※親不孝櫂くん





「こんにちは。……おじさん、おばさん」


照り付ける太陽を背に、顎を静かに伝う汗の雫を拭った先に映った墓を目にした三和は、やがて消え入りそうな声でそう零した。
日が暮れかける前にも関わらず、照り付ける太陽の熱はまだ続いており、蝉の鳴き声も止まることなく三和の頭上で響き続けているが、それがどこか遠くから聞こえるような錯覚に陥るのは、きっと今三和が居る場所のせいだろう。


「今年も暑いですね。……今、涼しくするんで待っててください」


そうして手桶から水を掬った柄杓を取り出し、墓石へと水を掛ける。さらさらと流れる涼水はゆっくりと墓石を濡らし、心なしか三和の周りを流れる空気が涼しくなったようにも感じる。


「花も買ってきました。これ、去年櫂が買ってたやつと同じやつですけどね」


ふっと苦笑を漏らし、濡らした墓石の花立てへと同じく持参した花を、枝を切り長さを揃えながら生けていく。そうすると、先ほどまで質素だった墓周りが華やかになったのを見て、三和は柔らかな笑みを浮かべた。
そしてそのまま香炉に火を点けた線香を供え、手を合わせる。目を閉じた先に浮かんだ櫂の両親の笑顔に、不意に胸が痛んだ。


「櫂のやつと一緒に来れなくてすみません。……実は、櫂のやつ、いつの間にか海外に行ったらしくって…。オレ、今日初めてそのこと知ったんです」


屈み、手を合わせたまま、三和は墓石へ向かってぽつりぽつりと話し出す。
三和が訪れていたのは、彼の親友である櫂トシキの両親が眠る墓だった。迎え盆と呼ばれる今日、本来であれば彼らの息子である櫂が来るべきだったのだが、今年はそれが叶うことは無かった。
櫂がこの街に帰ってきた去年から、三和は彼と連れ合ってこの墓へと訪れていた。今年も一緒に付いて行こうと思っていた三和は、夕暮れ前に櫂の自宅を訪れていた。
だが、そこには櫂の姿は無く。人の居ない部屋に向かってチャイムを鳴らしていた三和を見兼ねて声を掛けてきた彼のマンションの隣人から理由を聞かされた時には呆然としてしまった。


「またヴァンガードの修行。ってやつだとは思うんですけど、最近、櫂のやつ様子がおかしいんですよね。学校には来るんですけど、気が付けばフラっとどこかに行っちゃうし、せっかく部活まで作ったのに今じゃ顔さえも出さなくて…」


以前、アジアサーキットの大会が始まった時のように、また自身の強さを磨く為の修行に出たのだと結論付ければよかったのだが、今回ばかりは違和感を感じざるおえなかった。
それは、やはり今までの櫂の言動や行動を横で見てきた三和だからこそ気付けた違和感であり、だからこそ櫂は三和と接触することを避け、何の相談も無しに海外へ渡ったのではないかと勘繰ってしまう。


「オレ、櫂がこの間の地区予選の時からちょっとおかしいこと、気付いてたんです。でも、アイツに突っ込んで理由を問うことが出来なかった」


あの時の何か思い詰めたような顔、けれどだからと言ってその理由を吐露することが無いことを三和は充分に理解していたはずだった。なのに、今回はそれをしなかった。


「その結果がこれ、なんですかね…。迎え盆にも来ないなんて、アイツも親不孝ですよね」


それ以上は言葉を言えなかった。代わりに冗談を飛ばすように無理に声を弾ませた三和は、けれども表情の歪みを直すことは出来ず、くしゃりと歪な笑みを浮かべた。


「アイツの傍に居て支えてやれればそれでいいって思ってました。…けど、それだけじゃダメなんだって…アイツの親友として、何か大事なことを伝えて、ぶつからなきゃいけないんだって思うんです」


ぎゅっと拳を握りしめて、墓石へ誓うように目の前に突き出す。それは、まるで彼らへ約束するように力強い拳だった。


「だから、今年は無理だったけど、来年は必ず櫂と一緒にここに来ます。だから、今年は


ここで見守っていてください」
そうしてそこまで続けてから、三和は徐に立ち上がり踵を返す。その瞳には先ほどまで浮かべていた涙の後は見られなかった。
代わりに、親友が亡くしてしまった竜の炎を纏った力強い灰青の瞳が前だけを見つめていた。


―『トシキをよろしくね』


「……え?」


そんな三和の背中を押すように吹いた風に乗って、優しい声が聞こえた気がした。
けど、それはきっと気のせいではないのかもしれない。
その声に気持ちを押されるように、帰路を辿る三和の足取りは櫂と辿った夏のあの日のように軽かった。



(決意を固めたある夏の日)