない。みんな、僕を優しい、あったかいって言ってくれます。でも、ほんとはそんなんじゃない。僕は僕のためにそうしてるだけなんじゃないかって」

真斗の前では見せることのなかった、影が色濃くなっていく。柔和な態度が崩れて、那月の奥にある悲しみや葛藤が垣間見える。
笑顔で心に鉄壁を作る人間を、真斗はもう一人知っている。だからこそ、ガードが緩んだ瞬間を見逃さなかった。

「嫌われたくないから、離れていってほしくないから。僕はみんなに優しくしてるんだと思います。真斗くんみたいなほんとの優しさじゃ、ない」
「…では、本当の優しさとはなんだ?」
「え?」
「見返りを求めないことか?自分を犠牲にしてまで捧げることか?それなら、俺も出来ているとは言い難いな」

だがな、四ノ宮。
真斗が真っ直ぐに那月の目を見る。不安そうにこちらを見つめる那月の頬は、夕焼けに赤く染まっていた。

「俺からしてみれば、お前は一緒にいて心地いい。好きでもないやつと一緒にいては、こうは思わんからな。少なくとも、お前を好いてる奴がここにいるということだ」
「…やっぱり、真斗くんは強いなあ」

長い睫毛が影を落として、少し長めの前髪とメガネのせいで表情が読み取れなくなった。けれど、先程よりは幾分とマシになった声に、真斗は内心ほっとする。

「背筋をぴんと伸ばした真斗を見てると思うんです。前に向かってるなあって。僕は、後ろしか見てない、ちっぽけだなあって。変ですよね。僕のほうが年上で、身長もあるのに真斗くんが大きく見える」

ふふ、と小さく笑いを漏らして那月は真斗の目を見返した。困ったような、少し照れているような笑顔になっている。真斗の言葉の全てが届いたかはわからない。短い言葉だ。そう簡単に那月の不安が解れるとは思っていない。でも、確かに今この瞬間の那月の表情はきっと本物だ。

「ごめんなさい、僕、真斗くんに甘えてるね」
「そんなことはない。…お前が弱っているときに言うのもなんだが、弱音を言ってくれて嬉しい」

どこか手探りだった那月との関係に、やっと歩み寄ったような気がする。

「さっき『何ににも、なりえない。』と言っただろう。それでいいと、俺は思う。俺は俺で、お前はお前だ。誰にも何ににもなる必要はない。そのままでいい。ただ、前に進むこと、精進することは大切だ。それが一人で難しいというのなら、それこそ仲間だ。頼ってほしい」

今のようにな。
そう言えば、まだ全快というわけではないものの、いつもの柔らかい笑顔が現れた。心なしか、真斗と那月の間に通っていた風がぴたりと止んだ。

「やっぱり、真斗くんは強いなあ」

もう一度、噛み締めるように言われれば真斗も笑うほかなかった。

雪のよう、と言われたとき、ならば那月は月のようだと真斗は思った。
名前に月があるのもそうであるし、夜空に浮かび上がる儚くも絶対的な存在感。月は太陽なしでは輝けない。けれども、それは自分を照らしてくれる存在が必ず居るということだ。
今度また那月が頼ってきたときにはそう言ってやろう。
お前は、一人じゃないと。






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