この世の中はまだまだ不思議で満ちている
たとえばトリップや、パラレルワールドだって、人が考えた空想ってわけじゃないのかもしれない
そんな言葉があるのはきっと、本当にした人がいるからじゃないのかな?

――私のように

羽月日向、20歳
星月学園星座科2年にトリップして、二ヶ月が経ちました




「…い、――日向先輩っ。」

「へっ!?」

「しぃ、ここ図書室なんですから、大声はダメですよ?」

目の前のドアップの美少年に窘められ、慌てて口を塞ぐ

「…梓くん、珍しいね。図書室に居るなんて。」

「日向先輩が居るかなって思って来たんですけど、当たりだったみたいです。今日のお昼はミーティングがあるって、朝練の時に言ってたの忘れました?」

「……あ!しまった!」

くすくすと笑いながら可愛い後輩である梓君が言った台詞にはっとする
すっかり忘れていたけれど、確かに言っていた、宮地くんが。

「ご、ごめんね梓くん…!いつもいつも…!」

「大丈夫ですから、そんなにも慌てないでください。今日は何の本を読んでたんですか?」

「え?弓道の入門書。私本当に初心者だから、知識くらいはあっても良いかなーって思って。そうしたら面白くてついつい夢中になっちゃって――」

「せーんぱい。手、止まってますよ?」

「あ、ダメダメ。宮地くんに怒られちゃう…!」

梓くんの言葉に我に返り、なるべく静かに早く準備を済まし、図書室を出る

「っはー。ありがとう梓くん、本読んでると本当にダメだよね、私。」

いつもいつも迷惑をかけてしまう梓くんに苦笑いすると、彼は優しく笑い返してくれた

「そんなことないですよ。僕、日向先輩のそういうところも好きですよ。」

「あはは、私も梓くんのこと好きだよ。いつも気にかけてくれてありがとう。」

「…なーんか伝わらないなぁ。」

「うん?」

「いーえ。何でもないです。でも、気に掛けるなって方が無理ですよ。だって日向先輩は僕が捕まえたんですから。」

「つ…、というか、見事なキャッチだったよね?流石というか…」

とん、と大きく一歩を踏み出し隣に並んだ梓くんは少し見上げないとダメで、可愛いのにやっぱり男の子なんだな、と思う
初めて会った時だって、私を抱き留めた腕は見た印象よりもとても逞しかったのを覚えている

