「ほっかほか〜」

「ほら、コトネ。髪の毛乾かすからこっちに来て」

「は〜い」


お風呂から上がったばかりで毛先から雫をぽたぽたと流すコトネを自室の鏡台の椅子に座るよう促す。
にこにこと笑いながら椅子に座ったコトネの髪を、私は櫛で優しく梳きながら、ドライヤーで乾かすことにした。


「コトネも癖毛なのね…。ふふ、昔の私とそっくり」

「クリスお姉ちゃんもだったの?」

「そうよ。昔はそれが元でからかわれるのが嫌で、大きくなるのと同時にストレートパーマをかけたの」


くすくすと笑いながら、それでもコトネの髪を梳く手を止めずに、私は遠い昔の記憶に思いを馳せる。

私も目の前の少女と同じ年頃の頃は、彼女と同じように伸びた髪を左右で縛っていた。
その方が、旅をする格好としては動きやすく機能的だったからである。
だが、その旅を共にしたパートナーを亡くしてしまった今は、その恰好をする必要はない。
だから、それを期に私は髪を縛っていたゴムを解き、髪を下した。
けれど、生まれつ癖毛だったこともあるが、長年同じ髪型をキープしてきたことが原因だろう。
前方に飛び出るような髪の毛はなかなか真っ直ぐにならず、私は最後の手段として美容院でこの癖毛にパーマをかけたのだ。

それが影響したのだろう。
それ以来私は女の子から“一人の女性”として、最低限のお洒落をするようになった。
だから、今コトネが座っているこの鏡台の台上には多くの化粧品とアクセサリーが無造作に置かれている。


「クリスお姉ちゃんのアクセって可愛いのばっかりだね〜。いいなぁ…」

「コトネは持ってないの?」

「うん!だって、旅をする時に無くしたら嫌だもん」

「それもそうね…。でも、コトネも興味あるでしょ?」

「もちろん!大人になったらお化粧もしたいし、おしゃれもしたい!クリスお姉ちゃんみたいにキレイって言われるようになりたいもんっ!!」

「お世辞が上手いんだから…。じゃあ、今コトネが持ってるそのネックレス」

「これ?」

「それ、コトネにあげる」

「ええっ!?」


そう言って振り返ったコトネの手には、ヒノアラシをモチーフにした可愛らしいネックレスが収まっていた。
私が身に着けるには大分デザインが幼いものだったが、コトネくらいの年齢の女の子が着けるにはちょうどいいだろう。


「でも、……」

「いいよ。私にはもう子供っぽいデザインだし」

「……ありがとう」

「どういたしまして」


それでも申し訳ないと思ったのだろう。
コトネは言い淀みながら私と手に収まったソレを交互に見遣る。
それに対してきっぱりと言い返せば、それから少しして彼女はそのネックレスを大事そうに手の中にしまった。


「…クリスお姉ちゃん。これは何?」

「ん?……ああ、それは“ポロックケース”よ」

「ポロック、ケース…?」


アクセサリーや化粧品に目を移し終わったコトネは、今度は鏡台の隅に置いてあった細長いケースを手に取った。
それはここ最近になって私が博士の手伝いとして研究している資料の一つである、ポロックケースだったので、その名称を彼女に伝えるが、どうやら彼女には馴染みが無い代物のようで、興味深そうに上下左右に動かして見入っている。


「“ポロック”を入れておくケースなの。ホウエン地方で盛んなコンテストっていうのがあって、それはその大会に出場するポケモンのコンディションをサポートするアイテムなの」

「………?」

「ええっと…。分りやすく言うとね? それはきのみを数種類混ぜて作られるポケモンのお菓子なの。で、それを食べると食べたポロックによってポケモンの賢さとか、美しさとかが上がるアイテムなの」

