私は授業がとても大好きだ。どの時間よりも授業中が好き。授業がずっと続けばいいのになっていつも思う。だって授業中はみんな私をいじめないから。先生は生徒がこそこそしていると、すぐ分かってしまう。怒ったり、減点したり。だから授業中はみんないいこしてる。
ああ、もう時間だ。授業が終わってしまう。終わらないで。私は辛い思いをしたくない。
授業が終わった瞬間、私は1番に席を立って教室を出ようとする。しかし、それは通路沿いに座る生徒に邪魔をされてしまう。足を引っ掛けられたり、インクを零されたり、魔法で何度も転ばされたり、全部いつものこと。さすがスリザリンは狡猾で、授業が終わって気を抜いている先生の隙を上手く狙って行われる。今日は肩をぶつけられた。避けることさえ嫌になって、そのまま通り過ぎる。教室を出た途端に大きな笑い声。楽しそうね。先生なんて呑気に「どうかしたのかい?」なんて聞いている。
夕食を終えてから遠回りをして寮に帰ると、部屋のドアに呪文がかけられているのが日常。全て取り払ってからドアノブを握った。その時、ぐしゃりと音がして気持ち悪い感触に虫酸が走る。甘い匂いが鼻をかすめる。これは、なに。笑い声を聞いて後ろを振り向くと、杖を持った2、3人の女が私を見ていた。「ねえ、あれ見てよ!ケーキ美味しそうに食べてるわ!!」「ふふっ本当ねえ。喜んでもらえて嬉しい!」やだ、この汚らしいものが、ケーキ?顔をしかめるとそれはそれは楽しそう笑われた。下品な笑い声がぐるぐる響く。ぐるぐる、ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる「ッ、はあ…、はあ、」気付けば私は寮を飛び出して走っていた。夜の校内は真っ暗で、その中をひたすらに走った。校則違反だなんて、この際どうでもいい。組分け帽子さん、なぜ私はスリザリンなの?心の中で何度も問いかけた。
「誰かいるのか?」大人の声が聞こえて足を止める。どうしよう、怒られる、逃げなきゃ。でもここがどこだか分からない。どうやって来たのか、どうすれば帰れるのか。先生から隠れたいと必死に願った。しかし足音が近付いてくる。私の心臓の音みたいな早いテンポで。
もう諦めよう、そう思って壁に寄り掛かった背中に硬いものが触れる。振り返って目を凝らすと、それはドアノブだった。私はこっそりとドアを開いた。