「あれでも結構驚いたんですからね。まさか人が降ってくるなんて思いませんもん。」

「私も、階段から落ちたと思ったら梓くんの腕の中だったのはちょっと恥ずかしかったなぁ。」

「きょとんとしてる日向先輩は可愛かったですけどね。」

「ふふ、梓くんのすっごいびっくりした顔も可愛かったよ?」

「嬉しくないですよ、それ。」

「あ、やっぱり?…もう二ヶ月かぁ…。」

窓の外を仰ぎ見れば、入道雲が綺麗に空に描かれている
初めてここに来た時はまだ梅雨の時期だったな、なんてぼんやり思った

「…でも、未だにちょっと信じられませんね。日向先輩が違う世界からトリップしてきた、なんて。」

「え?まだ?」

「だって先輩、弓道部入部して図書委員になって、とてもトリップしてきた人の行動力とは思えませんよ。」

「うーん、そうか…な?」

「20歳って言うのもあんまり信じてないですけど。」

「あ、失礼な。ちゃんと大人だもん。そりゃ今は見た目高2だけどさ。」

梓くんの言葉に少しむくれてみたが、そんな顔されると益々大人に見えませんよ、とほっぺたをつつかれてしまった
これじゃぁどっちが年上かわからない

「でも、ただのトリップじゃなくて歳まで変わるなんて、ちょっと面白いですね。何か心当たりあります?」

「………流れ星?」

「え?」

「階段から落ちたって言ったでしょう?あれね、高校生活やり直せたらなーって思って空を仰いでたら流れ星が見えて…びっくりしてたら落ちちゃった記憶が、ある。」

最初らへんは記憶があやふやで思い出せなかったけれど、確かそうだった
気が付けばもう一度制服を着ていたあの違和感と言うか妙な気恥ずかしさはよく覚えているが

「…それが原因なら、流れ星もとんでもない願いを叶えましたね…。」

半分呆れたように言う梓くんの気持ちもわからなくはないけれど、私はお星様を怨む気も怒る気もない
苦笑いする梓くんに、私は少し微笑んだ




「――青春は短い。宝石の如くにしてそれを惜しめ。」




いつだったか陽日先生が教えてくれた言葉
それは深く深く、私の中に刻み込まれ、染み込んでいる
この言葉は、大人になればなるほどその重さを知るものだ

「前の世界の私って、本当に本ばっかり読んでた高校生だったの。それも勿論楽しかったんだけど…少し、勿体なかったなって思ったの。」

いつも通る通学路や、友達との他愛のない会話が響く校舎
この小さな世界の中でしか得られない幸福は、青春はきっと星の数ほどあって
それは星のように輝くかけがえのない自分の宝物へとなっていくことを、今の私はもう知っている

「だからね、折角もう一回高校生になったんだから、今度こそ青春満喫しよう!って。…毎日を、大事にしたいなぁって思ったの。」

部活や委員会、専門的すぎる授業
毎日がめまぐるしくて、あっという間に過ぎて行ってしまう。それすらも、惜しい
でも、そう感じることすら、きっと幸福なんだと思う

「まさか、別世界で満喫するとは思わなかったけど。」

「そうですね。でも、僕も日向先輩のおかげで青春を満喫していますよ。」

「あ、本当?楽しんでくれてる?」

「えぇ、結構楽しいです。最初は少し心配して傍にいたんですけれど…人の心配をよそに先輩ってば毎日楽しそうにしてるから。もういっそ一緒に楽しむことにしました。」

困ったような、それでいてどこか優しい笑顔で梓くんが溜め息を吐く

「ふふ、梓くんのそういうところ、好きだよ私。」

でもこうやって、しょうがないなって言いながらも甘やかしてくれるから、私や翼くんが調子に乗っちゃうんだよ。
そんなことを考えて笑えば、梓くんが足を止めた

「梓くん?」

「じゃぁ先輩、先輩が好きな僕と、もっと青春っぽいことしませんか?」

「え?」

つられるように歩みを止めた私に、梓くんが距離を詰めた

「今日の放課後、街に行きましょう。」

そっと無防備だった手に指を絡められ、その熱に少し身体が跳ねる




「制服デートって、青春の特権でしょう?」




綺麗に微笑んだ梓くんの台詞に、目を見開いた
じわりじわりと熱くなる頬に気付き、思わず口許をあいている手で隠す

「…で、デートって…。」

なんか、恥ずかしい。
だってまさか、デートの誘いを受ける日が来ようとは
しかも4つも年下の男の子に

「あ、はははっ。先輩、好きとかは平気なのにデートは恥ずかしいんですか?可愛いなぁ。」

「だ、だって好きってそういう意味じゃないでしょっ?私だって梓くんは恩人だし可愛いし頼りになるから好きだもの…!」

「――そうじゃなかったとしたら、どうします?」

「え、」

私の瞳を覗き込む綺麗な紫のそれに、息を少し詰める




「僕は日向先輩を愛していますって言う意味だったら…?」




「あ、ずさ…くん…?」

年下とは思えない雰囲気に、吸い込まれそうになる
いつもの優しいだけの笑みじゃない
それに気付き、背筋がふるりと震えた


「……顔、」

「え、」

「これ以上赤くならないんじゃないですか?」

「っ、」

するりと頬を綺麗な掌が撫でたかと思うと、梓くんがゆっくりと私から顔を離した
梓君に言われた通り、これ以上ないくらい熱を帯びた頬を押さえながら見上げた彼は悪戯に笑い、人差し指を口許に寄せる

「今日は、これくらいで良いですよ。」

「は、」

「でも、折角僕のところに舞い降りて来てくれたんです。他の男の人になんて渡す気ありませんから。」


どきどきと、心臓が高鳴る音がすぐ耳元に響く
足元がふわふわしてどこか夢見心地な感じなのに、梓くんの声だけがはっきりと聴こえる




「とりあえず、今日の放課後楽しみにしていますね、日向先輩。」




にっこり笑って、梓くんが道場に入っていく
その背中を追うことすら出来ず、私は立ち尽くしてしまった





「…………え?」








ほらまた一つ





私の中で名前も知らない星が、瞬きはじめた









(ね、ねぇ梓くんさっきのどういう…)(大人な先輩なら、解るんじゃないですか?)



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