「ポロックって、この中に入ってる色が付いたの?」

「そう。それをコンテストに出場させるポケモンに食べさせて、コンテストに出場させて各部門で優勝を狙うの」

「へぇ〜。そうなんだ…」

「ジョウトではコンテストっていうものは無いから、馴染みが無いものよね。…それに、向こうの方で採れるきのみも変わったものが多いみたいだから…」


コトネは私の話を聞いているのかさえも怪しいほど、私が試作で作ったポロックが数種類入ったケースを真剣に見つめている。
まあ、無理も無い話だ。私も初めて実物を見た時は時間も忘れてケースを解体してしまったほどだったから。


「…私ね、もっと早くそれの存在に気付けたらって、後悔してるの」

「……え?」


急に口を開いた私に驚いた彼女は、けれど未だにケースを握ったままこちらを振り返った。

私は彼女の髪を梳く手を止め、そんな彼女に了承を得るでもなく、ただ自分の気持ちを吐き出すようにぽつりぽつりと言葉を零していく。


「もしポロックをあげていればとか、シンオウにもこういった類の“ポフィン”っていうお菓子があるんだけどね、もしそれをあげていればとか…。もしかしたら私のポケモンももっと長生き出来たんじゃないかって…」

「お姉ちゃん…」

「分かってる、…分ってるわ。……そんなことしても少し寿命が延びるだけでいつかは死んでしまうことだって……。でもね、こうでもしなきゃ、私、……私、寂しさで心が潰れそうなの…っ!!」

「おねえ、ちゃ…」

「あんなに早く死ぬなんて…っ!! 私、あの子達に何もしてあげられなかったのに…っ!!」


言葉の洪水が私の心の淀んで汚い本心を外へと流していく。
私に背を向けたコトネ、どう声を掛けて良いのかさえも分からずに、ただ私の心の聲を聞いてたじろぐことしか出来ないでいた。

けれど、それで構わなかった。
コトネに話したのは、きっと彼女が外部の人間だからという安心感があったからなのかもしれない。

ゴールドやシルバーにこの気持ちを吐露したことは一度として無い。
それは、彼らも自分と同じ気持ちであるがゆえに自身が感情を出すことを抑えてしまったからだった。
哀しいのは彼らも同じだ。けれど、彼らはその哀しみを受け止め、前へ進んで行った。
だから、私も彼らと同じように過去は振り返らないようにしていた。
それでも、だめだったのだ。


「貴方達には、私達のような哀しみを味わってほしくない…っ!!」


私がコトネに心を打ち明けた真の理由。
それは、大切な存在を亡くした者からのメッセージを届けたかったから。

ぼろぼろ、ぼろぼろ。
両目から涙がひっきりなしに溢れ、私の顔はぐちゃぐちゃになった。
それでもそれを拭うことなんて出来るほど、今の私には余裕なんて欠片も無かったのだ。


「泣かないで…」

「…コトネ……」


そんな私の涙を拭ったのは、いつの間にかこちらに身体を向けたコトネの指だった。
コトネは私の顔を見ても顔色一つ変えず、真剣な表情でこちらを見つめたまま、左右の瞼を指で拭った。


「わたしも、お姉ちゃんたちのような悲しい別れをしたくない」

「…うん……」

「でも、後悔はしたくない」

「……え?」

「わたしは、どんなに辛くても、悲しくても、苦しくても、……クリスお姉ちゃんのように後悔はしたくない」

「コトネ…」


真剣な表情で、目の前の少女は凛と告げる。
その声音に迷いは無く、ただ確固とした意志を持って、その場に佇んでいた。


「きっと、クリスお姉ちゃんのポケモンだって、お姉ちゃんに後悔なんてしてほしくなかったと思うよ?」


にこり。花が咲くような可憐な笑顔が、私の涙を止める。


「いつまでも後悔に捕らわれてばかりじゃ、前には進めないよ?」

「お姉ちゃんのポケモンだって、いつまでもお姉ちゃんに悲しんでいてほしくないって、きっと思ってる」

「それに、お姉ちゃんはその経験からポケモンと長く付き合っていこうって自分で考えて、今は博士の研究のお手伝いをしてる」

「それでも十分、死んじゃったポケモン達への……、こう言っちゃいけないんだろうけど、“罪滅ぼし”にはなってると思うよ?」


拙い、けれど真っ直ぐな言葉で、少女は私を励まそうとする。
分りやすく、端的に。彼女は私に一生懸命に自分の心を伝えようとしている。

大人の自分が子供に慰められるという図は、なんだか情けさを感じたが、それでも、彼女の言葉はしっかりと私の心の奥底へ届いた。
彼女の言葉が、昔のあの場所から動けないでいる私の身体を引っ張った気がした。


