逃走ユートピア

少し賑やかな昼休み
2年天文科の教室の前に、緑のネクタイを揺らした生徒が立ち止まる
きょろ、と教室を見渡したあと、彼はすぐ傍の見知った先輩へと声をかけた

「…東月先輩、優希先輩居ますか?」

「あぁ…、あいつならちょっと席外してるな。何か伝えることがあれば伝えておくけど。」

「…いえ。また出直します。ありがとうございました。」

錫也と一言二言会話をして、綺麗なアルトの声はすぐに教室を後にした
それを見送ったのち、錫也は少し呆れたような表情で下を見下ろす

「…優希、これで良かったのか?」

「ご、ごめんね錫也。月子も哉太も嘘へたくそだから、こういうの頼めなくて…。」

錫也が見下ろした先
床にちんまりとしゃがみこんだままへらりと苦笑を返してみせた





「木ノ瀬くんと喧嘩でもしたのか?避けるなんて、優希らしくもない。」

同じように隣にしゃがみこんだ錫也が、不思議そうに尋ねてくる
確かにこんなことは初めてだから、そう見られても仕方ないのかもしれないけれど、そういうわけではない

「喧嘩じゃないよ。そんなの私がすぐに負けちゃう。」

「まぁ否定出来ないけど…じゃぁ、何があったんだ?」

純粋に心配してくれている錫也に対して申し訳ない気持ちになって、知らず知らず眉を下げる
けれど、本当にそんな大層な理由はなくて
身体が気持ちに追いつかない。ただ、それだけなんだ。

「優希、」

「…い、意識しちゃって…。」

「え?」

「…なんか、す、好きに、なっちゃって…。」

だから、うまく話せないの。

こんなこと誰かに言うのは初めてで、言ってる自分が恥ずかしくて顔を両手で隠す
言葉にすると、改めて実感してしまってダメだ


梓くんに、恋してる


「…それはまた、青春だなぁ。」

「錫也、その笑顔が腹立つ…!」

「あぁ、ごめんごめん。なんか可愛いなぁって思って、つい。」

ぽんぽんと頭を撫でながらくすくす笑ってくるクラスメートを睨みつけても、赤い顔じゃ全然効果がなかった

「でも、いつまでもそうやって逃げ回るのか?」

「だって本当ここ最近自覚したから…。こんな顔で梓くんの前に行ったら5秒でバレちゃう自信があるよ…!」

「あぁ、それは…。でも…、何がきっかけだったんだ?」

「え、そんなガールズトーク錫也としちゃうの私?」

しかもこんな所で?と驚いてみたものの、案外錫也とのガールズトークには違和感がないことに気が付いたけど凹まれそうだったから言うのはやめておいた

「いや、なんか今までそういう話優希から聞いたことなかったから、ちょっと気になって。…でもそっか。なるほどなぁ。」

「何?」

「うーん、まぁ、気を付けた方が、良いかもな。」

「?」

もう一度、頭をぽん、と撫でた錫也の眉を下げた笑みの意味がいまいちわからず首を傾げたけれど

その意味は、すぐにわかることとなる





「優希先輩、お久しぶりですね。」

「そ、そうだね…。」

「あ、今日は逃げないんですね。」

「や、別に逃げた覚えは…」

「ないんですか?」

「あ、梓くん笑顔。笑顔が怖いからね?」

生徒会室から帰る階段途中
こんなところで誰かと会うなんて早々ないのに、どうしてよりにもよって梓くんと対峙するんだろう

(まさか待ち伏せとか…いや、ないない。……いや、ありえる…。)

見下ろしているのは私なのに、何故か彼からの威圧感が半端ない
錫也の言っていたことは、こういうことだったのだろうか

「…優希先輩、僕、まどろっこしいことは嫌いなんです。」

とん、と
梓くんが一段、階段を上る

「だから率直に訊きます。――どうして最近、僕のことを避けているんですか?」

「あ、っ!」

梓くんから逃げるように階段を登って行っていたけれど、気が付けば踊場の端まで追い詰められていた
壁に両手をついて私のことを囲う梓くんは、いつものいたずらっこみたいな可愛い表情なんかじゃなく、真剣に私を見つめてくる

