ひととせダイアリー
「今日の卒業式が終わったら、僕らがこうして制服を着てバカ騒ぎ出来る機会なんて、もう二度とないから……」
そう言った梓くんの表情は3年前よりも随分大人びていて
私の胸を少し締め付けた
「卒業おめでとう、梓くん。」
「ありがとうございます、優希先輩。わざわざこんな山奥まで来てもらって、なんかすみません。」
「ううん、だって私が梓くんの卒業式を見たかったんだもん。それに会長……じゃないか、一樹先輩達も行くって張り切って車出してくれたから、全然楽だったよ。」
ぱたぱたと手を振れば、安心したように梓くんが微笑む
ふわりと吹く風に運ばれてきた桜の花びらがあいだを通り抜け、春の匂いを連れてくる
「……本当に卒業、なんだね。」
「そうですね。」
意外にも誰もいない中庭で二人きり、ふと視線を下にやり、目をぱちぱちさせてしまった
「……梓くん、ボタンは?」
「え?ああ、翼ですよ、翼。なんでか知りませんけどねだってきたんで、あげました。」
なるほど、第2ボタンが無いのはそういうことか
翼くんなら納得がいくなぁ、とボタンのなくなった少し不格好な制服に微笑んでしまう
「でも、やっとこの面倒な制服ともお別れですね。」
「ふふ、確かに着るの面倒だったよねこの制服。」
「本当ですよ。最初見たときどうやって着るのかわかりませんでしたからね。」
「でも意外と梓くんきちんと着てたよね。」
「宮地先輩みたいに着崩しても似合わないのは、僕が一番知ってますから。」
でもこれはあまりに不恰好なんで脱いだ方がいいですかね、とベルトを緩めた梓くんが、何かを思い付いたのか笑顔でこちらを振り返る
「優希先輩、折角だから脱がせてくれませんか?」
「えっ?」
何をどうしたら折角だから、なんて発想になるんだこの子は
時々突拍子もないな、なんて思いながら、でも凄く期待したその瞳に抗う術なんて知らない私は、ゆっくりとそのジャケットに手をかけた
「制服のボタン外すの、久し振りだなあ。」
「先輩は一年ぶりですもんね。……僕も、もうないんでしょうね。」
ボタンを一つ、二つと外しながら、梓くんの声に耳を傾ける
もう、ないのか
これが、最後
もう二度と、この姿を見ることはなくなるんだ
「……っ、」
ぼろ、と
こぼれ落ちたそれに、思わず口許を覆う
「ご、ごめん……」
「優希先輩……」
「ち、違うの。悲しいとか、そういうのじゃなくて、……う、うまく言えないけど…… 」
だって、これを脱げば、全てが終わる
一緒に過ごした日々が全部思い出になって
もう二度と手に入らないものになる
そう思うと、色んな感情が込み上げてきて、それを抑えることが出来ない
「……優希先輩、泣かないでください。」
そっと涙を細い、けれど確かに男の子の指先が拭う
「…どうして、梓くんは笑ってるの?」
見上げたその先に微かに笑う梓くんがいて、思わず首を傾げる
すると梓くんはすみません、とまだ笑みを浮かべたまま小さく謝った
「いえ、昔の僕なら、どうして今貴女が泣いているのか、わからなかったんだろうなって思って。」
「……あずさくん、」
「そうですよね。この制服を着て、この学園で貴女に出逢って、好きだと告げて……貴女と恋をしてきたんです。……そう思うと、とても尊いものだと思います。」
制服にかけた手に、ゆっくりと梓くんのそれが重なる
「ありがとうございます、優希先輩。僕との時間を大切に想ってくれて。そんな貴女だから、僕はきっとこんなにも心惹かれたままなんでしょうね。……そんな貴女とだからこそ、僕は色んなものを手にすることが出来ました。」
「、」
「これが、最後です。だからもう一度。…最後に、もう一度だけ。」
アメジストの瞳を柔く細め、確かめるように私の名前を紡ぐ
まるで、唄のように
「優希先輩、僕は先輩が好きです。……これからも、僕と共に歩いてくれますか?」
優しく
それは春の桜が霞むほどの極彩色に彩られた台詞
甘い蜜にも似た愛に、また一つ雫がこぼれ落ちる
「…せーんぱい?答えはくれないんですか?」
茶化すように尋ねてくる梓くんは、当たり前だけど答えなんて知っているだろう
わかりきっているのにわざわざ尋ねてくる可愛い恋人に微笑んで、今度こそ彼の上着を脱がすことに成功した
奪ったジャケットを自分の肩にかけ、涙で決して綺麗ではない顔で、少しだけ驚いた表情をした梓くんに出来るだけの笑顔で笑って見せた
「――私も好きだよ、梓くん!」
この制服を着ていたあの頃と同じ気持ちで
あの頃よりも少し大人になった今でも
ずっとずっと、君だけ愛してる
(あ、でも時々制服着てくれてもいいですよ?先輩)(それは何を企んでいるのかな?梓くん)
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