初めて、一樹を怖いと思ったの





「――やっと二人きりだな、日向。」

「…こんなムードもない埃まみれの資料室で言われてもときめかないよ。」

「悪かったな!大体、こんな所に逃げ込んだのはお前だろ!?」

「生徒会長ともあろう方が走って追いかけて来たら逃げちゃいますって。リハビリまだ終わってないんだから無茶しないでよ。」

「お前が、ずっと俺を避けるのが悪い。」

見付けた時に捕まえないと逃げられる、と私を壁に追いやり両腕で逃げ道を塞いだ一樹が正論を紡ぐ
そんな状況なのにまだ逃げられないかな、なんて考える私は大概往生際が悪いと思う

「…日向、何で俺を避けてる?」

「心当たりなら、あるでしょ。留年生徒会長さん。」

「…桜士郎の件を言ってるなら、俺はますます解らなくなるぞ。叱られるならまだしも、何で避けられるんだ?」

「じゃぁ叱ってあげようか?」

「茶化すな。…どうしてずっと泣きそうな顔してるのか、いい加減教えろ。」

「、」

一樹の言葉に、どうして、と思った
だって誰も、そんなこと言ってこなかった
上手に笑って、上手にごまかして、そうやって毎日を過ごしていたのに
漸く視線を一樹に向ければ、少し困ったような優しい色をした瞳とそれが絡まる


「何年日向の幼馴染やってると思ってるんだよ。」


解らないわけないだろ、と、あまりにも当たり前に紡ぐから
ぐにゃりと、久しぶりに真正面から見た一樹の顔ごと世界が歪む
ずっと張り詰めていた線が、どこかで遂に切れてしまう音がした

「…日向、」

「なに、よ。こっちがどんな、どんな気持ちでいたかなんて、知らないくせに!」

ずっと、ずっと
どんな想いで一樹を避けていたか、目の前の相手はわかっていない
本当はこうやって会いたかったのを我慢して我慢して、逃げていたのに

「…知ってるから、離れたかったの…」

「え?」







「一樹が私を大事と思ってること、知ってるから。」







だから、離れたの。

そう紡げば、翡翠の瞳が僅かに見開かれた
私の涙を少し乱暴に拭ってくれていた掌が動きを止めるから、それをそっと頬から離し、両の手で握りしめた
久しぶりに触れた温もりが、少し懐かしい
逃げてばかりで近付きもしなかったのに、こうして触れると、私は酷くこれに飢えていたんだと教えられる
せっかく拭ってくれた涙があとからあとから頬を伝うのは、懐かしいからだけじゃない


だって、一瞬でも想像してしまったから


この温もりが、無くなった世界を


「あんな…、躊躇いもなく桜士郎のこと助けて、落ちるから…」

「日向…、」

「そりゃ、昔から星詠みで怪我してたけど…知ってたけど…っ。大事な人の為なら、あそこまで何の躊躇もなく自分を差し出すなんて…思ってもみなかった…。」

思い出すだけでも、背筋が凍るような記憶
桜士郎の代わりに、窓の外に投げ出された一樹の身体
咄嗟に彼の服を掴んではみたけれど、それは何の影響力もなく

私の手をすり抜け、そのまま視界から消えた私の幼馴染






「私、初めて一樹が怖くなった。」






一樹が両親を亡くして感情を押し殺していた時期も、喧嘩ばかりしていた時期だって知っている
それでも怖いなんて思ったこと一度もなかった、なかったのに

「きっと私相手でも、一樹は躊躇ったりしない。そういう人だって、それくらい大事に思われてるんだって、わかってる。だから離れたの、一樹が馬鹿なことしないように。」

「馬鹿なことじゃないだろ。」

「馬鹿だよ!」

力いっぱい反論して一樹を睨みつけるけれど、きっと全然威力なんてない

だって、やっぱりダメだ


――顔を見たら、泣いてしまう




「一樹が私のせいでいなくなるなんて、やだ…」




怖い



私を大事だと思う一樹が



大事な人の代わりに、傷付く一樹が




一樹のいない世界が、一番怖い




「……日向、」




それまでずっと、黙って私の言葉に耳を傾けていた一樹が静かに私の名前を紡ぐ
それに促されるように顔をあげれば――柔らかな熱が、唇に落とされた




「ばーか。」




初めて触れるそれと、いたずらっ子のような笑顔
何が起きたのか理解できずにいると、くしゃりと髪を撫でられた

「な…に…?」

「ん?いや可愛い奴だなって思ったらつい、な。」

照れる素振りもなくそう紡ぐ一樹に、それが私のファーストキスが奪われた理由なのか、とどこかまだぼんやりとした頭で考える

「…怖い思いさせちまったな。悪い。」

ぽつり
申し訳なさそうに紡がれた台詞に、どう答えるのが正解なんだろう
考えあぐねていると、一樹がけどな、と言葉を続ける

「俺もお前がそれで幸せなら、文句なんてなかったさ。俺から逃げて安心して、笑っていてくれるなら。でもお前、逃げる度悲しそうな顔するわ、そのくせちらちらこっち気にするわ…それなら諦めて最初から俺の隣に居とけばいいだろ。」

「でも、」

「日向は知らないだろ?あの日俺が助かったのは、お前のおかげなんだってこと。」

「え…?」

「咄嗟に俺のこと、掴んだだろう?あれで落ちる場所がちょっと変わったんだよ。お前に引っ張られてなかったら、俺はコンクリに頭打って死んでたって桜士郎に聞かされてさ。」

「ごめん、笑えない。」

さらりととんでもなく恐ろしいことを言って笑う一樹に、思わず口の端が引き攣る
そうか?なんて笑う一樹の両手が、私の頬をふわりと包み込んだ

「わかるか?日向は俺を生かしてるんだ。いつも、いつだって。」

「、」

「日向が居ない方がきっと俺は危なっかしいと思うぞ?だから、これからも近くで俺のこと叱って、止めて、笑っていればいいんだ。」

「かずき…」

「それにな日向。お前が知ってるように、俺だって知ってるんだからな。」

「え、」








「――日向は俺の隣で笑ってる時が、一番可愛い。」








それは、さっき私が紡いだ言葉にどこか似た空気をしていて
けれど私のように哀しい色を見せることもなく、優しく鼓膜を震わせる
一樹の自信に満ちた、それでいてどこか愛おしそうな笑みに、胸が小さく音を立てた

「…なんかそれ、私が一樹のこと好きみたいに聞こえるんだけど。」

「みたいじゃなくて、そうなんだろ?」

「やだよ、こんないついなくなっちゃうかもわかんないような怖い彼氏なんて。」

「馬鹿だな、いなくなったりするかよ。他の男に日向を盗られるなんてごめんだからな。」

一樹の返答にちょっと目を丸くして、気付けばふふ、と小さく笑みをこぼしていた


本当に馬鹿だね、私
一樹の言うとおりなんて少し悔しいけれど
私が心から笑えるのは、やっぱりここなんだと認めざるを得ない


「……なんかそれ、一樹も私のこと好きみたいに聞こえるんだけど?」


頬を包む掌に、自分のそれを重ねて少し微笑めば、一樹も落とすみたいに、柔く微笑んでみせた









「俺の気持ちだって、日向なら知ってるんだろ?」














(決して優しいだけの恋ではないとわかっているのに、幸せに寄り添う)




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