久しぶりの3連休ということだけあって住民は皆出掛けているのかマンション内はとても静かだった。私とて例外なく観光地に行く予定だったのだが、受験生だからという理由でひとり家に残されてしまった。しかしだからといって受験勉強がはかどるというわけではない。そこで私は勉強を中断し気分転換と称して自分のマンション内を散歩をすることにした。
私の住むマンションは大きいので友達曰くホテルに見えるらしい。そう言われると確かにホテルに見えるかもしれないが、ロビーなんてものはないし廊下は殺風景だ。そしてその何もない廊下に紅一点、赤い髪を持った少年が佇んでいたものだから、彼はとても目立っていた。何をしているのかと思えばただ廊下の壁をぼんやりと見ているだけのようだ。しかし彼のことが気になった私は廊下をそのまま歩いていった。
近付くにつれ彼の特徴が掴めてきた。彼は、どうやら私が知っている人と同じ特徴を持っているようだ。赤い髪、白い肌、緑色の瞳、それに骨折した右足。そんな人物を私を知っている。知る人ぞ知るU-15のサッカー世界大会に日本代表FWとして出場していたが右足を骨折し帰国することとなった人物、と似ているのだ。否、似ているのではない。その人は何処からどう見ても確かに基山ヒロトだった。
「あの、貴方はもしかして基山ヒロトさんですか?」
暫くの沈黙の後彼は口を開いた。
「…ああ、俺は基山ヒロトだよ」
「やっぱりそうだったんだ!実は貴方のファンなんです。良かったらサイン下さい」
「俺のファン?ふーん、俺なんかにファンがいたんだ。驚いたな」
何故か彼は俯き加減で自嘲気味に喋った。私が雑誌のインタビュー記事などで知る強気な彼とはあまりにも違う、何だか弱々しい姿がそこにはあった。
「俺なんか、って…基山さんはすごいプレーヤーじゃないですか」
「だって考えてごらんよ、」
彼は私から受けとった手帳に、ペンでさらさらと自分の名前を書きながら言った。
「日本のグラウンドでも開催国のグラウンドでもあんなに練習をしたっていうのに、準決勝で怪我をしたからって決勝に出れず帰国する。こんな馬鹿なやつ俺くらいしかないよ。今までの努力が水の泡だ。時間も体力も何もかも、俺が持っている全てものを費やしてきたのに…」
「で、でも来年があるじゃないですか!基山さんはまだ14歳でしょう?あと1年は…」
「俺はもうサッカーができないんだよ!!!」
私の言葉を遮って彼が大声を出した。やけに長い廊下にその声が響く。
「…大声出してごめん。公表はしてないんだけど、俺は重い病にかかっているんだ。余命は後僅か4ヶ月。だから来年なんてものは、俺には来ない」
驚くべき告白に掛ける言葉を失う。真逆憧れの彼がこんなにも深刻な問題を抱えていたとは知らなかった。元気出してよ、大丈夫だよ、だなんて言葉はそぐわない。かと言って上手い言葉が浮かぶわけでもない。確かに伝えたいことはちゃんとあるのに言葉が見つからないのだ。

その時ぽとりぽとりと音がしたので彼を見ると、彼は涙を流していた。私の手帳に涙が落ちインクが、基山ヒロトという字が滲んで、それはまるで、彼の存在が消えようとしているようで何だか悲しくなった。私まで泣いてしまいそうだ。
「ご、ごめん、俺ってば…」
涙を拭おうと目を擦る彼だけど涙は止まらない。そんな彼にハンカチを渡す私も涙が止まらない。私達は何もない廊下でふたり立って泣き続けた。涙とともに流れ落ちてしまいそうな想い。それらをかき集めて言葉にしようとするも、口をつくのは嗚咽とたどたどしい単語ばかり。
心を落ち着かせようと深呼吸をひとつ、ふたつ、みっつ……。
「き、基山さんっ!…例え来年が無かったとしても4ヶ月もあります。世界大会に出られなくても全国大会があります。貴方の舞台は世界大会だけじゃない。だからっ…、だから諦めないでください!!」
一瞬だけ彼は切れ長の目を大きく開きそしてたおやかに頬を緩めた。
「諦めない、か。そうだね、俺は弱気になりすぎてたかもしれない。…ふふ、実は前にもその言葉で救われたことがあるんだ」
彼に笑顔が返ってきた!私にはそれがとても嬉しかった。
「…えっと、君の名前は?」
「夢野夢子です」
彼は私の手帳を一枚めくって新しく自分の名前を書き始めた。
「基山ヒロトより、夢子ちゃんへ。よしっできた!…ああそうだ、」
彼はサインをしたそのページの右下に何かを書き足している。
「これ俺のメアドだから。メールしてね」
「いいんですか!?」
「このマンションに住んでるから、直接会いに来てくれても構わないんだけどさ」
その自信たっぷりな笑みはテレビで見覚えのあるそれと同じだった。それとともに、目の前の相手があの基山ヒロトなんだと改めて認識させられて、私はすっかり緊張してしまった。
「メ、メールアドレスを、ありが、とうござい、ました!!」
「俺の方こそ、いろいろとありがとう」
「では、また…」
「ちょっと待って!!」
180度右回転をして帰ろうとした私の腕が不意に捕まれた。振り返ると、頬に柔らかい感触。驚いて左を見ると彼の顔が、基山ヒロトの顔がとても大きく見えて。
「お礼のキス。…唇の方が良かったかな?」
「き、ききキス!?キスだなんて、恥ずかしくて、死んじゃいそうっ……。き、今日のところはひとまずさよなら!!」
持てる限りの最高速度で私はその場から走り去った。


(家に帰っても顔の火照りは冷めなかったものだから、無論受験勉強には身が入らなかった)




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