「………ん。…あ、」
ふ、と急に意識が浮上し、灯りの点いた部屋の照明が瞼を焼いた。
それを避けるように身体を返し再度眠りの世界へ旅立とうとした時に、漸く自身が横になっているベッドが自分の部屋のものではないということに気付き、慌てて身体を起こした。
「ここ、は……」
自身が横になっていたベッドには緑色を基調としたベッドで、同じく緑を基調とした部屋にぽつんと設置されていた。
ふかふかの掛布団、糊の効いたシーツ。
自分がいつも寝ているベッドと同じ条件のはずなのに、見知らぬ部屋のベッドというだけでなんだか違和感を感じた。
だが、見知らぬ場所で迂闊に行動しない方がいい。
敢えてベッドから出ずに、まずは周りの状況を確認しようとオレは周囲に目を動かした。
そこに見えるのはポケモンという文字が書かれた雑誌の背表紙がずらりとならぶ本棚、電源が切られているのであろう画面が真っ黒なパソコンと、その机の下に置かれているのは白と水色が特徴的なAV機器だろうか、が置かれていた。
雑誌や本の題名から察するに、この部屋の住人は自分とさほど年齢が変わらないのであろう。そして、ポケモントレーナーである。という事実しか分らなかった。
「…誰、なんだ?」
未だ姿を見せない部屋の住人に、オレは意味も無く問い掛ける。
ここに寝かされていたということは、自身はきっとこの近くで倒れていたのだろう。
ここに着いた記憶が無いのが、その証拠だ。
『(“並行世界”…もう一人のお前たちに会いに行くんだよ)』
時渡りをする前に伝説のポケモン、セレビィが言っていた言葉を思い出す。
セレビィが行ったあの行動が無事に遂行できたのならば、この世界は自身が元居た世界とリンクしている“並行世界”で間違いはないだろう。
自身が無傷であること、そして人が存在するということが確認できた今、時渡りは成功したと思っていいだろう。
「なんだ。起きてたのか」
「っ!? ………っ?!」
「ああ、悪い。脅かすつもりはなかったんだ。…で、気分はどうだ?」
「あ、……だ、大丈夫、です」
俯いていたからか部屋の隅にあった階段から人があがってきていたことに気付かなかった。
急に声を掛けられびくりと肩を揺らしたが、大きな声を出さないようにと咄嗟に口を塞いだのが災いしたのだろう。勢いよく上げた顔で確認した人物は、自分が良く知る人物にそっくりだった。
だが、その人物はそんなオレの反応など気にもせず、急に声を掛けてしまったことに対し一言詫びながら、手に持っていた飲み物をこちらに手渡した。
その中身はサイコソーダだろうか。しゅわしゅわと淡い気泡が水面に浮かんでは弾けて消えていった。
「気分が晴れると思って持ってきた。炭酸が苦手なら飲まなくてもいいけどな」
「いえ、……いただきます」
なるべく彼に視線を合わせぬように、オレはわざとらしくサイコソーダを煽る。途中炭酸のキツさに噎せそうになったが、そんなことは気にしないようにした。
「あの、オレは…一体」
「ああ、お前な。この近くの草むらの中で倒れてたんだよ。ここらのポケモンはレベルが低いとはいえ囲まれると厄介だからな。慌てて俺の家に担いできたんだ」
「そう、なんですか。……目覚めて早々、つかぬことをお聞きしますが、ここって、マサラタウンですか?」
「ああ、よく知ってたな。俺はこのマサラタウン出身のグリーンって言うんだ。お前は?」
「…ゴールド。です」
「そっか、よろしくな」
差し出された右手を反射的に握り返し、握手を交わす。
屈託なく笑う彼の笑顔も、自身の住む世界の彼と寸分の狂いも無かった。
自分の世界の、“グリーン”と。
疑念が、確実に確証へと変わった。
この世界は間違いなく、自身が元居たあの場所とリンクした”並行世界”だと。
それならもう迷うことは無い。
ここに来た目的を果たす為、オレは身体を起こし彼に向き直った。
そして、彼から“あの男”の情報を聞き出す為、口を開いた。
「お前、この辺りでは見ない顔だな。何処から来たんだ?」
「ジョウトです。ジョウトリーグを制覇したので今度は隣にあるここ、カントー地方に足を運んでみました」
「ジョウト、か…。つい最近俺のジムに来た奴もそうだったな」
「…“ヒビキ”のことですか?」
「そうそう!なんだ、知り合いなのか?」
「ええ、従兄弟なんですよ。オレ、ヒビキに似てるでしょう?」
クリスやコトネと違い、オレとヒビキの容姿にさほど違いは無い。あるとすれば、服装と背丈、纏う雰囲気くらいだろうか。
