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湿った空気なんて、この設備が整った部室では微塵も感じない。
微かに鳴る空気洗浄機とエアコンの適度の温度で過ごしやすいように保たれている。

それなのに。
目の前の黒髪はしっとりとしていた。肌に張り付くほど。まだ部活は始まっていないのに。氷帝レギュラージャージに身を包んではいるものの、それだけだ。そもそもHRさえ終わっていない教室がある。広い部活の中には俺と忍足しかいない。偶然ではあったが、そのせいだ。

「どないしたん跡部。積極的やなあ」
「………」
「跡部から来るなんて嬉しいやっちゃなあ。でも、今から部活…」
「本当に」
「…跡部?」
「本当にそう思ってんのかよ」

忍足の背に付いたロッカーに置いた自分の手が震えているようだ。実際は震えていない。ただ、震えそうではあるけど。
特徴的な丸眼鏡の奥は、伊達のくせに主人の表情を隠す。髪も長い。瞳を隠される。
泳ぐ目線はこちらを避ける。決して合わない。今の俺たちを表しているみたいに。

「てめえ、俺が好きなんじゃねえのかよ」
「好きに決まっとるやん」

即座に返された言葉。じゃあ、何故俺を見ない。ぎり、と奥歯を噛む。
恋人になるまでの忍足のアタックは凄まじかった。俺が落ちたほど。でも、いざ恋人になってみればどうだ。確かに前よりは連絡を取り合うし、一緒に帰るときもある。ただ、それだけだ。それだけしかない。手を繋ぐことさえ、ない。
手を繋ぐことすら難しいこともわかる。キスもセックスも。忍足が俺を好きだとして、それでも肉欲がないのは理解ができる。何故なら忍足も男で俺も男だからだ。
俺のことを好きでも欲情しないのは構わない。この俺様を捕まえておいて贅沢だし、それに俺は忍足に欲情する、けど無理強いはしたくない。俺も忍足が好きだからだ。
いつかはその気にさせるがな。

「おい、こっちを見ろ忍足」
「跡部、いきなりどしたん」
「こっちを見ろっつってんだよ。俺が好きなんだろ。それとも、俺とは目合わせられないっつーのかよ」

触りもしない。目も合わせない。こんなんで本当に恋人と呼べるのか。
俺が何よりも気に食わないのは、この視線だ。決してこちらを向かない。意図的に避けられる。そのくせ、俺が別の場所を見ているときは視線を感じる。
目を合わせないくせにじろじろと見てくる。それが、無性に腹立たしい。

俺が引かないのを悟ったのか、ゆっくりと瞳が動いて視線がかち合った。
暫く無言で見つめると小さく、あかん、と漏らして忍足が俯く。

「あかん、跡部。勘弁してくれへん」
「………っ、…ああ、そーかよ」

安堵した。忍足と目が合った瞬間、たしかに安堵した、のに。
俯く忍足からは拒絶しか伝わらない。
今更、俺が男であることを拒絶しているのか。自分の喉から出た声は情けなく震えそうだった。ああ、そうか。忍足の拒絶に、辛くなるほど、俺はお前が好きなのか。

「お前、は…」

これ以上問い詰めることも出来なくて、忍足の顔の横に置いていた手を下ろす。
俺ばっかりバカみてえじゃねえか。お前が言ったんだろ、俺が好きだと。俺の目を見て言っていたその言葉は、今はもう真実味がない。

「…俺と目も合わせらんねえ、か」

独り言のように漏れた声は明らかに傷ついた色を出していた。情けねえ。俺はいつの間にこんなに弱くなっていたのか。
離れようと後ずさると、手首を捕まれた。久しぶりの接触だった。けれど痛い程の力に、顔をしかめる。

