作品 | ナノ


17

「なァ、おれたち付き合わねェ?」

ほんのひと月前にそんな軽い言葉で始めたこの関係を、今おれは死にたくなるほど後悔していた。

昼下がり。
昼食の後片付けを終えたおれはオヤツを作るまでの僅かの間にキッチンを出て煙草に火を点ける。ちょっと前まで騒がしかったガキ共は皆揃ってお昼寝タイムらしく、甲板の向こうからいびきの三重唱が聞こえてくる。その中から心地好く耳に響くただ一つの音を追いながら一服終えた。日差しがやわらかく波は穏やか、なんともいい日だ。もう少ししたらそのただ一つの音がおれの名を呼びながらここに飛び込んで来るだろう。それを憂鬱に思いながら日差しに背を向けおれはキッチンに戻った。

この気持ちがいつからのものなのか。
珍妙な長い鼻のくそ野郎。ウソップの第一印象はそんなものだったはずだ。おれにとっちゃ麗しきレディ以外はお呼びじゃねェ。
けれど、くるくる変わる表情を好ましく感じ、適当な事を言っているようで思いのほか優しい言葉に胸を突かれ、気がつけば目が耳がいつもあいつを追っていた。
そのうち、姿を目にすればこっちを向けとイライラし、誰か他の野郎と楽しそうにしていると訳も分からずムカつくようになり。頭に血が上って蹴り飛ばしにすっ飛んで行き、何かと用事を作ってはキッチンに拉致するようになるまでそうは掛からなかった。

最初は「なんでおれだけが」と嫌そうにしていたが、面倒な野菜の皮むきをお得意のホラ話をしながら案外楽しそうにこなし、味見と称して内緒であれこれ食べさせると目を輝かせてそりゃもう嬉しそうな顔でおれが作ったものを喜んで食べる、それがまたなんとも可愛らしくて愛らしくて。時折見せる男気がこれまたとんでもなくカッコよくて。
その頃にはおれはもうどっぷりとウソップにハマっていた。

レディ至上主義のこのおれがだ。

自分でも信じられなかった、が、心の奥から湧き出るこの想いはウソじゃないし止められもしなかった。
けれどおれ達はどっちも男だ。自分の気持ちを自覚はしたが「男同士」ということに葛藤がなかったわけじゃない。それでも、この生まれたばかりの恋心をおれは大切にしたかった。だからおれは、おれ自身にきっちりと認めたんだ。
おれは、ウソップが、好きだ、と。

想いを告げたい。自覚してからはそればかりが頭の中に渦巻いていた。この想いを受け入れて欲しい、できれば恋人になりたい、もしそれが叶わなくても、せめてこの恋心を知って欲しい。けれど。
それはおれの勝手な気持ちで、ウソップがどう思うかは分からない。ひどく嫌悪されるかもしれない。最悪、もう一緒の船にいるのは嫌だと言われるかもしれない。それは、それだけは嫌だ。
だからおれは、注意深くウソップの様子を窺っていた。

おれに向ける笑顔は他の誰に向けるものより輝いているように見えるし、買出しの手伝いを毎回指名しても嫌そうなのは口だけで、顔は嬉しそうに笑っている。キッチンに呼びつければ飛ぶようにしてやってくるし、時々物言いたそうな目でおれを見ていることにも気づいた。そういう時は頬がうっすら染まってることにも。
もしかしてウソップのほうも、と、最初の危惧をすっかり忘れて自惚れた心は天高く舞い上がり、押さえつけるのはもはや困難に過ぎた。

でもウソップを怖がらせたくはない。
今すぐにでも押し倒してしまいそうなほど膨れ上がった気持ちをなんとか宥めすかし、おれは努めて冷静に、あまり重くならないようにさり気ない笑顔を浮かべて、なんでもない世間話のように言ったんだ。

「なァ、おれたち付き合わねェ?」と。

ウソップは一瞬固まり、そしてあの零れそうな大きな目を更に大きく見開き、そして、見る見るうちに赤く染まった頬のまま俯いてしまった。
おれはその様子を息を詰めるようにして見ていた。どうか拒絶されませんようにと心の中で必死に祈りながら。
しばらく黙ったままでいたウソップが小さくこくんと頷くのを見た瞬間、抱き締めようとした両腕を無理矢理止めてそっとウソップの髪をひと撫でしただけのおれを、誰か殴り飛ばしてくれ。

うぶなウソップを怖がらせたくない。そんなおれの無駄な努力は、無駄どころかウソップに妙な誤解を生ませてしまった。らしい。
告白して、頷いてくれて、晴れて恋人同士になったはずのおれ達。なのに。
あれからウソップは用のない時はキッチンに近づかなくなった。呼びつければ来るが、変に距離を取って傍に寄ってこない。味見と称して甘やかしても、あの愛らしい笑顔は曇りがちだ。
それなのに、甲板の遠くから熱っぽい目でおれを見ている。おれがそれに気づくとすぐに逸らされちまうから、気づかないふりをずっとしている。

何がいけなかったのか。おれの押さえつけたはずの「欲」がだだ洩れて、やっぱり怖がらせちまったのか。それとも今更ながらに「男同士」に拘っているのか。もうおれにはわからねェ。

あの告白からもう1か月。
おれの想いは滾るばかり、膨れ上がるばかりで、行き場がなくて爆発しそうだ。
もうすぐ晩メシの仕込みの時間。呼べばウソップは「なんか手伝うか」とあのふっくらとした唇がおれの名前を紡ぎ、遠慮がちな、でも熱で濡れたような目でやって来るに違いない。
そんな目でおれを見つめるくせに、どうして。
頼むから、おれから逃げないでくれ。
恋人、と呼んでいいんだろ?あの時頷いてくれたのは、おれの思い違いじゃないよな?
頭の中でぐるぐると回る言葉を何一つ言い出せないまま、たった一つのことだけが心に浮かぶ。

どうか、その唇に、想いのたけを込めて口付けを。


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