それが幸いした。彼はうんうんと頷きながらオレのベッドから見える上半身、主に特徴的な前髪を見ながら感心したように言った。
「言われてみればそっくりだな!そうかそうか。……でも、なんだってあんなところで倒れてたんだ?」
「実はここ最近ちゃんとしたものを口にしてなかったので…。多分、空腹が原因かと」
「ったっく、体調管理くらいしっかりしろよ?出身地近くで行き倒れとか洒落になんねーよ。……まあ、お前よりも心配な奴がいるから何とも言えないけどな」
きた。カマをかけた甲斐があった。
彼が意外にお喋りで助かった。その軽い口を煽るように、オレは続きを促す。
「へぇ、オレ以外にもそんな人が身近にいるんですね…」
「ああ、今はシロガネ山の山頂に引き籠ってる?って言うのか。そこで毎日どこ見てるんだか…。俺が偶に生存確認として食糧持って登らなきゃなんないほどでな…。つっても、ここ最近はヒビキやアイツの幼馴染、コトネって言うんだけど、その二人が頻繁に会いに行くからな。俺は今じゃ完全に食糧係担当だよ」
「俗に言うパシリ。ですか…」
「まあ、アイツは俺がいないと本当に何も出来ないからなぁ」
目の前の“グリーン”は暢気にそう言ってのける。
「(お前のそのお節介が、本物のレッドを傷付けたんだよ!)」
そう声を大にして言ってやりたかったが、まあ今そんなことを言ってもこの男には無駄だろう。きっと、真相の半分も理解できないに違いない。実際、今オレが彼に侮蔑するような表情を送っているのにも気が付かないのだから。
そんなこと、今はどうでもいいけれど。
「シロガネ山の山頂。…もしかして、貴方の言っている人物って、“レッド”と呼ばれる人物ですか?」
「……お前本当によく知ってんな。どこでそんなこと聞いたんだよ」
「風の噂です。……シロガネ山の頂上、吹雪が吹き荒れる中半袖姿でどこか遠くを見つめている孤高の存在。靡く黒髪、威圧するような赤い目、そして、傍らに相棒であるピカチュウを従えた存在。すごいんですね、彼」
「だろ?! 実は、アイツは俺のライバルなんだ。俺達のスタートラインは同じだったはずなのにな。やっぱ、俺はアイツには敵わないんだ」
「オレ、そんな風に噂される彼に会いたいんです」
「………えっ?」
ぴたり。今まで笑っていた彼の動きが止まる。
「冗談…」
「数々のトレーナーの頂点に立つ人相手に冗談なんて言いませんよ」
「………。それもそうか。でも、シロガネ山に入るにはリーグ公認のジムバッジを持ってないと…」
「はい、分かってます。だから今は夢を語るだけにしておきます。……さて、と。もう随分身体が楽になりました。これから最初のジムを目指そうと思います」
ふう、と一息吐いてから、オレは支度をする為に今まで横になっていたベッドから起きだし、準備を始める。
「そっか。まあ、頑張れよ。それと、初めはニビジムに挑戦した方がいいな。水タイプのポケモンを持っていればバトルに有利になるぞ」
「はい。色々とお世話になりました」
「じゃあ俺はジムの方に行かなきゃならないから、これで。…実は俺もジムリーダーでね。この先にあるトキワジムにいるんだ。そこでお前が来るの、待ってるからな」
ん。と、またもや握手を求められて、オレは素直にそれに応える。
互いに握手を交わしながら、オレはにこりと笑って見せた。
「オレも、貴方と戦えるの楽しみにしてます」
「負けないからな」
「オレだって」
「…その意気だ。お前の荷物は一階に置いてあるから。じゃあな、」
「ありがとうございました」
後ろ手に手を振りながら彼は一階へ降りていき、やがて玄関の扉を開けて外へ出ていく気配がした。
下を見ればゆったりとした足取りでこの先にあるトキワシティまで向かって行くのが見えた。
「……さて、と」
呟いた声は、自分でも驚くほど低く部屋に響いた。
呆れ、怒り、きっと他にも消化しきれていない思いがその声に込められているのだが、まだ耐えなければ。
一階に降り、自身の荷物をチェックして玄関の扉をくぐる。
外は今日も快晴で、その空の蒼さにクリスを思い出す。だが、彼女は今は水底に沈んでしまった。だから今は空の蒼さがどこまでも残酷だとオレは思った。
「必ず、助けるから…っ!!」
空をキッを睨みつけてから、オレは今しがた出てきたグリーンの家に隣り合うようにして建っている家、“レッド”の家へと足を向けた。