『これ、よかったらゴールド君にあげてちょうだい』


そう言って母親に渡されたのは、茶色い小さな紙袋だった。
ずしりと重いその中身を覗けば、白い蓋が嵌められた透明な瓶に、暗赤色の物体が詰められていた。


『中はいちごジャムよ。ちょっと作りすぎちゃったから、ゴールド君にお裾分けしようと思って』


お隣のグリーン君の家にはもう渡してあるから。
そう言っている母親の言葉はもうすでに俺の頭の中までには入って来ず、ただ耳をすり抜けていった。

素人が作ったものだから、あまり日持ちがしない。
そう言われて母親に家を追い出された俺は、紙袋を広げたまましばらく玄関前でぽかんとしてしまったが、これ以上ここにいても埒が明かないので、俺は渡してくれと頼まれた相手を呼び出す為に、つい最近バージョンアップしたばかりのポケギアを取り出しコールした。


PiPiPi… Pi


『はい、もしもし…』

「よぉゴールド。今からお前のとこ行ってもいいか?」


コールしてすぐに出た電話先の相手の声に、自然と頬が緩む気がして俺は音に出さずにくすりと笑った。
用件を端的に述べただけだったが、俺は彼に電話するときはいつもこんな感じなので、彼はなんの小言も漏らさずに「いいですよ」と答えてくれた。


『でも、オレ家に居ないんですよ』

「だったらその場所まで俺が行くから。で、どこに居るんだ?』

『シロガネ山の麓のポケモンセンターです』

「そっか、なら今から行くから待っててくれよ」

『分りました。着いたら教えて下さいね』


ピッとあっさり切られてしまった電話を少し寂しく思いながら、俺はシロガネ山の麓へ向かって歩き出した。




















「レッドさん!」

「よ、遅くなってごめんな?」

「気にしないで下さい。待ってる間、ボックスの整理してましたから」

「あ、俺もそろそろ整理しないと!」

「またオーキド博士に怒られますよ?」

「ま、なんとかなるって!」

「レッドさんらしいですね…」


歩いて向かったからか、思った以上に時間が経っていたのでポケモンセンターに入ってすぐに見つけた彼に申し訳なさを前面に押し出して詫びるが、あまり気にしていなかったようだ。
にこりと笑って暇を潰していたと言ってくれた彼が言った内容に、ふと自身の放置されたボックスを思い出す。

整理と言うものがとことん苦手な俺は、もちろん預けたポケモンが入っているボックスの整理も苦手だ。
もちろん、それを見かねたオーキド博士やマサキから何度も苦言を呈されている。だが、苦手なものは苦手なのだ。

シロガネ山から下山したつい最近は、特にそれに拍車がかかっている気がしているが、それはこの際は無視だ。

久しぶりにあった彼は、やっぱりいつもと変わらぬ笑顔で俺を迎えてくれた。
その笑顔が俺だけに向けられた特別な笑顔だと思うと、嬉しさも倍になった気がしている。

特別。そう、彼が俺に向ける笑顔は他の誰も手にすることのできない特別なもの。
「恋人へ向ける笑顔」なのだ。

告白して付き合い始めて日は浅いが、この関係はそれなりに上手くいっていると思っている。
この自信は、多分俺が彼にベタ惚れだからかもしれない。


「それで、用事ってなんですか?」

「!あ、ああ…実はさ、……これ」

「?……これ、中身はなんですか?」

「いちごジャムだってさ。俺の母さんが作りすぎたみたいでさ、お前にあげてくれって」


ふと意識を戻した彼の問い掛けに応えながら、リュックから取り出した紙袋を彼の掌へ置く。
中身を聞かれたのでそう応えれば、彼は中から意外に小さな小瓶を取り出して光に翳した。

一緒になって下から覗き込んだ瓶の中では、粒が残ったままのいちごの果肉がごろごろと転がっていた。
光に反射して透けてはいたが、ワインレッドの輝きがすごくきれいだと思った。


「とっても美味しそうですね」

「そっか?」

「家に帰ったらさっそく食べてみますね。レッドさんのお母さんには『ありがとうございました』って伝えて下さい」

「分かった」

「本当、ありがとうございます」


そう言ってふわりと笑ったゴールドの笑顔に、俺は胸がきゅうっと締め付けられた気がした。
やっぱり、俺は心底コイツに惚れてるんだな。なんて、改めてそう思った。


「ゴールド」

「はい?………ん」


それと同時に、なんだか無性に口角の上がったその唇に触れたくて、俺は彼の名前を呼んで振り返った彼の唇へと自分のソレをそっと重ねた。
重なった唇からは、食べたはずのないいちごの甘酸っぱい味がした気がした。

彼の手の中に納まった瓶の中のいちごが、重力に従ってごろりと転がっていく。
それはまるで今の俺の鼓動の様に思えた気がした。



(いちごのように甘酸っぱくて)



この鼓動の音は、君に届いただろうか。