感情を掌に隠して
「あれ、木ノ瀬が早いなんて珍しいね。」
「、」
「…何で人の顔見てそんな目丸くするわけ?」
欠伸を噛み締めていたみたいな表情をしていたのに、私の顔を見た瞬間に押し黙ってしまった
私が出迎えるのじゃ不満?と尋ねると一瞬呆けていた木ノ瀬がまさか、と笑った
「皇こそ早いんだね。」
「何となく目が覚めちゃったから。天気も良いから備品を天日させようと思って。最近湿気多いから油断するとすぐやられちゃうでしょ?」
「確かに。殆ど山って感じだし、天候すぐに変わっちゃうしね。」
「本当だよ。でも、そろそろ梅雨明けるみたいだし、暑くなるんだろうなー。」
備品置場から持って来た矢やゆがけをそっと床に置いていると、木ノ瀬が隣に腰を下ろした
「手伝おうか?」
「良いよ。弓引きに来たんでしょ?」
「僕はロードワークが早く終わったから来ただけで、特に目的はなかったんだ。」
「…じゃぁ、お願いしようかな。弓は私一人じゃ出すの手間かなぁって思ってたけど、木ノ瀬が居るなら出せそう…、……木ノ瀬?」
木ノ瀬の言葉に甘えようと、ゆがけの中を確認しながら提案するも、どこか心在らずな雰囲気の相手に首を傾げる
「何?眠いの?」
「そういうんじゃないよ。意外だなって思って。」
「何が?」
「泣くかと思ったから。……昨日の夜。」
「、」
いつものおどけた様子を隠した木ノ瀬の言葉に、目を丸くした
「だから、結構普通に話し掛けてきたからちょっと驚いたんだ。」
少し眉を下げて、困ったような安堵したような表情で木ノ瀬が笑みを形作る
一応気にしてはいたのか、と感心したのは秘密だ
梅雨を忘れさせるくらいに気持ちの良い風が吹き抜けるのを感じながら、私はゆっくりと口を開いた
「…一晩、考えたんだけどね。――でも、結局これが全てかなぁって。」
「え?」
「木ノ瀬が今、ここに居ること。」
そう紡げば、木ノ瀬の瞳が僅かに揺らいだように見えたのは、気のせいだろうか
「寂しいって感情がなくたって、執着心がなくたって…どんなきっかけであってもまた弓道に関わってるんだから、きっとそこに意味があるんだと思うの。まだ弓道から得られることが、木ノ瀬にだってあるんじゃないかな?…団体戦もそう。」
持っていたゆがけを床に置き、木ノ瀬と身体ごと向き合う
「私は木ノ瀬がここで、また新しい世界を知ってくれたら嬉しい。」
そしてそれを、近くで私も見てみたい
そんな未来を、木ノ瀬と、弓道部の皆と迎えられるのか
殆ど博打だな、なんて思いながらそっと微笑んでみせた
すると、それまで黙っていた木ノ瀬がようやく空気を震わせる
「……変わってるね、皇は。何で僕相手に、そんな風に構うの?」
「内緒。」
「は?」
「嘘々。だって木ノ瀬、案外トラブルメーカーなんだもん。構われるのが嫌ならトラブル起こさないでよね。」
「別に嫌なわけでもトラブル起こしてるつもりもないんだけど。」
「無自覚とか一番困るんだけど…。あーぁ、結局弓まで出せないや。」
気が付けば結構時間が経っていて、仕方なく目の前のゆがけ達の手入れに専念することにした
そうだね、と同意の声を漏らし、木ノ瀬も弓の羽根を伸ばしたりしている
「でも本当、変わってるっていうか凄い入部理由だよね。月子先輩の射形に惹かれて、なんて。」
「そうかな?僕、あの弓を越えることが今の目標なんだけどな。」
「まぁ、目標あるのは良いことだけどさ。」
何がどうなったら越えたことになるのかな、なんて思いながら頑張れ、と小さなエールを送ると、木ノ瀬がそっと笑った
「今はそれだけが理由じゃ、ないけどね。」
優しい風を受けて笑う木ノ瀬に、そっと右手を握り締めた
(夏の訪れは、意外なほど優しく)
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