「でも、お姉ちゃんってすごいな…」

「…何が?」

「わたしもそんな風にポケモンを愛せるようになりたいって、思ったんだ」

「……伊達に何十年も一緒に過ごしていたわけじゃないわ。……愛着が湧いて当然よ」

「それでも、今でも死んじゃった子達のことを考えて生きていけるって、わたしはすごいと思うの」

「コトネだって、これからもっとポケモンのことを知っていけば、いずれ私達のようになれるわよ」

「そうだといいな…」


そうして二人で笑い合う。もう私の瞳から流れていた涙は乾いていた。
そして、心も軽くなっていた。


「……さ、もう夜も遅いし、寝ようか?」

「うん!……ねぇ、一緒に寝ていい?」

「いいわよ」

「やったー!わたし一人っ子だからお姉ちゃんとかと寝るの夢だったんだ!」


両手を上に掲げてバンザイをするコトネを見遣りながら、朝そこから出たままのくしゃくしゃになったシーツの皺を伸ばす。
そうして押入れから客用の枕を一つ取り出して私の枕の横に置けば、就寝準備完了だ。

コトネはその準備が終わると同時にベッドに飛び込み、もふもふとした毛布の感触を楽しんでいる。


「ねぇねぇ、お姉ちゃん」

「…なぁに?」

「……ありがとう」

「なに、……」


その言葉の最後まで彼女には届かなかった。
暖かい毛布に包まれ、少女は優しい夢を見る為に眠りに就いている。
彼女が何を想ってその言葉が出てきたのか皆目見当はつかないが、それでもそれで良かったのだろう。


「………」


彼女の寝息を耳で微かに捉えながら、私は先ほどまで少女が座っていた椅子に腰掛け、鏡台に備え付けられていた引き出しの中から古びた図鑑を取り出す。

それは、私のパートナーだったポケモン達のデータが詰まったアルバムであり、記憶であった。
けれど、彼らが死んでからというもの、私は一度としてこの図鑑の電源を入れたことは無い。
その内に内臓された電池が劣化したのだろう、今では電源ボタンを入れても画面は黒いままだ。


「……だめ、か…」


もしかすると入るのでは?
試しに電源ボタンを入れてみるけれど、やはり電源は点かず、暗い画面には光に反射した自分の顔が映るだけだった。
その顔は電源が点かなくて安心したような、けれどそれが寂しいような、言葉では表現できないような顔をしていた。


「……あ、あれ?」


その顔をじっと見つめていると、今まで真っ黒だった画面に一滴の雫が落ちた。
何だろうと思って画面を見つめれば、その先に映っていたのは先ほど乾いたばかりの涙を再び流す自分の姿があった。

拭っても拭っても涙は溢れてくる。
次第に喉奥が震え、私の口からは微かに嗚咽が零れ出していた。


「………私こそ、…あり……が……とう……っ!!」


その嗚咽の隙間から、今は深き眠りに就いた少女に向かって言葉を放つ。
その声が届いたのかは分らないが、彼女の頬は緩み、微かに笑っているように見えた。

ずっと、悔やんでいた。彼らを亡くしてしまったのは私のせいだと。
けれど、私は彼女の言葉でようやく、その重い鎖から解き放たれた気がする。
何にも染まらないその綺麗な心が、私の心の淀みを溶かしてくれたからだ。

図鑑を握り締めながら、そんな彼女の心の温かさと心を噛みしめながら、

私は、机に伏して涙を流した。



(亡くした痛みを背負う者の哀しみを)



けれど、決して自分を責めないで。

永い哀しみに囚われることの無いよう。


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