「跡部、なんか勘違いしてへん?」
「は、勘違いもなにもねえだろ。目も合わせらんねえ奴が何言って、っ!」

背後にあったテーブルに体を乗り上げるように叩きつけられた。その衝撃に一瞬息が止まる。鈍い痛みが頭に残った。抗議しようと睨み付けるその前にひんやりとした唇を押し付けられる。

「ん、ふ、…っ」

突然のことに体が動かない。当たり前だ。どうやったらあの会話からこうなる。
ぬるりとした舌に絡めとられ、歯をなぞられる。思わず上がった声に、背後に回った忍足の腕の力が強くなる。
息が苦しくて逃れようにも忍足はびくともしない。上から押さえつけられている格好ではあまりにもこちらが不利だ。
何もかも把握出来ない。どうしてこうなったのか、酸素が足りなくて視界が滲む。

「ほんま、あかん言うたやん。…俺、我慢しとったのに」
「っあ、まて、おした…っ!」
「なあ跡部、俺が跡部んこと見られへんかった理由、知りたい?」

もがく俺を余所に、シャツを捲りあげられて肌が外部に露出する。腰を撫で付けられ、さらに俺は困惑した。
さっき拒絶したじゃねえか。この俺様を。なのにこれはなんだ。今まで、触りもしなかったくせに。
離れた唇は耳元で囁く。低い忍足の声に背筋がぞくりとする。

「跡部見とったら襲ってしまいそうやってん」

真っ直ぐ俺を見た瞳は熱に揺れていた。

「ぁ、わかった、わか…った、から、忍足!ちょっとまて、よ…っ」
「待てへん。自分が誘ったんやろ。俺、抑えられる自信無かったから見ないようにしてたんやで?」

この際何故か俺が組み敷かれていることは置いといて、今の状況は願ったり叶ったりだ。だが、こんな事をするためにあの話を振ったわけじゃない。
触られた肌がじくじくと熱い。忍足の手の体温は低い。なのにそれに触られると火傷したように熱くなる。

「はな、しが、終わってねえ、だろ!」
「何がや。もう終わっとる」
「は、じゃあなにか、てめ…んっ、俺を見ると発情しちまうから、今まで目合わせらんなかったのかよ」
「発情て…まあ、間違っとらんけど。」

何だ、それは。
まるで俺のことが好きすぎて、と言っているようなものだ。実際そうなのだろう。忍足の瞳はこれまでにないくらい愛しい者を見る目線だ。それが俺に向けられている。

「跡部を追い詰めてたんはわかってた。けど、どうしても、…なあ軽蔑する?お前見るだけで勃ってしまいそうになってん」

少しだけ泣きそうな顔で、忍足は笑った。
忍足の腕を掴むと、先ほどよりは素直に動きが止まった。まだ馬乗りにはなられてはいるが幾分か会話がしやすくなる。

「てめえ、バカじゃねーの」
「バカって言うなや」
「そうならそう言え。変な遠慮すんじゃねえよ」
「せやかて、跡部、女役絶対嫌がるやろ?」
「当たり前だ」
「やろ?でも、俺は跡部を抱きたい。嫌がられても、多分止められへん。お前が嫌がることしたくあらへんのに。」

きっと、酷くする。そう呟く言葉の語尾が消え入りそうになって聞き取るのすら苦労する。

「だからバカだっつーんだよ。俺はお前のなんだ。恋人だろーが。お前が俺を抱きたいってんなら、それぐらい受け入れてやるよ」
「跡部…」
「当然だろ。まあ、俺様がいつでも下だと思うんじゃねーぞ」

腕を掴んでいた手を首に回してこちらから口づける。さっきは早急でわからなかったが、意外と弾力のある感触がする。触れるだけの幼稚なキス。離れると照れくさそうな忍足の顔。俺が求めていたのはこれだったのかもしれない。

バカだよ、お前も、俺も。
好きすぎて相手のことを見れてなかった、なんてな。

欲しがるように、求めるように回された腕に満足して俺も同じように、抱き締めた。



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