※ショタアイチとレンさん






『立ち上がれ!ぼくの分身!』


甲高い子供特有の声が、ふっと覚醒したばかりのレンの耳へ届く。

その声の主を探すのと同時に状況を把握しようと視線を動かせば、どうやらここが夢の中であるようだと気付いた。

夢の中だという意識があるということは稀であるのだが、自身がすでに未知の能力を身につけているレンにとっては、あまり特筆すべき問題点でもなかった。

歩いた気がしない状態の足を進めれば、いつの間にかレンの目の前には小さな、けれども遊具の設備がしっかりとした公園が姿を現した。

陽はまだ高い。しかし、そこには全くと言っていいほどに人の姿はなく、それがやはりここは夢の中であるということをレンの頭に現実としてつきつけていた。

人が居ないことで一気に寂しさを纏う公園の中を、それでも無性に気になったレンがさらに歩を進めると、目の前に設置されたベンチに腰掛けた一人の少年を見つけた。


「(さきほどの声の主、でしょうね…)」


誰に確認を取るわけでもない、ここには実質自分と目の前の子供しかいないのだと分かり切っていたレンは、声に出さずにそう結論付けた。

レンの性格上、本来ならその時点ですでに今の状況に飽きてしまっていてもおかしくないはずだった。

しかし、そんなレンの興味を引いたのは、少年が手に持っていたカードが、普段自身が使い込んでいるものと同じものだったから、声を掛けてみたくなったのだ。


「こんにちは」

「!」


気付けばそう口に出していた。

普段のレンを知る者が聞いたら驚くくらいの優しい声音で、レンは目の前の少年へ挨拶をしたのだ。

けれど、少年は自分の他に人が居ることに気付いていなかったのだろう。

それまで笑みを浮かべながらカードを見つめていた瞳は、けれども少年にとってはいきなり現れた大人の姿に体を大きく震わせ、瞳に涙を溜めるほどにまで驚いていた。

レンは内心面倒くさいと思いながらも、これまた普段の高圧的な態度を潜め、なるべく優しく、怖がらせないように溢れんばかりに涙を溜めた少年の頬を撫でる。


「驚かせてしまいましたね…。大丈夫ですよ、僕は怖い人じゃないですから」

「…う、……うん」

「隣、座ってもいいですか?」

「……ど、どうぞ…」

「ありがとうございます」


柔らかな頬を撫でながらあやすようにそう言えば、やっとレンへの警戒を解いた少年がおどおどとした様子で頷く。

ひとまず彼への信頼を得たところで、レンはそんな少年の横へ隣り合うようにしてベンチに腰を下した。

そんなに大きなベンチではなかったそれは、二人が座るにも若干長さが足りず、初対面の少年とレンは必要以上に近い距離に座ることを余儀なくされた。


「君は、ヴァンガードが好きなんですか?」

「えっ……」

「そのカード。ヴァンガードのカードでしょう?君もファイターなんですか?」

「ファイター?」

「………もしかして、何も知らないでカードを集めているんですか?」

「!ご、ごめんなさい……っ」


その状態でしばらく無言のままだった二人の間に、先に言葉を落としたのはレンの方だった。

といっても、レンが彼の隣へ腰掛けたのも、ほとんどの理由が少年の持っているカードのことについて聞きたかっただけだったのだが。

問いかけられた少年は、意外なことにレンが使い込み、今世界中のカード人口の大半を占めるカードゲーム、“ヴァンガード”のことを知らないようだった。

レンの問いかけに対する答えにはほとんど疑問形で返ってくるのが何よりの証拠だ。

とんだ肩透かしを食らったと呆れを滲ませれば、自分が責められていると感じたのだろう。少年はまたしてもその瞳に涙を溜めながらレンに向かって謝罪した。


「謝らないで下さい。でも、どうして知らないカードゲームのカードを持ってるんですか?」


今にも泣きだしそうな少年の背をさすりながら、一度興味を持ってしまったら止まらない言葉攻めで尚も問いを投げ続ける。

レンのその問いかけを聞いた途端、彼はハッと、今まで下げていた眉と視線を上げ、興奮したように矢継ぎ早に言葉を紡ぎだした。


「貰ったから!カイ君に!」

「“カイ”に…!?」

「いつも苛められてボロボロだったぼくに、カイ君がね…『強くなった自分をイメージしろっ!』って言ってくれたカードなんだ!」

「……そのカード、もしかして<ブラスター・ブレード>…ですか?」

「!うん、そうだよ!お兄ちゃんよく分かったね!」


少年が紡ぎだした言葉の中に、レンがよく知る、いや、むしろ執着していると言ってもいい相手と同じ名前が出たことで、レンは虚を突かれたように目を見張った。

レンが少年の話に耳を傾けながら、視線を彼の体全体へ巡らせれば、なぜだろう、その少年さえも自身の知る人間に見えてきたような気がして、レンは最後の核心を突くように、少年がそのカイという人物からもらったであろうカードの名前を挙げる。

すると、今度は少年がビックリしたような顔で今まで伏せていたカードをレンの眼前へ差し出した。

そこにはレンの予想通り、惑星クレイと呼ばれる世界の《ユナイテッド・サンクチュアリ》で聖騎士団<ロイヤルパラディン>に所属している白き鎧の勇気の剣士、<ブラスター・ブレード>がきらりと輝きを放っていた。


「ぼくね、いつかカイ君とファイトするのが夢なんだ!」

「そうなんですか…」

「カイ君がくれたブラスター・ブレードと一緒に戦うのが楽しみで、おこづかいで少しずつカードを買ってるんだよ」

「……なら、そこに書かれている<ロイヤルパラディン>と書かれているカードを中心に集めてみてごらん」

「<ロイヤルパラディン>…?」

「そのブラスター・ブレードが所属、……居るチームのことです。バラバラのチーム同士じゃあ、その“カイ君”には勝てませんよ?」

「?……お兄ちゃん、カイ君のこと知ってるの?」

「もちろん。彼はとっても強いですよ。だから、君も素直に僕のアドバイスを聞きなさい。いいかい?」

「うん!ありがとう、お兄ちゃん!」


これから四年後に確実に叶う夢を語る少年に、なぜか昔の自分が重なった。

あの櫂と新城テツ、そして僕の三人が純粋にファイトを楽しんでいたあの、もう戻ることはないであろう日々を。


「ねぇ、お兄ちゃん」

「…なんですか?」

「ヴァンガードって、楽しいね!」

「……っ!」


昔の想い出に胸が締め付けられそうになり、歪めた表情を、けれど少年は気付くことなくレンに声を掛ける。

その言葉に反応したレンに、少年は今までで一番の笑顔を向け、すでにレンが忘れ去っている感情を言葉にした。

ハッと、その瞬間レンの呼吸が止まった。

まるで、あの日を境に消え去ってしまった感情が戻ってきたような感覚に襲われる。

レンがあの力に溺れるまで、心の中で育んでいた、楽しいという感情。

勝敗など関係ない。みんなと一緒に穏やかな時間を過ごすことが、当時幼いレンが一番大切にしていたものだった。

なぜ、忘れてしまったのだろうか?

思い出せない、いや、これは、心の底では思い出したくないと拒否しているのだろうか。

瞬間、視界がぐらつく。頭の底でノイズ音が響く。まるで、思い出すことを阻止するように。

それと同時に歪む視界。どうやら、タイムアップのようだとひどく客観的にレンは捉えていた。


「お兄ちゃん、もし、また会うことがあったら、その時は僕とファイトしてくれる?」


その声に少年、“先導アイチ”の方へ視線を向ければ、彼の姿もまた歪み始め、体の端から光の粒子となって消滅を始めていた。

そして、またも確実に叶う願いを口にするアイチに、レンはようやくいつものように不遜な笑みを浮かべて高圧的に言葉を返す。


「ええ、その時は君を完膚なきまでに潰してあげますよ。先導アイチ君…」


その言葉を最後に、レンの意識は遠のいていった。




















「……」


今度こそ本当に目を覚まし、レンは横たえていた体を起き上がらせる。

低血圧気味なせいで揺れる頭を押さえながら、今しがた夢に見ていた内容を思い出そうとするが、夢で交わした会話の断片すら拾うことができないほど、綺麗さっぱりと忘れてしまっていた。


「何か…“大事なこと”を思い出した気がするんですけど…ね…」


思い出せないことを少し残念に、けれど次の瞬間には夢でのことなど思考の中から追いやって、レンは自身のベッドの近くに置いておいたカードデッキを手に取り見下ろす。


「さて、今日は誰が勝利の為の切り札になるんだい?」


レンが“大切なもの”を捨てて選んだ強さの象徴、PSYクオリアを使いカードに描かれた戦士達へ問いかける。

黒い笑みを浮かべ、不敵に微笑む騎士達から与えられるのは、勝利のイメージと、相手がクレイの大地に倒れ伏す姿。

負けた相手を侮蔑するように、その頭を踏みつけ、恍惚とした顔で勝利に酔いしれる自身の姿まで容易に想像できる。

絶対的な力を前に、絶望する“先導アイチ”の姿さえも。


「アイチ君。君は櫂のようにあっさりと負けないで下さいね」


ゆらり。不気味なまでに深い、レンの真紅の瞳の中に、力の所有を示す虹彩が広がる。


「君は、僕が徹底的に屈服させ、再び力に溺れさせてから、ゆっくりと可愛がってあげますから……ね」



(夢の中の出来事が、まるで嘘のよう)



さあ、僕を愉しませて下さいね?