都会では季節が分からないから、この村の四季はとても美しいね――と、都会から来た先生が言っていたのが印象に残っている。私としては、生まれてから一度も都会へ行ったことがないから比べようがなく、そもそも季節が分からないという感覚を知らない。風の向きが変わって冷たくなったら冬の始まりで、雪どけのせせらぎが聞こえたら春の訪れ。小さい頃からそうやってきた。


朝。がたがたと錆び付いた引き戸を開ける。昨日よりも降り積もった雪が辺りを銀色にしていて、それを掻き分けながら道をつくり登校するというのが冬の日課だ。
黙々と歩みを進めていると、村で何番か目に大きい道路に着いた。さすがに、車が通れるくらいの幅の道ができている。私の仕事はやっと終わったかな、と冷たくなった手を擦り合わせた。
「お早う、夢野さん」
「あっ…先生、おはようございます」
今年の春に都会からわざわざこの北国に来た、あの基山先生だった。
「学校まで一緒に行かないかい?」
「はい」
学校まで1時間程の道のりを、他愛もない会話をしながら歩いた。先生は私の訛りとは違って滑らかに喋る。それは自然に耳に流れてきて心地好い。この村に来て1年が経とうとしているのに訛りが移らない、というのも少し寂しい話だけれど。
「うーん、今日の授業は何をしようかな」
「学習指導ナントカ、とかいう決まりがあるんじゃないんですか?」
「よくそんなに難しいことを知っているね。偉い偉い、」
「先生!子供扱いしないでください、私、もう中学生ですよ?」
「あはは、ごめんね」
先生は笑って私の頭をくしゃくしゃ撫でた。ほら、こうやって子供扱いしているじゃない。
「中学生か……、懐かしいな」
眼鏡の奥の瞳が、すうっと細められた。
「先生が中学生だったときの話が知りたいです」と、私が頼むと珍しく驚いた顔を見せた。
「中学生のときはね、…今思えば、夢の中の話みたいだったよ。そんな話でもいいのかい?」
「はいっ」
だって、好きな人の話なら何でも知りたい。恋をしてしまえば誰もがそう思ってしまうのだ。



先生の話を聞いて私は、表情には出さなかったけれども、とても驚いた。U-15のサッカーの世界大会で日本代表に選ばれたことがある、というのは有名で知っていた。けれどその前にあった、施設や事件の話は初めてだった。
世間から見れば、日本代表だったことの方が華やかだし注目すべきことなのだろう。けれど、私にはそうは思えなかった。施設で過ごした10余年間というのは先生という人の基盤を形成している。そこで多くの温かいものに触れることができたから、今の優しい先生がいる。きっと、自分が優しくされた分だけ、周りに優しくしようとしているのだ。そんな基山先生が――やっぱり、私は好き。
「どうしたの?」
気付けば、先生が私の顔を覗き込んでいる。
「何も…」
「夢野さん、涙が、」
涙? 手袋を外して目元に手を当てると確かに濡れていた。
「あ、あれっ…何でだろ、……やだ、止まらない…」
どうして泣いているのか自分でも分からない。悲しいわけでも、どこかが痛いわけでも、ないのに。先生の前で泣くなんて、みっともない。
何度目を擦っても涙は止まらなかった。冬の寒気にさらされた涙は冷たくなって頬を伝ってゆく。
「…ご、めんなさい。何だか涙腺が弱くって、もう、……ん、」
一瞬だけ、唇が塞がれた。
何があったのかよく分からなくて、自分の唇に触れると、少し湿っている。
何かあったのか聞こうと思い先生を見上げた。すると、また唇が塞がれて。今になってようやく、その意味に気がついた。
「泣かないで。 君は、いつまでも笑っていてよ」
にっこりと微笑んで、何もかもを包み込んでしまうかのように私の身体を抱きしめた。
基山先生は優しすぎる。そんなことされたら余計涙が止まらないのに。
「、ばか……」
私は冬の寒さには慣れているけれど、頬の熱さには慣れていないのだ。







あれから5年が経とうてしています
先生は今頃どうしているのですか?
銀色の水平線に、いつか、ぽつんと先生の赤い髪が見えないか……私は毎日のように気にかけているのです
ああ、もうすぐ雪どけの季節
北国の春はとても美しいのですよ、





BGM:北国の春




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