知りたくなんて、なかった






星月先生に付き添ってもらい、自分の部屋まで帰ると、もう20時を過ぎたところだった
晩御飯を食べる気にもなれず、このまま寝ようと小さく溜め息を吐く

「あ、携帯…」

机の上にすっかり忘れていたそれを手に取り、画面を見て一瞬呼吸が止まった
着信履歴が1件と、メールが2件
かち、と履歴を見れば、今一番見たくない名前が記されていた

「あずさくん…」


―『朝霞の気持ちもわかるが、せめて文化祭までは木ノ瀬を頼りなさい。』―


送り際、星月先生に言われた言葉を思い出す
もし今すぐ別れるというなら全部俺が話す、とまで言われては、首を縦に振らざるを得なかった

「結局、自分の保身が大事なんだから…嫌になるな…。」

唇をきゅっと結び、せめてメールだけは返さないと、とフォルダへ移動しようとした瞬間、画面が切り替わる

「わ!あっ、」

反射で応答ボタンを押してしまった自分を心底呪う
けど、押しちゃったものはしょうがない
慌てて電話を耳元に近付けると、ノイズ混じりの、けれど聞き慣れた声が鼓膜を震わせる



『あっ、和先輩!?』



「っ、」

『大丈夫ですか?携帯に全然出なかったから心配で、迷惑を承知で何回かかけてしまったんですけど…。…何かありましたか?』

響く声に、頭がくらくらした
あぁ、やっぱり今だけは、この声を聞きたくなかった

『…和先輩?』

「…、…ごめんね。お風呂入ってたんだ。」

ぐっと左手を握り締め、聞こえないほど小さな溜め息を吐き出し、梓くんの声に応える

「疲れちゃったから長湯してたんだけど…心配させちゃったね。」

『いえ、それなら良かったです。…無事で、安心しました。』

僅かに吐かれた吐息は、安堵の色を含めて私に届く
それを聞いただけで、胸がきゅっと締め付けられるのがわかった

『…でも、それなら僕やっぱり様子見に行けば良かったなぁ。』

「え?」

『そうしたら、お風呂上がりの和先輩が見られたのに。』

きっと凄く可愛いんでしょうね、なんて真剣に言う梓くんに、思わずくすくすと笑ってしまう

「見れなくて、残念だったね。」

『本当ですよ。あーぁ、せめて同じ学年なら修学旅行とかで見れるのになぁ。残念です。』

「ふふ、梓くんと同い年って楽しそう。」

『そうですか?でも、僕は和先輩が年上でも年下でも全然構いませんよ。どんな先輩でも可愛いことに変わりはありませんから。』

さらりと甘い言葉を紡ぐ梓くんに、思わず眉を下げる
耳元で囁くように言われては、いつもよりも羞恥心が増してしまう

「あ、梓くん…。別に今、周りに誰もいないから、そんな彼氏頑張らなくても良いよ…?」

『あぁ、すみません。つい癖で言っちゃいました。和先輩、照れちゃいました?』

「照れるよ、そりゃ。」

『あはは、照れてる先輩、見たかったです。っと、すみません、長々と。本当はもっと話したいですけど…先輩が湯冷めしちゃいますね。』

梓くんの気遣いに、少し胸が軋む
お風呂になんて入ってないのだから、湯冷めなんて絶対しないのに

「ううん。わざわざ、ありがとう。」

『いいえ、これくらい当然です。僕は貴女を守るために傍に居るんですから。』

「………ありがとう、」

『…和先輩?』

「おやすみ、梓くん。…また明日。」

『…はい、おやすみなさい、和先輩。どうか良い夢を。』

電話越しでもわかるほど柔らかい声色で、彼が微笑んでいることを教えてくれる
ゆっくりと通話を終了し、その場に座り込んだ

「…ほんっと、出来た彼氏だなぁ…」

は、と小さく笑みを零し、改めて受信フォルダを確認する
一通は夕方に、もう一通はつい1時間程前のもの
ただの文字の羅列をなぞりながら、浮かんだのは、水嶋先生の最後の言葉





「…ぅ…っ、」





ぱた、と
画面に雫が落ちる
罪悪感と、後悔ばかりが、私を埋めつくす

ただの文字の羅列なのに、愛おしくて、色付いて見えて


声も顔も、仕草だって、瞼の裏に焼き付いて、簡単に思い出せて


触れる指先に、揺れ動くこの感情の名前を、知りたくなんてなかった








―『好きなんでしょう?木ノ瀬くんが。』―







こんな私を、好きになってくれるはずないのに






(覚めやらぬ夢は悪夢か、それとも)



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