お願い、一樹

どうか




ガタン!

「っ、おい来海!?」

後退った時の衝撃で、すぐ傍の机が派手な音を立てて揺れる
けれどそんなもの気にしている場合じゃない
一樹に背を向け、勢いよく教室から飛び出す
携帯もノートも、全部投げ捨てた

逃げろ

その言葉だけが、私の頭の中に響く

「来海!!」

「っ、」

名前を大声で呼ばれ僅かに心臓が跳ねるが、後ろなんて振り返らない
だって、そんなことしていたら捕まってしまう

私がずっとずっと守っていたものが、なくなってしまう


――絶対、捕まってなんてやらない



足を休めることなく、廊下や階段を全力疾走で駆けていく
目を丸くしてその光景を見る男子に時々ぶつかってしまったけど、謝る余裕もない
走って、走って、息が辛くなってもとにかく逃げた
それでもすぐ後ろの一樹の気配は消えなくて
どこに逃げたら良いのか、自分がどこを走っているのかもよくわからなくなりかけた頃

鬼ごっこの終わりが、唐突に見えた

「っ、」

目の前にあるのは角教室の扉だけ
追い詰められてしまった、と一瞬息を飲んだが、勢いを殺すことなくドアを開けて教室に飛び込んだ

「っ、待て来海!!」

「来ないで!!」

ガン!と音を立てて教室の窓を開け放てば、ひゅ、と冷たい風が、髪を揺らす
それに背を向け、肩で息をしながら一樹と対峙した

「それ以上近付いたら、ここから逃げるわよ。」

二階だから、高さもそんなにない
下はコンクリートだけど、今の私なら躊躇いなく飛び降りれる
そんな私の本気がわかったのだろう
は、とまだ整わない息を吐き出し、静かに一樹は私を睨みつけた

「お前…いい加減にしろ。怪我してぇのか?」

「あんたがこっち来なかったら降りないもの。」

「来海、」

「ここから出て行って。…二度と私に近付かないで。」


――語尾が


微かに震えてしまったことに、気付かないでほしかった



「…記憶が、戻ってたんだな。」

「、」

訊くというより、確信に近い言葉
紡がれたそれに、私をまっすぐ見つめる翡翠の瞳に、唇を噛む

「いつ、思い出したんだ?」

「やめて…、」

「どうして黙ってた?俺にはその意図がわからない。」

「やめて、出てってよ…!」

「…俺を責めることもしないで、何でわざわざ猿芝居に付き合った?来海。」

「っだって!!」






「だって言ったら、また“一樹”の記憶を消すでしょう…っ!?」





――怖かった、ずっと




またこの記憶を消されるんじゃないかって





ずっとずっと、一樹が怖かった






「何で…、何が原因かもわからないんだもん。本当のこと言って、また消されたらどうしようって。ずっとそればっかり…!あんたに、記憶が戻った時の私の気持ちなんてわかんないわよ!!」

感情が高ぶって、声が無意識に大きくなってしまう
落ち着かせようと息を吐いても何にも意味はなく、視界が歪むんでいく
泣くな、泣きたくなんて、ない

「来海…、」

「…呼ばないで。」

「、」

「その声で、来海なんて呼ばないで…!」

何年も胸の中に溜めていた気持ちが

あとからあとから溢れてきて、抑えることが出来ない

「っ、嫌いなら、嫌いで…良いから。近付かないし、関わらないわよっ。だから…っ、…お願いだから、一樹。」



――駄目だ




「私から、一樹を奪わないで…っ。」




涙が、堪えきれない





「私の記憶は、私のものよ。楽しかったことも哀しかったことも…全部全部。一樹を好きだって言うこの気持ちだって、一樹に奪う権利なんてないわ!」

「お前……」

一樹と見た景色や、隣にいて感じた感情の中に
忘れていい記憶なんて、一つもない

一樹を好きになって、辛くて、苦しいばかりの今だけど

幸せだった日々は、確かにあるのだから





一樹を好きになったことを、後悔したことなんて、一度もない





(触れることも、名前を紡ぐことも許されないのなら、せめて)




「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -