※ショタレンさんとアイチ





『僕はただ、三人で居られればそれでよかった』


ぱちり。子供の高く、それでいて悲しみが溢れる低い声に反応し、僕は目を開ける。

ゆっくりと横たえていた身体を起こし、キョロキョロと辺りを見回してみると、どうやらここが夢の中であるということが認識できた。


「(夢の中って認識できるのって、かなり稀なことだって、どこかで聞いた気がするな…)」


なんて、覚醒したばかりの身体で周辺を歩き回りながら、僕はぼんやりと考える。

自分の置かれている状況が夢の中だと自覚したせいか、今この瞬間を楽しんでいる僕は内心浮かれながら歩を進める。

そうしてしばらくすると、今まで何もなかったはずの風景が形を成し、いつしかそれはどこかの学校の部室棟を思わせる建物の前に僕は立っていた。


「どこかの中学校かな…?でも、こんな学校、近くにあるの見たことないし…」


ここが夢の中であるのは十分に理解しているはずなのに、なぜだか目の前の建物が現実にも存在しているもののように思えて、僕は必死になってその違和感の正体を突き止めようと思考を巡らす。

とりあえず、自身が通っている後江中学校の近くの中学校に該当するような場所ではないことは確認できた。

ならきっと、これは自身の住む地域とは離れた場所にある学校なのだろう。

そこまで考えて、次に溢れてきたのは好奇心だった。

どうせ夢の中なら自身の他に誰も居ないはずだと決めつけて、僕は高まる鼓動を抑えながら、目の前のドアノブへ手を掛け、引いた。


「おや?誰ですか、君は」

「!なん…でっ!」


そうして開けた僕の視界に一番に飛び込んできたのは鮮烈なまでに鮮やかな真紅。

それは、目の前のひどく端正な顔立ちの少年の髪の毛だと認識するのに、そう時間はかからなかった。

そして、次に認識できたのが、その少年の存在。

先ほどまで人が居ないと決めつけていたアイチにとって、イレギュラーとも言ってもいいその少年の存在は、悪い意味で心臓を飛び上がらせた。

しかし、そんなアイチの勝手な思考など目の前の少年が知る由もなく、少年は突然現れたアイチに至極ありきたりな、初対面の人間にかける言葉を投げかけた。

問いかける目はひどく鋭く、まるで始めからアイチを拒絶するかのように冷たい色を含んでいた。

瞬時に警戒されていると悟ったアイチは、けれどその少年の敵意を削ぐように、持ち前のおっとりとした声音で優しく話しかけることにした。


「えっと、……僕は先導アイチ…。初めて来たところだから、その……どんな建物なのか気になって探検してたらここに……」

「そうですか……」

「………」

「………」


会話が不自然に途切れ、気まずい沈黙が二人の間に流れる。

けれど、そんな風に思っているのはどうやらアイチだけのようだった。

アイチの目の前の少年は少しの会話を交わしただけで、すでにアイチへの興味が失せたかのように、それまでアイチの目には入らなかったが、手にしたカードへと視線を落としていた。


「あ……それ、ヴァンガード…」

「おや、君もヴァンガードファイターなんですか?」

「うん。一応…ね」

「そんなに強くなさそうですね」

「う……」


まさかアイチが知っているとは思わなかったのだろう。

少年はアイチが零した呟きを拾い、再び視線をアイチへ向ける。

その時に同時に掛けられた言葉に濁すように曖昧な返答を返せば、彼は容赦なく、ばっさりとアイチへ弱いと言外に告げる。

確かにその通りなわけだけれども、初対面の人間にここまで言われるとはアイチも思っていなかったので、思わず言葉に詰まる。

初対面ということもあるが、どうにも距離感の掴めない目の前の少年にどう言葉を続ければいいのか分からずに俯きがちに口をまごつかせていると、パサ…と聞き慣れたカード同士の擦れる音が耳に届いた。

その音に顔を上げれば、意外にも少年はアイチを凝視していて、アイチはびくりと体を揺らす。


「でもね、アイチ君。ファイトは、楽しいですか?」

「へ?」

「弱い君は、たとえ負け続けていても、ファイトが楽しいと思えていますか?」

「あ………」


それは、小さな呟きだった。

二人きりでなくては聞こえないような、小さな問い。

もちろん、いきなりだったこともありアイチは再度問い直す。すると、今度は意外にもはっきりとした声音で、少年は問い返す。

その内容は、つい最近のアイチが捨て去っていた感情だった。

弱い自分が嫌で、認めてもらいたくて、“勝利”に執着していたアイチが、あの力、“PSYクオリア”に溺れる前まで確かに持っていた感情。

そして、そんな自分を救ってくれた櫂が再び教えてくれた感情でもあった。

そこまで思い出してから、アイチは少年を見遣る。

少年は、何かを待つかのように未だアイチを見つめ続けていた。

そんな少年の希望に添えるか分からなかったが、アイチは自身の素直な気持ちを伝えようと、ゆっくりと口を開いた。


「楽しいよ。負けても。僕は、勝ち負けが全てじゃない、誰かと同じ時間を同じ物で共有する。自分を信じて共に居てくれる仲間と一緒に戦う。それだけで、楽しいと思えるから」

「そう…ですか」

「君は、楽しいと思えないの?」

「なぜ、なんでしょうね…?前までは、確かに楽しかったはずでした。悔しいと思っても、それでも僕は、楽しいと思えていたんです」


アイチの答えに、少年は納得しつつも腑に落ちないように、言葉端を濁す。

その反応に今度はアイチが問い掛ければ、少年はどこか遠くを見つめるように、視線を彷徨わせながら言葉を紡ぐ。

その口から零れる言葉は、その年の少年が出すものではないほどに哀愁を漂わせていた。


「僕は、三人で居られれば……、仲間と毎日楽しくファイト出来ればそれで良かった。勝っても負けても、三人で笑いあえていれば、それで、よかったんです。…でも、」

「…でも?」

「現実は、そう上手くいかないものなんです。次第に仲間は強さを求めるようになりました。もちろん、そこには楽しさもまだありました。でも、強さを求めるあまり、“勝利”に執着するようになってから、僕達三人は次第にバラバラになっていって…」

「………」

「気付けば、三人はもう同じ方向を見ていなかった。あんなに楽しかった思い出は、辛さをより一層強くするだけでした」


声が震えていると気付いたのはいつだっただろうか、窺うように少年を見れば、その紅の双眸には涙が溢れ、頬を伝って床へ染みを作っていた。

しゃくりあげることもせず、淡々と、けれど悲痛に話し続ける少年が、少しばかり以前の自分と重なった気がして、アイチは締まる胸を宥めるように優しく撫でる。


「だから、僕は捨てたんです。その、思い出を」

「っ!」

「過去に縋り、置いて行かれたことを嘆くより、ならいっそと、僕は僕を捨てた彼を憎み、彼を完膚なきまでに叩きのめすことにしたんです。この、“PSYクオリア”でね!」

「!君は……レン、さん!」

「おや、僕のことを知っていたんですね、アイチ君」


さっきまでのあの哀しい表情がまるで嘘のように、少年、幼い“雀ヶ森レン”はアイチへひどく歪んだ笑みを向け、歩を進める。

瞳に虹色の妖しい虹彩を湛えたレンは、やがてアイチの目の前にまで歩み寄り、互いの唇同士が触れ合いそうな場所で、妖艶に微笑んだ。


「ねえ、イメージして下さい。この力に溺れる、人々の姿を。そして、“櫂”の姿を…っ!」

「っ!レン、さ……っ!」

「誰にも僕を、そしてこの力を止めることは出来ない。僕は、いずれは頂点に立ち、全てを手中に収めるでしょう!その時まで、会える日を楽しみにしていますよ、アイチ君」

「くっ……」


その虹彩の放つ光に共鳴する様に、アイチの瞳もまた、同じ虹色の虹彩をその双眸に広げる。

そうしてその力に呑まれるように、アイチはゆっくりと意識を失っていった。










「レンさん……」


今度こそ本当に現実世界で覚醒したアイチは、夢に出てきた少年、“雀ヶ森レン”のことを考えていた。

もしあの夢でレンが語っていたことが本当なのだとしたら、ひどく悲しい擦れ違いが生んだ悲劇に胸が痛む。

もっと、あの時に何かできたことがあったのではないだろうか?

しかし、過ぎたことを思っていても仕方ない。

もうあの二人は修正できないところまで関係が悪化しているのだから。

あの櫂が負けた以上、絶対的な力を持つレンを止められるのは、同じ力を持ったアイチしかいないのだから。


「僕の全部を、レンさんにぶつけるんだ。レンさんが、大切なものを全て失ってしまう前に。だから、」


そこで言葉を切って、アイチは机の上に整理し置いておいたカードデッキを優しく撫でてから決意を固めた強い口調で言葉を放つ。


「僕に、力を貸してほしい」


祈るように、誓いを立てるように、僕はそっと目を閉じる。

結末なんて誰にも分からない。

なら、常に最善ととれる道へ、僕は大切な人を導くよ。



(夢が本当であるならば、僕は貴方を救いたい)



僕にとっては、レンさんも大切な人の一人だから。