中に入ると柔らかい薄明かりに包み込まれる。息を整えてから辺りを見回すと、沢山のものがごちゃごちゃになっていた。折れた箒、ガラス細工の器、動かない時計…恐らく今は使われていないのだろう。
不意に、誰かの視線を感じた。ゆっくりと後ろを振り返るとそこには一枚の肖像画。
真っ白な肌に黒く長い髪、赤色の宝石を閉じ込めたみたいな目。20歳くらいの、とても綺麗な男の人だった。でもこの肖像画は動かないみたい。優しそうに笑ったまま止まっている。
「……こんなに優しい笑顔を見たのは久しぶり…」
頬を温かいものが伝う。私は泣いているのだと認めると、もっと涙が溢れてきて止まらなくなってしまった。ローブの袖で顔をおおって大声で泣いた。思えば入学した頃は毎日が楽しかったのだ。ホグワーツに入れて本当に良かったと毎晩思い、明日が来るのが待ち遠しかった。それなのに、今はまるで違う。
「どうして泣いている?」
「えっ!!?」
顔を上げると肖像画の人が喋っていた。風に靡いた長い前髪を耳にかけている。
「あ、あなた…動けるんですか?」
「動かない絵などこの世界には無いよ。…それで、どうしてなんだい?」
言おうか言うまいか迷った。けれど相手は肖像画だからと割り切って、口を開いた。
「私はスリザリン生だけど、スリザリンに相応しくないからって…い、嫌がらせをされていて…」
自分で言っていて悲しくなってしまった。相応しくないだなんて信じたくない。私は本当のスリザリン生になりたい。
「相応しいか否かなんて他人が決めるものではないよ。組分け帽子がスリザリンに選んだ時点で、君はもう立派なスリザリン生だ。今は辛いかもしれないが、やがて自分がこの寮に入って良かったと思える日がくるはずだ」
柔らかな口調に私の心は解きほぐされていった。
「じゃあ、私はスリザリン生と名乗ってもいいんですか…?」
「無論だ」
誰にも言われなかった言葉を、初めて言ってもらえてとてもとても嬉しかった。目元が熱くなってまた泣いてしまったけれど、それは確かに嬉し泣きだった。
「全く、君は泣き虫だな…。そこの棚の上から3番目に私のハンカチがある。使っていいよ」
嗚咽混じりにお礼を言ってハンカチを借りた。緑色の刺繍でS.Sとある。暫くすると涙はおさまった。
「君の名前は?」
「夢子です。あなたは?」
「サラザール・スリザリン」
聞き間違いかと首を傾げると、彼はもう一度同じことを言った。
「サラザール・スリザリンって、あの、私の寮の創始者の…?」
「それ以外に誰がいる?このスリザリンの紋章の指輪に、蛇を象った額縁、服だって緑色がたっぷりと使われているだろう」
「本当だ!」
私は今まで素晴らしく偉い人に人生相談をしていたということか。このハンカチだって濡れてしまったけれど、かなり貴重なものであるはず。
自然と体が一歩下がった。
「ああ、そんなに畏まらないでいい。君の自然体が一番だ、…泣き虫なところとかね」
「からかわないでください!」
「ふふ、すまない」
笑いながら謝る彼につられて笑った。笑うのなんて、数ヶ月振りかもしれない。
「そうだ、そろそろ寮に戻った方がよいのでは?」
彼は胸ポケットから鎖時計を取り出し見せた。
「でも、帰り方が分からなくて…」
「それなら心配はいらない。この後ろがスリザリンの談話室に繋がっている。今なら誰もいないだろう」
「あ、あの…!」
「なんだ?」
「また会えますか?」
「君が望むならいつでも」
にこりと笑った彼の肖像画がドアのように開くと、壁に大きな穴があった。中へ入っていくと、談話室の白い光が見えてきた。いつもなら憂鬱になるこの光に、今日は何も感じなかった。
それからは毎日のようにその部屋に通った。行きたいと思えばすぐ廊下の壁にドアが現れたのだ。
私は自分のことや授業のこと、ホグワーツの行事のことを話し、サラザールは少年時代やホグワーツ開校当時の話をしてくれた。話は尽きなかった。
そしていつからだろう、胸にある想いに気付いたのは。
私はサラザールに恋心を抱いていた。
「今日はクリスマスだったの」
「では雪が降っているのかい?」
「うん!雪まみれになっちゃったよ。それより、見て!」
ポケットからチョコマフィンをふたつ出した。
「二人で食べたくて。でも…」
もちろん額縁の中にいるサラザールがマフィンを食べることはできない。それを知っていても持ってきてしまった。
「ありがとう、私も食べる」
サラザールが杖を一降りすると、私のチョコマフィンが消えて絵の中に現れた。
「何かを食べたのは久しぶりだ」
「じゃあ、今までずっと空腹だったの?」
「ふふ、まさかそんなことはないよ。私は生きていないからね」
生きていない。サラザールの一言がひどく響いた。生きているかのように話しても食べても、血が通っていない、人により作られた絵なのだ。
「私が生きていないことに今更怖くなったのかい?」
「いいえ、違うの。ただ、あなたと同じ時間を生きたかったなと思って」
「……夢子は優しいね」
「だって、…ううん、何でもない」
好きだからなんて口が裂けても言えない。幼い私を相手にしてくれないことは確かだし、こんな素敵な人に私なんかが想いを告げるなど、身の程知らずである。
何気なくサラザールの方を見ると、杖を出して微笑んでいた。
「魔法をかけてあげる」






誰もいない部屋に3人の生徒が迷い込んだ。ひとりは額に特徴的な傷のある少年、もうひとりは赤毛でそばかすのある少年、そしてふわふわの栗色の髪の少女。
「サラザール・スリザリンって書いてあるぜ」
「スリザリン創始者の肖像画ってことね」
「でも…」
3人は不思議そうに肖像画を見た。



「となりの女の子はだあれ?」






It dies in the sea of formalin.
(ホルマリンの海で永眠)






――――

サラザールロリコン疑惑。



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