※レンさんとアイチの料理教室
※料理の腕は勝手に捏造
※「だが!」の国木様に捧げます!










―『アイチ君、今から僕の家へ来て下さい。それじゃあ』


そう言ってこちらの言葉も待たずに切られた通話。心なしか、言葉の端が弾んでいたように聞こえたのは気のせいだろうか?

突拍子も無い彼の提案に、受話器を握ったまま僕はしばらく固まることになるのだった。




















「待ってましたよアイチ君。さ、こちらへ」


来訪の挨拶さえもそこそこに済ませられ、僕は彼の手に引かれるままに家の中へと引き摺られる。

視界の端に乱雑に脱ぎ捨ててしまった靴を揃えたいと思いながらも、彼の力に敵うはずなく、僕が彼に招かれた先はキッチンだった。

綺麗好きなのか、それともあまり使われていないのか、多分後者であろうと失礼なことを考えながら通されたキッチンをぐるりと見回していると、隣接しているテーブルの上には鮮やかな色彩を放つ野菜が少量纏めて置かれていた。

慣れ親しんだ、スーパーなどで使用されているビニール袋から除く野菜は、見たところ人参、玉ねぎ、じゃがいもと、なんだかカレーを連想させてしまう。

けれど、アイチを招いた張本人が発した言葉は、そのメニューとは全く真逆のものであった。


「君と、“シチュー”が作りたくて…。材料はこちらで用意したので…。なので、その、一緒に作ってくれませんか?」

「えっ!僕がレンさんと料理、ですか?!」


ぽつりと零された言葉に、つい反射的にそう言ってしまっていた。

彼の唐突な発言に驚きながらも、確かめるように彼の顔を見上げれば、彼はつい最近ようやくアイチにも見せ始めた笑顔で笑っていた。

それはまるで、幼子が母親と一緒に初めて料理を作る時のような笑顔で。


「はい。アイチ君と僕が、です。手を洗って、エプロンを着けたら始めましょう」

「あ、ちょっとレンさ……」


今までの彼の印象を崩してしまいかねないほどに嬉しそうに、彼はシンクへと歩き手を洗い始める。

アイチ自身、あまり料理が得意な方ではなかったから、本当なら断りたかったのだが、あんなに嬉しそうな顔をされてしまったら断ることなど出来なくなってしまった。

仕方ない。と、諦めるように溜息を一つ零してから、自身も準備をする為にシンクへと歩を進めた。










正直に言ってしまうと、意外。の一言に尽きる。

なぜなら、アイチは雀ヶ森レンという人物が料理の出来る人間だとは思っていなかったからだ。

FF当主として五百人の頂点に立ち、大企業の本社かと見間違えるほどの大きなビルを構える彼のことだ、きっと指を一つ鳴らすだけでホテルや高級レストランで出されるような料理が用意され、それを毎日食べているのだとばかり思っていたからだ。(余談だが、実は櫂に対してもアイチは同じことを思っている)

つまり、とても自炊をするような人間には見えなかったということだけれど。

黒いエプロンを身に着け、手慣れたように腕の周りの衣服を捲し上げ野菜を順に刻んでいく様を盗み見ながら、アイチはそんなことばかり考えていた。


「さ、野菜もお肉も切り終わりましたから、あとはルーを入れて少し煮込めば完成です」


とぷり、とシチューのルーを鍋へ沈め、エプロンを外してテーブルに備え付けられている椅子に座りながらレンは言った。

そんな彼に倣うように、アイチも着けていたエプロンを外し彼に向かい合うようにして椅子に腰を下ろした。

しん、と部屋の中が静まり、蓋をした鍋からコトコトと煮込む音だけが響く。


「今日は、ありがとうございます」


そんな中、言葉を紡いだのはレンの方だった。

どうしようかと視線を彷徨わせていたアイチが、その声に反応して顔をレンの方へ向ければ、レンは先ほどの快活そうな笑顔とは違う、柔らかく微笑みながらこちらを見ていた。

だが、なぜ自身が彼から感謝の言葉をもらうのか理解出来ていなかったアイチだが、やがてそれが料理のことについてだということを悟ると、とんでもないと言外に伝えるように首を左右に強く振った。


「そんな…。こっちこそごめんなさい。あの、あんまり役に立てなくて…」

「そんなことないですよ。慣れない手付きのアイチ君も可愛かったですから」

「かわ…っ?! ……そ、そんなことより、どうして今日はいきなり料理をしようだなんて言ったんですか?」


けれどレンはそんなアイチの言葉を謙遜だと受け取ったのか、はたまた照れ隠しだと受け取ったのか全くもって意に介さず、さらにはアイチのような男に使うべきでは無い言葉まで掛けてくる始末。

だが、アイチは未だ、目の前の雀ヶ森レンという人物の扱い方に長けているわけではないので、そんな彼の言葉を遮るようにして、彼にこの家に連れ込まれた時から気になっていたことを苦し紛れに問い掛けてみた。

すると、レンはそのことを問われるとは思っていなかったのか、しばし口をまごつかせていたかと思うと、今度は言い辛そうにゆっくりと言葉を発した。


「それは、その…、羨ましくなったんです…」

「羨ましい…?」

「君が、アイチ君が櫂やQ4、加えてチームカエサルと合宿をしたと、前に言っていたでしょう?」

「あ……」


レンと和解した全国大会決勝戦後、今日と同じように彼にここへ招かれてこことは違った部屋で会話をした時に、確かそんな話をした気がすると、アイチは今さらになって思い出した。


「正直、僕はそれに嫉妬しました」

「………え?」


そして、またも落とされる彼の突拍子もない言葉は、アイチの思考を停止させるのに十分すぎる破壊力を持っていた。


「僕だってアイチ君と仲良くしたいのに、肝心のアイチ君は櫂のことばっかりです」

「そ、そうですか…?」

「そうです!だからっ!僕も、君と何かしたくて…!だからっ!」


アイチ自身にとって櫂は憧れの存在であるから、話の内容も必然的に櫂のことが多くなってしまっていることを自覚はしているが、他人にここまで強調されてしまうと、恥ずかしくなってしまう。

自分から話題を振っているのだが、どうやらこの話題はレンにとっては地雷らしい。と、判断したアイチはなんとかまた彼の気を逸らそうとするのだが、それよりも前に椅子から立ち上がったレンによって両手を掴まれてしまい、それは叶わなかった。

今度は一体なんなんだと、そろそろ展開の速さに白旗を上げそうになった時、レンが力強く言った。


「僕と、友達になって下さい!僕は、アイチ君が好きです!」


と。


レンのその言葉と同時に、キッチンの片隅で煮込んでいたシチューの鍋が、コトコトと上蓋を押し上げるようにして音を奏でる。
それは、まるで列車の発車を知らせる汽笛の様に高らかにも、小さな胸の鼓動にも聞こえて、まるで、今この瞬間に二人の関係が新しい形となって始まったことを知らせるようにも感じられた。

きっとこの後、レンとアイチはこのシチューを食べながらさらに親交を深めていくのだろう。

そうしていつか、二人が友達としてではなく、恋人として、こうして料理する機会が増えていく。

しかし、それが実現するのはまだ先、否、もうすぐの未来の話なのかもしれない。



(君と僕が作る未来への絆)



「ところで、どうしてカレーじゃなくてシチューなんですか?」

「カレーは櫂が作っているから作りたくなかっただけです」