「しまった……。」

これほどまでに自分が馬鹿だと思ったのは久しぶりだった
真っ暗な校舎で一人ぼっち。携帯は忘れてきた。
あぁ、梓くんに怒られる…。




「犬飼について来て貰えば良かったな…というか、守衛さん電気いきなり消さないでよ…。」

独り言でも言っていないと心が折れそうだ
けれどその独り言すら虚しく階段の踊り場に響き渡るもんだから堪ったもんじゃない

「早く課題、取ってこよう。」

いそいそと教室に向かうが、今日は空も雲っていて光がほとんどない
いつも通っている道が全然違う場所に思えて、なんだか寂しい

(やだな…)

暗いのは、正直怖い
この間の一件があって以来、余計だ
心臓が僅かに鼓動を早め、呼吸が浅くなるのがわかる
課題なんて諦めて、帰った方が良いかもしれない
そう思った瞬間だった

「きゃっ!…うー…ダサい…。」

階段に足を引っ掛け、派手にこけてしまった
廊下の方までべちゃ!という音が響き渡り、なんだかやる瀬ない

「やっぱり帰ろう…」

ふと顔を上げて、見えた暗闇にゾッとした

違う、違う
あの時みたいに私は目隠しされてるわけでもないし、押し倒されてもいない
大丈夫、と何度も自分に言い聞かすけれど、身体の震えが止まってくれない
心臓の音がやたら近くに感じ、頭がぐらぐらする
フラッシュバックする記憶に、視界がぐにゃりと歪んだ

「…っ、」





「――朝霞?」





無音の世界に響いた、声
その声のする方へ向けば、ふわりと白が揺らめいた

「…星月、せんせい…」

「どうした?足でも痛めたか?」

倒れ込んだままの私を見て、星月先生が心配そうな顔をして近寄って来る
私の傍にしゃがみ込み、足首に優しく先生の指が触れた



「やっ…!!」



――パンッ!



乾いた音が廊下に響き渡り、右手が少し熱を帯びる

「…朝霞?」

手を叩き拒絶された先生が、怪訝な表情をしてこちらを窺う

「ご、ごめん、なさい。…でも……触らないで…ください…」

先生が、心配してくれているのがわかる
わかるのに、ダメだ、やっぱり

触れない








――男の人に、触れない








皆が、そんな人じゃないってわかっているのに、身体が言うことを聞いてくれない

思い出してしまう

あの日の恐怖、嫌悪感を

「…わかった。」

私の言葉に静かに頷いた星月先生が立ち上がる

「でも、そんなところに倒れ込んだままにしとけないからな。怪我はないんだろう?ゆっくりで良いから立ちなさい。」

ここを掴んで良いから、と、白衣の裾を差し出され、ゆっくりと身体を起こす

「大丈夫か?」

「はい…」

そうは言うものの、身体はまだ小刻みに震えていて、とても大丈夫とは言い難い状態だった
それを星月先生も理解して、小さく溜め息を吐く

「…そうか。それならこのまま保健室に行くぞ?あったかいお茶でも飲んで、少し落ち着きなさい。」

「…先生、」

「何があったのか、話も聞かないといけないしな。」

気付かれてしまった
本当は、誰にも知られたくなかったのに、こんな状況じゃごまかすことももう出来ない

星月先生の優しく、それでも珍しくはっきりとした物言いに、私はぎゅっと白衣を握り締める力を強めた






―『和先輩』―






――何度も、梓くんの手の温度を思い出しながら






(優しい声が頭の中に響いて、涙が出そうになった)





人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -