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遠くのほうで鋭い怒声が聞こえた。
町の外れで、人も住んではいないこの場所で。
しわがれたような男の声。それに混じるか細い声。今にも消えてしまいそうな。

その声に飛び起きたユーリは、慌てて周りを見渡した。木の上で昼寝をしたあのときから随分と時間が経っていたらしい。
上を見上げれば笑ったような三日月があるだけで、その光は心もとない。
足下も満足に見えないが、感覚を頼りに木から飛び降りた。

肩につくほどの黒髪が風にふわりと舞った。

地面に着地した瞬間、また男の声が聞こえてユーリは体を硬直させた。
まるで自分に言われているかと思うくらい大きな声。なにをいっているのかはわからないが、誰かを罵っているようだった。

姿は見えないけれど、ここからそう遠くはないだろう。
所詮木で出来た剣を握りしめてユーリは声のするほうに足を向けた。

イヤな予感がする。いや、イヤな予感しかしない。

気づけばユーリは走っていた。
流れる汗は走ってるが故か、または別の理由かは幼いユーリにはわからなかった。

『いや、あああああ!ごめ、ごめんなさ、ひぐっ…』
「……っ、なにしてんだよ一体…」

はっきりと聞こえた女性の悲鳴。もうここからでも鮮明に聞こえてくる。
途切れない怒声と悲鳴にもうユーリの中では何が起こっているのかは予想がついていた。
予想がついていただけに自分に何が出来るのだろう、と葛藤しても、それでも足は止まらなかった。

"ほっておけない"

たったそれだけの理由だった。

このまま、見過ごすなんて出来なかった。吐き気がするほどの言葉の応酬。聞こえてしまったから、ユーリの耳に入ってしまったから。


視線が広がり見渡せば広場のような、何もない場所に出たことに気付く。明かりもなにもなく、闇が空間を支配しているかのような薄気味悪い場。

息を切らして肩をするユーリは、いつの間に声が聞こえなくなっていることに気がついた。

いつからだ?

確かに声はここから聞こえた。
暗い道を目を凝らしながら歩くユーリの耳に、べちゃ、とした不愉快な音がした。
それと同時に感じた、ぬるぬるとした地面の感触。

「……っな、ぁ」

ユーリの黒い瞳が見開かれる。
視線を下に降ろし微かに後ずさる。足を後ろにずらしても残る、黒い液体。

黒い液体?
いや、なにか違う気がする。
触って確認する勇気はユーリにはなかった。
だって、これは黒なんかじゃなくて真っ赤な、

「なにしてんだ、お前」
「…っ!!!」

からんと音を立てて木の剣が地面に落ちて黒い液体―闇に染まった赤い血―が跳ねる。誰かの手が、ユーリの細く幼い腕を軋む程強く掴んでいた。
後ろから伸びる腕は成人男性のもので、声は先程から嫌と言うほどユーリの耳に届いた、男の声だった。

「っ、いっ…て、うあっ」
「んだよ、ガキじゃねぇか」

誰だ、なんてそんな言葉も出せず腕を引っ張られ強引に男と向き合う形にされたものの、男の顔は見えない。

ただ、先程と変わらず三日月が笑っているだけだった。

「お嬢ちゃん、こんなとこで何してんだあ?」

体が動かない。声も出せない。息をしているかすら、自分のことなのにわからなかった。













「………っ、は、ぁ…」

びくん、と体が跳ねた衝撃で目が覚めた。風は涼しげに凪いでいるというのに、服や髪はべったりと肌に張り付いていた。
嫌な夢だ。
ここにきても尚、昔の出来事を夢に見るだなんて。
耳にこびりついて離れない男の罵声と、女の悲鳴。自分のお節介が、自分自身をも傷つけた。最初、の。
周りを見渡せばすうすうと寝息を立てる仲間たち。焚き火はとうの昔に消えていた。

ユーリが起きたことに気づいたのか、見張りをしていたラピードが隣に座る。凛々しいその表情は、いつだって荒立ったユーリの心を酷く安定させた。頭を撫でると気持ち良さそうに目を細めた。

「……"ほっとけない病"、か…。病気ね…あながち、間違っちゃいねーな」

自分が傷つくことを知って、それでも離れられない。依存しているのは、あるいは。

空を見上げても、あの日と同じように三日月が笑っているだけだった。



(121022)
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