「ヒビキ、電気消すぞ」
「うん。おやすみ、シル兄ちゃん」
「…おやすみ」
家に一つしかないベッドに、俺達二人ははみ出ない様にぴったり寄り添って横になる。
顔を見合わせながらおやすみと言い合えば、ヒビキはふわりと笑ってこちらに擦り寄ってきた。
「どうした?」
「僕一人っ子だから、お兄ちゃんとかお姉ちゃんとかと一緒に寝たことなくて……。だから今こうしてシル兄ちゃんと一緒に寝れるのが嬉しいんだ」
「そうか…」
「シル兄ちゃん、あったかいね」
「ヒビキも、……暖かいな」
にこにこと嬉しそうに話すヒビキの笑顔は、昔見たゴールドの笑顔とそっくりで、やはり彼、いやソウルやコトネを含むこの三人は自身と繋がっているのだな、と感心した。
容姿、性格、どれをとってもどこかに必ず俺達と共通している所がある。
「(そういえば、俺が誰かと一緒に寝る。ということをしたのはゴールド達と出会ってからだったな…)」
自分は物心付いた時にはすでに父は消息を絶ち、母親の愛情も満足に受けた記憶も無かった。
それからの俺は誰かを信じる、愛情を与える。ということを極端に嫌い、ただ自身の強さだけを求めて旅をしていた。
そんな時に出会ったのが、ゴールドとクリスだ。
二人は俺のことを拒絶するわけでも、ましてや否定することも無かった。
ただ、超えることの出来ない強さを持って、俺の行く手を阻んでいた。
そして俺の心に止めを差したのが旅先で出会ったドラゴン使い、ワタルだった。
―――『君には、ポケモンに対する信頼と愛情が足りない』
だって、そんなもの知らない。
信頼とか、愛情とか、そんなものもらって育ってこなかったから。
ポケモンにどうやって接していけばいいのかも、どうやって愛情を注げばいいのかも分らなかった。
―――『なら、焦らなくてもいいよ』
―――『シルバーは、ちゃんと分ろうとしてるんだから』
初めて感情を吐露した日、ゴールドとクリスが俺にかけてくれた言葉を思い出す。
その時になって初めて、俺は愛情とはなんなのが少し分り始めた気がしたんだ。
「なあ、ヒビキ」
「ん?なぁに?」
「ソウルは……、お前達と距離は置いてないか?」
「え…?」
そんな昔のことを思い出すのと同時に、俺はソウルのことが気になった。
多分、今のアイツも俺と同じ悩みに直面している頃だと思ったから。
だから今日、アイツはゴールドの所に泊まると言って聞かなかったんだと思う。
急に問い掛けられたヒビキはきょとんとしながら、それでも一生懸命考えたのだろう。やがて口を開き話し出した。
「うーん、置いてると言えば置いてるかも…」
「そうか……」
「それでも初めて会った時よりはいくらか雰囲気も柔らかくなったんだよ。でも、最近は少し元気がないみたいなんだ…」
「……」
「僕やコトネと話す時もなんだか思い詰めたような表情だし。…もしかして、嫌われてるのかなぁ…」
悲しそうに眉を下げ、ヒビキは小さく言葉を吐く。
「違うと思うな」
「え…?」
「アイツ…、ソウルはな……不器用なだけなんだ」
「不、器用…?」
何の脈絡もない会話に、ヒビキはぽかんと口を開いた。
だけれど俺は構わず話し続ける。
「お前やコトネのこと、アイツはアイツなりに考えて大切にしていこうと思ってるんだ。けど、アイツは口下手だろ?」
「…言われてみれば、そうかもしれない」
「お前達がソウルに優しく接するように、アイツももらった分だけ返したいと思ってる。だけど、改めて礼を言うのは恥ずかしい。…きっと、そう思ってるんだ」
「………?」
「今は分らなくてもいい。だけど、もしソウルがいつもとは違う行動をしても、それを否定せずに受け止めてほしい」
「受け止める…?」
「何も言わなくていい。アイツの気が済むまで、したいことをさせてやれ。そうすれば、次からは距離がぐっと縮まって前よりも仲良くなると思う」
じっと真剣な目で見つめれば、ヒビキは特に疑問に思うこともなかったのだろう。うん、と元気よく頷いた。
「…シル兄ちゃん達は、昔から仲が良かったの?」
「いや。今のお前達と同じような関係だったさ。もっとも、俺がゴールドやクリスに対して距離を置いていたのが原因だがな」
「じゃあ、さっきのはほとんどシル兄ちゃんの体験談なんだね」
「そうだな。だからこそ、今のソウルがどんなことで悩んでいるかとか、お前達二人がどう付き合って行けばいいか教えてやれるんだ」
「そっか………。えへへ」
「なんだ、急に一人で笑って」
くすくすと一人で笑いだすヒビキに聞けば、彼はやはりゴールドと同じような笑顔で言った。
「僕達も、シル兄ちゃん達みたいに仲良しさんになれるんだな。って思って」
「ソウルは俺よりも扱いやすいと思うからな、きっとすぐに仲良くなれるさ。でも、このことはアイツには内緒だからな」
「うんっ!……ねえ、シル兄ちゃん」
「なんだ?」
「僕、シル兄ちゃんに会えてよかった」
「っ!? ……どうして、そう思うんだ?」
「シル兄ちゃんと話して初めて、ソウルの気持ちが少し分かった気がするから。……それに、」
「それに?」
「いつかソウルがシル兄ちゃんみたいになって、ポケモンにも人にもたくさん愛情を与えてあげられるって分かったから!」
きらきらと、瞳を輝かせてヒビキは告げる。
その瞳は電気が消えたこの部屋の中でも爛々と輝きそして澄んでいて、自分が初めてゴールドやクリスからもらった愛情の籠った眼差しによく似ていた。
ヒビキも、ソウルも、コトネも、三人がそれぞれを大事に思い続けていけるなら、きっと今の自分たちのようになれるだろう。否、きっとなる。
自分達がそうだったように。
「…分かってもらえて嬉しい限りだな」
「僕、無事に元の世界に帰れたらコトネとソウルのこと、抱き締めてあげたい」
「…きっと、二人共喜ぶさ」
「そう、だと……いい、なぁ…」
「………おやすみ、ヒビキ」
ふわりと微笑みながら夢の世界へ旅立ったヒビキの肩まで毛布を掛けてやりながら、俺はそっとおやすみと囁いた。
そして、自身はベッドから抜け出し、部屋に備え付けてあった机の引き出しの中から埃を被った図鑑を取り出し、眺める。
図鑑はもう何年も前にその役目を終えてから起動させていない。
ゴールドやクリスと同じように、俺のポケモンも寿命を迎え天国へ旅立ったからだ。
それからというもの、俺は図鑑に触れること、過去に触れることを避け、以降ずっとこの引き出しの中へ図鑑を封印していたのだ。
「なあ、俺は、お前たちにちゃんと愛情を注いでやれていたか?」
今は亡き自身のパートナーを記録した図鑑を見つめながら、意味もなく問い掛ける。
そして図鑑に付着した埃を軽く払いながら、その外装をじっと眺める。
俺やゴールド、そしてクリスの記憶のアルバム。
今は誰一人としてこの図鑑、過去に触れることは無い。なぜなら楽しかった日々よりも死んでしまった後の悲しい日々を思い出してしまうから。けれど、それでも、今だけは、
「………っ、」
泣かせて、ほしい。
(口下手で不器用な彼の“想い”を)
偉そうに説教するくらい、自身は愛情なんて注げなかった。
その自責の念が、ヒビキの言葉でゆっくりと溶かされていった。