「…日向の言い方だと、まるで俺はずっと月子を想っていなくちゃいけないみたいだな。」

胸に深く突き刺さった言葉
違うとも、肯定の言葉も紡ぐことが出来ずに立ち尽くした私に、曖昧な笑みを返し、一樹はその場を立ち去ってしまった
一人きりになった教室で、痛いくらいに手を強く握りしめる



――どうして?




「日向、」

どれくらいそうしていたんだろう
馴染みのある声が私を呼び、我に返る

「…おーしろー…。」

「くひひ〜、ひっどい顔してるね。折角の可愛い顔が台無しだよ〜?」

「うるさい変態。」

赤髪三つ編みにゴーグルと白ブーツ
この姿を桜士郎の母親が見たら卒倒するんだろうな、と頭の隅でぼんやり考える
昔はやんちゃすぎて手を付けられなかったけど、今は変人すぎて手が付けられない

(でもまぁ…こっちの方が好きだけど。)

へらへらしている中に見え隠れする、優しく柔らかな空気
とても穏やかで温かく、昔なんかよりも全然心地の良いそれは、間違いなく一樹のおかげで手にできたものだ
家の柵にもがき苦しんでいた桜士郎に手を差し伸べてくれた一樹の存在は、桜士郎だけじゃなくて私にとっても大切で

彼が私の中の特別になることに、そう時間はかからなかった

だけど

「どうして、あんなこと言っちゃったの?」

「…聞いてたの?」

「悪いなぁとは思ったんだけどね〜。…でも、あんなの言ってるの聞いたら、通り過ぎるなんて出来ないよ。」

ふと、真面目な声色と共に大きな掌が髪を擽る
その熱が余計に胸を苦しくさせる
どうして?
そんなの、こっちが言いたい

「だって…一樹は、月子ちゃんをずっと守っていたじゃない。ずっとずっと、あんなにも大切にしていたのに…!」


どうして私を選んだの?一樹。


「桜士郎だって言ってたでしょ?月子ちゃんといつか幸せになってくれたらって。一樹のあのひたむきな想いが報われるようにって…ずっと…!」

私だって、知っていた
どういう経緯かなんて知らないけれど、一樹が月子ちゃんをこの学園に入学してくる前から大事にしていたこと
近づきすぎず、離れすぎず、彼女を守っていたこと
彼女を見る瞳の柔らかさと、愛おしさを含んだ微笑み
適わないと思うくらいのそれを、ずっと近くで見ていたから

「…確かに、俺もそう言っていたよ。でも、俺は結構前から一樹が日向を好きだって、知っていたからね。」

「え…。」

桜士郎の思いもよらない台詞に耳を疑う

「まっすぐ俺の瞳…あ、ゴーグルかな?まぁとにかく、こっちを真剣な瞳で見てね。」


―『日向を、俺の手で幸せにしたいんだ。』―


蘇る

好きなんだと






ずっとお前が好きだったと言われた時の、私を映す一樹の綺麗な瞳






「俺は、一樹とマドンナちゃんが絶対結ばれないと嫌ってわけじゃないからね〜。ただ大好きな二人が幸せになったら良いなぁ〜って思ってただけだから。…それは、日向が相手でも変わらないよ。」

ゴーグルをずらし、少し困ったような笑みで桜士郎が微笑む

「自分の気持ちに嘘を吐いてまで幸せになってほしいと思うくらいには、一樹が好きなんだろう?」

その視線から逃げるように目を伏せれば、何度も瞼の奥にちらつく一樹の笑顔

「……うん…。」



手を、伸ばすことが許されるのなら



ねぇ、一樹




「好き…一樹が…好きなの…」








差し出されたその手を、取っても良い?








「そういうのは、ちゃんと俺に向かって言えよな。」





ふわり

柔らかな熱が、後ろから私を包み込む
その温もりに、瞳に薄く張っていた膜が弾けて、ぽたりと雫が一粒零れ落ちた

「か…」

「ったく。馬鹿だな、日向は。何でそこで引いちまうんだよ。」

低く、柔らかな声が窘める
その色は酷く甘い色をしたそれを前に、私の意地なんて脆い砂の城のように消えていってしまう

「くひひ〜、一樹ってば女泣かせだねぇ。よっ、罪な男!」

「うるせぇぞ桜士郎。頭冷やして戻ってきたら、何いちゃいちゃしてんだよ。」

「え〜?日向となら、いっつもこれくらい普通じゃ〜ん。」

「駄目だ。日向は俺の彼女なんだから、いくら桜士郎でもそう簡単にいちゃつかれたら困るんだよ。」

「うっわ〜やだやだ。嫉妬心丸出しなんて心が狭い男だねぇ一樹。そんなんじゃすぐに振られちゃっても知らないからね〜?」

私を間に置いた状態で繰り広げられる会話を口を挟む余裕もなくただ聞いていると、それに気づいた桜士郎がいつものようにくひひ、と笑って見せた

「日向、オメデトウ。」

「お、桜士郎…」

「今度の新聞の一面は、『会長遂に苦労が結ばれる!』で決まりかなぁ〜?こうしちゃいられない、早く原稿を書かないとね!」

「ちょっ、ま、何…!」

「良いな、それ。これでお前にちょっかいかけてくる奴がいなくなるってわけだ。」

「はぁっ?何言ってんの一樹まで…ってもう居ないし!」

桜士郎の馬鹿な提案に賛同する一樹に声を荒げた次の瞬間、目の前の赤髪変態男が姿を消していた
止めに行かないと明日私は羞恥で死ぬ、と思ったけれど、未だに回された私を抱きしめる腕にそれを阻まれる
改めて一樹の体温を感じ、胸がとくりと跳ねるのがわかる

「……良いの?」

「ん?何がだ?」

「…月子ちゃん。あんなにも大事に見守ってきてたじゃない…。」

嬉しくて、それでもやっぱり不安で、この期に及んでも私の口は可愛くないことしか紡げなくて辟易とする
けれどそんな私のことなんてお見通しなのか、一樹は柔らかく笑い声を零して私の身体をくるりと反転させ向き直った

「確かに月子は大切だけど…、俺はあいつに幸せになってもらいたいだけなんだ。あいつは本当に妹みたいな…娘みたいな感覚で、恋愛感情とは違う。…日向に想う気持ちとは、全然違うんだよ。」

「、」

「他の誰かに幸せにしてもらうお前なんて、見たくない。俺の手で、日向を幸せにしたいんだ。」

もう一度紡がれる、自分への恋情
指の先からじわりと甘い痺れが走り、涙腺を刺激する


「…物好きだね、一樹は。」

「…そうだな。お前みたいな奴好きになるのは、俺くらいだろうな。」

「お互い様じゃない?」

「は?」





「一樹を好きになる物好きも、私くらいだよ。」





ねぇ、私もほんの少しだけ素直になって、その手を取るから




どうか離さないで、強く強く繋いでおいて





(小さな一番星が、祝福するように瞬いた)


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