傍に居られる幸福か、辛さか




「皇さん?」

「…あ、部長。お疲れ様です。」

「お疲れ様。珍しいね、昼休みに皇さんが道場にいるなんて。…と、言うか。そんな所に居るなんて。」

部長の言葉はごもっともで、私は眉を下げて曖昧に笑った

「ちょっと精神統一がしたくて…。」

「精神統一?」

「はい。弓を引かなくても、的前に座ると、不思議と落ち着きます。」

正座をして、ただそこに居るだけなのに
雑念がなくなり心が穏やかになるのは、きっともう習慣なのかもしれない

「その気持ちわかるな。じゃぁ、僕も隣にお邪魔しようかな?」

「えっ?いや、部長引く為に来たんですよね?じゃぁ私どきますよ!」

「たまにはこう言うのも良いよね。皇さんとも、ゆっくり話せるし。」

慌てて両手をばたつかせて断ったけれど、時既に遅し
隣で綺麗に正座をしてしまった部長はもう今日はこのままで居る気なのだろう、笑顔が有無を言わせない雰囲気だった
優しそうに見えるのに、こういうところは強いな、なんて思っていると、優しく右手に触れられた

「、」

「どうしたの?…爪の跡、こんなにはっきり付けて…。」

掌に残る、赤い4つの曲線
隠すのを忘れていたそれに苦笑いする

「心が荒ぶったからこその、精神統一なんです。」

強く強く、感情を押し殺す為に握り締めた証は、昨日の夜のもの
木ノ瀬の前では上手に隠せたのに、ダメだな

「…木ノ瀬くん?」

「やっぱりわかっちゃいます?もー昨日の夜腹立って腹立って、これでもかってくらい握り締めちゃって。」

あはは、と笑ってみるが、部長はただ黙ってそれを聞いているから、何だか虚しくなった

「…皇さんは、木ノ瀬くんが嫌いなのかな?」

「……いっそ嫌いになれたら、楽なんでしょうね。」

は、と小さく溜め息を吐き出し、自分の手に視線を落とす


「…部長。私、苦しいんです。」


「え?」








「木ノ瀬の傍に居ると、苦しいの。」








ぽつり

紡いだ言葉は、想像以上に弱々しく吐き出された

「だって、私が欲しいもの持ってるくせに。執着してないって、あっさり弓を置けるなんて…、悔しくて、狡くて…腹が立つ。」

もどかしい
嫉みとも羨みとも取れるこの感情
けど、そんな簡単に名前を付けられるような、そんな気持ちなんかじゃない
どろどろと心の奥底に渦巻く想いは熱くて、なのに冷え切っているような感じで
あの時、手を握り締めていなければきっと私は木ノ瀬を叩いていただろう

「そんな…そんな気持ちなら弓なんて引かないでよって、思ったりして。でも、そんな自分勝手な八つ当たりみたいなことを考えた自分も嫌で…。」

右手で目元を覆い、自嘲を零す



「…木ノ瀬の傍は、感情をいつも揺さ振られて…時々酷く、辛くなる。」



こんなこと言っても、部長を困らせるだけなのに、止まらない
ただでさえ予選前のプレッシャーなんかもあるのに
また胃薬飲ませてしまうんじゃないかな、なんて思っていると、部長が優しく話し掛けてきた

「…皇さんは本当に弓が好きなんだね。」

「っ、当たり前じゃないですか。」

間髪入れずに顔を上げて答えれば、ちょっと目を丸くした部長が、くすくすと笑う

「…何で笑うんですか?」

「あぁ、ごめんね。可愛いなって思っただけだから。」

可愛いなんて物好きな、とツッコミながらも、部長がいつも通りに接してくれるのが嬉しくて、心が少し穏やかになった
思えば、ここの部の人は皆優しい
弓を引けなくなった私に、同情とかではなく、くれたのは、温もりだった


「…でも、部長。私知ってるんです。木ノ瀬の中には、情熱も努力も、確かにあるって。…だから嫌いになんてなれない。」

「…皇さん。」

「執着なんてないって言ってたけど、少なくとも好きって気持ちがあるから、また弓道に関わってるはずです。じゃなかったらこんな形式ばった競技を木ノ瀬が続けるはずないですよ。」

木ノ瀬に今朝言った、あの言葉も嘘じゃない
本当に昨日一晩中考えて、私はあの答えにたどり着いた
けれど

「それにね、部長。…内緒ですよ?」

人差し指をそっと口元に添え、私は小さく微笑んだ









「私、好きなんです。木ノ瀬の弓が、凄く。…凄く。」









たどり着くまでのこの感情を、木ノ瀬は知らなくて良い










「だから、関わりたい。苦しくても辛くても、関わりたいんです。」

少しだけ優しく掌の傷痕を撫でてから、部長に困ったように眉を下げて笑いかける

「好きって、面倒ですよね。」

「……そっか。」

ふわり
私の言葉に頷いた部長が、優しく私の頭を撫でた

「…何ですか?これ。」

「ふふ。皇さんがいい子だから、つい。」

「いくつですか私はっ。」

よしよし、と撫でられ、何だか恥ずかしかったけれど、その手を払いのけるなんて出来なくて

「きっと木ノ瀬くんにとって、皇さんの存在は特別になるんじゃないかな。」

「え?」

「僕の勘、だけどね。」

いたずらに笑う部長に、私もつられるように頬を緩めた



木ノ瀬がまた弓道に関わるようになったことに意味があるのなら

私だってまた、この出会いは意味のあるものなんだと、信じたい

辞めた木ノ瀬と、辞めなければならなかった私の出会いを、意味のあるものにしたい





たとえ、どんなに苦しくても





(あ、もちろん部長の弓も大好きですよ!?)(ふふ、ありがとう。)



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