これを言うと大体の人に驚かれるのだけれど、私には高校一年生の頃から付き合っている恋人がいる。
確かに私は華やかな見た目をしているわけではないし、これといった特徴もない人間なので、恋人がいるというのは驚かれることなのかもしれない。
そんな私の恋人であるのは青八木一くん。私とは違う高校に通う、同い年の男の子だ。
青八木くんは私の生まれながらの幼馴染の手嶋純太の友達で、部活の仲間で、ロードレースの相方。
そんな私たちが出会うきっかけとなったのは、やはりと言うべきかどうか、純太だった。

私と青八木くんが付き合い始めて一年以上が経つ。
青八木くんは私のことを名前と名前で呼ぶ。私は"青八木くん"と苗字で呼ぶ。
この呼び方は付き合い始めてから一度も変わることなく、私たちはお互いをずっとこう呼び合ってきた。
さて。どうして今こんなことを思い返しているのかというと、答えは簡単。
青八木くんがどうして自分のことを苗字で呼ぶのかと、そう聞いてきたからだ。
今日は土曜日。青八木くんは部活がお休み。部活に忙しい青八木くんと私が会えるのはそんな時くらいだ。
青八木くんの部活がお休みで、私にも予定がなくて。お互いの予定が合えばこうやって会うようにしている。
興味のある展覧会などがあれば美術館に。特になければ、お互いの家にお邪魔しに。そんな風に過ごしている。
今私は青八木くんのお家に、正しくは青八木くんのお部屋にお邪魔していた。
青八木くんと付き合って一年以上が経つけれど、青八木くんのお部屋に入るのはまだ片手で数えられるほどだったりする。

「……名前?」

なんて様々なことに思考を巡らせていると、青八木くんに名前を呼ばれた。
ほら。やっぱり青八木くんは私のことを名前で呼ぶ。別に嫌というわけではないけど。
ああ、なんだっけ。そうだ、青八木くんはどうして自分のこと、苗字で呼ぶのかって。そう聞いているんだっけ。
特に理由なんてない。初めて会ったときに、苗字で呼んだから。だからそれを続けているだけ。
そういえば青八木くんも初めから私のことを名前で呼んでいたっけ。その時はとても驚いた。
どうしてかと聞いたら、それは純太の真似をしたのだと答えてくれた。
確かに純太は私のことを名前と呼ぶ。私のことを名前で呼ぶ男の子はこの世で純太と青八木くんだけだ。

「青八木くんと同じだよ」
「……?」
「純太の、真似」

純太は青八木くんのことをずっと"青八木"と呼んでいる。私と同じように、苗字で呼んでいる。
だけど本当のことを言うと別にその真似を、純太の真似をしたわけではない。
私は基本的に男の子のことはみんな苗字で呼ぶから。だから青八木くんのことも最初にそう呼んだだけ。
それをただ、今も続けているだけ。苗字呼びしていることに特別な理由なんて何もない。
そういえば言ってから気付いたけれど、まるで純太のせいにするような言い方をしてしまった。
ごめんね、純太。心の中でこっそりと謝っておく。

「……手嶋の名前、出されると。何も、言えない」
「……」
「けど、名前で呼んでもらえたら、嬉しい」

目つきの悪い、片方しかはっきりと見えない瞳。
それが真っ直ぐに私を見つめる。片目だけなのに、とても強い視線。
純太のせいに、人のせいにしてしまった罪悪感からか、思わずそれから逃げるように目を伏せた。
正座した私の膝と、そこに置かれた手が、ぼんやりと視界に映る。
私の正面に座っている青八木くん。その胡坐をしている足も、少しだけ映って。
その座り方に、男の子なんだなあと。見慣れないフローリングに、男の子の部屋にいるんだなあと。
当たり前のことを思って、なんだか少しだけ、照れくさくなった。

伏せていても強く感じる、青八木くんの視線。
私の答えを待っているんだろう。名前で呼ぶか、呼ばないか。その答えを。
さっきも言ったけれど、私は基本的に男の子のことは苗字で呼ぶ。
純太のことは名前で呼んでいるけれど、純太は生まれながらの幼馴染だから例外。
つまり男の子のことを名前で呼ぶという習慣が、概念が、私にはないのだ。
だけど青八木くんは違う。他の男の子とは違う、恋人という特別な存在だ。
だから青八木くんがこうやって名前で呼んでほしいって言うのはおかしくないし、分からなくもない。
むしろ私が青八木くんのことを名前で呼ぶのは、当然のことだと、思う。思うんだけど、

「……もう少し」
「……」
「もう少し、待って、ください」

やっぱり私には十七年、男の子の名前を呼ばずに生きてきたことが染み付いていて。
それを覆すのは、私にはなかなか難しいことだったりするのだ。
どんな顔して、どんな声で、どんな口調で、どんな雰囲気で、呼べばいいのか何も分からない。
それを考えるためにもう少し猶予を与えてほしいし、もうひとつお願いを言うなら刺さるほどのその視線を外してほしい。

「分かった。待ってる」

ぐさぐさと刺さるほどの視線に負けて、少しだけ視線を上げたらばっちりと青八木くんと目が合った。
青八木くんのこういうところ、嫌いじゃない。むしろ好き。
人を真っ直ぐ見るところ。人と目を合わせて、話すところ。
だけど今だけはいただけないような気がする。青八木くんのせいに、するわけじゃないけど。
そんなにじーっと音が出るほど見られたら、名前なんて、呼べるものも呼べないよ。