これは理事長の言葉と思ってくれて構わない、と口癖のように連呼していた彼だったが近頃はめっきり聞かない。
それに気付いたのは先日行われた生徒大会のときだった。彼は規律の乱れや部活動の予算案等について述べている最中、何度か口を開きかけるも、一瞬留まって咳ばらいをし話を続けていた。いつも生徒大会では必ずと言ってよいほど例の口癖をを言う。しかし、結局彼は一度も口に出さなかったのである。
その日から気になって見ていると、やはり彼はあの言葉を意識的に使わないようにしているらしかった。





試験管と三角フラスコと、あと名前の分からない器具をいくつか、なるだけ丁寧な手つきで引き出しの中に入れていく。化学の先生と顔見知りになったところまでは良かったものの、それ以来、廊下で擦れ違う度に用事を頼まれてしまっているのである。先生の小間使いじゃあるまいし断ればいいのだけれど、忙しそうな先生を前にしては何も言い返せなくて、どうせ帰宅部の私は暇なのでいつも引き受けている。
引き戸の開く音と規則的な足音がした。
「先生、まだ終わってないんですけれど……」
「僕は先生ではないよ」
てっきり先生かと思っていたのに、聞こえたのはクラスメイトの声だった。
「雷門くん…こんなところでどうしたの?先生なら会議中だよ」
「いや、先生に用事があるわけじゃない。通りかかったら明かりがついていたから、誰かいるのかと思ってね。――何か、手伝うよ」
「雷門くんは生徒会長なんだから仕事が大変なんでしょ?私なら大丈夫」
「たまには君の……」
急に語尾が小さくなる。
「私の?」
「いや、…君じゃなく、……と、ともかく手伝わせてくれ」
ふいっと顔を背けた雷門くんは試験管に手を伸ばした。


時折、ガラスとガラスがぶつかり合う小さな音が響くだけで、私と雷門くんは黙々と作業をしていた。沈黙は嫌いではない。しかし何か話したいと思っても、どんな話題を持ち出したらよいか分からなかった。

「……、やっと終わったね。手伝ってくれてありがとう」
「お疲れさま。じゃあ、少しだけ、」すると雷門くんは立ち上がって窓を開けた。涼やかな風が通り抜ける。
「休んでいこうか?」
いつもはきゅっと上品につりあがっている目尻が、少しだけ下がって優しそうな微笑みをみせた。反射的に、目を逸らす。肩の力を抜いて息をしているような雷門くんを見たのは初めてで、それだけのことで私は驚いてしまったのだ。



私たちは実験台の脇に並んだ小さな丸椅子に腰掛けた。
「進路とか、決まった?」
「進路?」
「と、唐突にごめん。でも、この前進路希望調査出したでしょ?だから気になって………。あっでも、雷門くんが財閥を継ぐならやっぱりT大学かな」
「まあ、そういうことになるな」
「じゃあもしかして、雷門中の理事長になるつもりだったりして」
「違う!」
空気が張り詰めた。
雷門くんの大きな声に思わず肩が硬直する。
「………。大声を出してしまって、すまない」
「ううん、いいよ。でも、何か、あったの?」
口を開こうかどうか迷っている様子で雷門くんは立ち上がった。しばらく彼は大きく開けた窓の向こうを眺めていた。

「――理事長の言葉と思ってくれて構わない」
「え?」
「と、僕が何度も言っていたことを覚えているか?」
「うん。でも最近は聞かないわ」
「僕は父に頼りすぎていた。自分の言葉や態度に自信が持てないために、父の肩書をいつも被っていたかったんだ」





「……だけど、もうそんなことはしない。父の肩書なんか借りずに伝えなくちゃいけない言葉が、沢山できたから」
いつのまにか彼の声色は変わり、振り返った茶色の瞳がゆるりと揺れて私を捉えた。
一歩二歩と距離は縮まっていて、屈んだ彼の唇が頬に触れた。…そう感じたと思えば直ぐに離れる。
「――…好きだ」

突然の展開に驚いて声も出ない。思考も追いつかない。見上げると頬を赤くした雷門くんが私を見つめていた。目が合うと途端に反らされてしまったけれど、また、視線がぶつかる。
「いやだったら…か、構わないんだ……。でも、いやじゃなかったら…僕と、付き…合ってほしい」
顔を赤くした雷門くんは前髪をかきあげながら私の方を見てゆっくりと話した。次第に彼の言葉と私の気持ちが結びついて私の言葉となっていく。
「いやなわけないじゃない」
迷うことなく応えた。
「いやなわけない!私、実は、……いつもいつも、雷門くんのことをずっと見ていたの。好きにならない方がおかしいわ…」
「な、……きみ…、……馬鹿!」
「ば、馬鹿って…!雷門くん、もしかして、照れ隠しでしょう!」
視線をうろうろさせて私と目を合わせようとしない雷門くんの顔を、にやにやしながら覗き込んだ。すると、不意にばちっと目が合った瞬間に引き寄せられる。それは男の子らしい不意打ちだった。
「!」
「…本当に、僕のことが好き?」
耳元に小さく息がかかり思わず指先が震える。

「………好きよ」

「…嬉しい」

「ありがとう」

ぽつりぽつりと会話が続いていく。
いつの間にか青空は茜色に染まって、下校時刻を告げる放送が流れた。

「片付けが終わったこと、先生に…報告しないと…」

「僕も行くよ」

自然に手が繋がり、私は雷門くんに引かれて実験室を出た。

廊下に太陽の光が差し込んで私たちを染め上げる。

そう、真っ赤な頬は夕焼けのせいにしておこう――。






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