「僕が何かしましたか?言ってくれないと、僕はわかりません。」

「ち、ちが。そういうのじゃ…」

「じゃぁ、どうしてですか?いきなり訳もなく避けられて…僕が何とも思わないと思ってるんですか?」

その言葉に、声に言葉を失った
少しだけ、本当にほんの少しだけ、切なく震えた梓くんの声

(傷…つけた…?)

私に避けられて、梓くんが傷付くなんて想像すらしなかった

「…ごめんなさい。」

「…やっぱり、避けてたんですね。」

私が、梓くんの感情を揺さぶるなんて、考えもしなかった
私が彼の言葉に一喜一憂するみたいに

梓くんも少しは、私の言葉で感情を揺さぶられたりするのだろうか






「好きなの」






それは、気が付けばするり口から紡ぎだされていた
飾ることのないたった一言
でも、これ以上に今の私の感情を伝える術はない、大事な二文字

「梓くんが…好きで、意識しちゃって…は、恥ずかしくて避けちゃったの…。」

ごめんなさい、ともう一度謝ると、目の前の綺麗な紫がかった瞳が、これでもかというくらいに見開かれる

「あ、あずさくん?」

「え、あぁ、すみません。…少し、びっくりしちゃいました。」

困ったみたいに眉を下げられ、途端私の胸がツキンと痛みを覚える

「…ご、めんね。別に、付き合いたいとかそういうのじゃないし、もう少ししたら多分前みたいに普通に喋れるように――」

「今頃気が付いたんですか?」

「……へ?」

なるから、と続く言葉は、梓くんのよくわからない台詞にかき消されてしまった
今頃、気が付いた?

「優希先輩が僕を好きなことくらい、とっくの昔に気付いていましたよ。」

「は、…うそっ!?」

「本当です。だから、今更そんな理由で避けられていたとなると…流石にびっくりです。」

「だ、だって私自覚したの先週くらいなんだけど!?」

「自覚は、ですよね?」

「え、」





「貴女の瞳は、意識は、もうずっと前から僕に恋していましたよ。優希先輩。」




耳元から、柔い熱が身体中に入り込んでくる
ふるりと身体が震え、心臓がどきどきと勢いを増して鼓動を刻みだす
顔まで真っ赤になってしまった私に気付いた梓くんが、そっと私の頭を撫でて微笑んだ
まるで落ち着かせるかのように、愛おしく

「…でも、これでようやく僕も我慢しなくてすみます。」

「我慢?」

「やっと貴女を抱きしめることを許される。」


ふわり

柔らかく優しく身体を包み込んだ熱は思っていたよりも熱くて
すっぽりと私を抱きしめることのできる男の子のそれに、鼻先を擽る梓くんの香りに、嫌でも心臓が高鳴った

「…ね、先輩。返事をあげても良いですか?」

「え、…っ。」

ちゅ、と軽いリップ音を立てて、一瞬のキスが落される

「あ、梓く…!?」

驚いて名前を呼ぶも、それを遮るようにまた唇を塞がれる

「…せーんぱい、僕言いましたよね?ずっと我慢していたって。」

「へ、…んっ。」

いつもより甘い声が耳を擽り、不意打ちのように今度は耳にキスをした梓くんが、目を細めて微笑んだ




「これくらいで、終わると思わないでくださいね?」



僕から逃げた罰です。とにっこり笑って言う梓くんに、その時ようやく、錫也の言葉の本当の意味を理解した




(どうしよう錫也、なんかもっと恥ずかしくて梓くんの顔見られないんだけど…!!)(悪循環じゃないか?それ。)


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