※夢主娼婦設定





忘れたわけじゃなかった。

私はその辺にいる石ころのような、そんな平凡でどこにでもいるありふれた存在。
辺りの飾られた綺麗な宝石とは違う、ただ虐げられるようなものでしかない。

月夜の美しい夜。
そんなちっぽけな存在である私は窓を見上げて膝を折り、手を組む事しかできないでいる。
あぁ、誰か私をここから攫って行って。
いつの日か私に言葉と言う足枷を残していった彼は、今どこにいるのだろう。


『ジュダル様……』


自分の名前をそう名乗った少年は。
幾夜年月が経とうとも、自分の中にいる黒い面影は色あせることがない。
黒という無い色が鮮やかだと、矛盾しているようなそんな思いを馳せて私は祈る。


『私を…ここから連れ出して…』


色白と言うには不気味に光り、
金色の装飾の光る腕が私に差し出されたあの日の記憶は昨日のように蘇るというのに。

随分と私は汚れてしまった。
綺麗なままで入れるとは思っていなかった。
それでも、彼の手を取るには私はあまりにも汚れてしまったように思うのだ。
少し肌蹴た着物。昔よりも濃く私を彩るようになった紅。

迎えに来てほしい。けれどもこんな姿の私は見て欲しくない。
複雑に絡み合う私の蟠りは涙となって形になる。
あぁ、なんて浅ましいのだろう。



「バーカ。何泣いてんだよ」




なんで、思った途端に夢は現実になってしまうのだろう。

見開いた瞳から堪えきれなかった塩分を含む水分が零れる。
掬うことも拭うこともないその涙は真っ直ぐに冷たい床に染みを作った。

目の前に、月を背にしている真っ黒な彼の姿は煌々と輝いて見える。



『嘘……なん、で……っ』

「約束したろ。あと数回、この月が昇る時…俺がお前を攫いに来るって」

『…あ…』



待ち焦がれた声をこんなにも聴きたくないと思うことがあるとは。
本当は来てくれないんじゃないのか、あの言葉は嘘だったのではないのか、と心のどこかで思っていた自分がいる。

でも、目の前に立っている彼は紛れもなくあのジュダル様だった。
あの日私に救いの手を差し伸べてくれたあの人だった。


『…ダメ、です』
「…一応聞くけど、何がだよ?」
『私はもう汚れてしまいました。貴方様のお傍にいることなど叶いません』

―約束は、果たせなくなってしまったのです。


滲んだ涙に一瞬前が見えなくなる。
俯いた私の視界にジュダル様の素足がちらついた。

やめて、近付かないで。
それと呼応して近付いて欲しいと思う私はやはり浅ましいのか。



「名前、勘違いするな。あれは約束じゃねぇ」
『え…?』



思わず引っ込んだ涙。
弾く様に顔を上げればジュダル様の綺麗な指がクッと私の顎を掬う。

美しい赤い瞳が私を射抜く。



「俺がお前を攫う。これは命令だ」

『ん…っ、』



口答えなど許さないとでも言うように、触れた唇が噛まれ私の濃い紅は血に上書きされていく。


「…それに汚れてなんかねェ」
『でも…』

「赤く染まるお前は綺麗だ」


つんとした鉄の匂い。
普通なら嫌と思うけれど、嫌いじゃないと思った。




「…やっぱり名前には赤が似合う」




口端に伝った赤を舐めとるようにもう一度口付けを落としたジュダル様。
もう私を固めていた紅は血で流れ落ちていた。






約束のキス
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