私たちは幼馴染だった。
幼い頃から林家と李家に派閥があったことは知っていたけど、私も紫苑もそんなことを気にしたことはなかった。
ただ、同じ使命を抱えた同い年の者がいて、幼心で仲がよくならない訳がなくて。
どこへ行くにも何をするにも一緒。
従者としての基本を叩き込まれてくじけそうになっても、隣にいたのは紫苑だった。
剣の術も、主に対する礼儀作法も、紫苑は私より熱心に習っていたように感じる。
しかし私の忘れていた記憶にあったのは辛く冷たい出来事だった。
「紫苑!何してるんですか?」
『わっ!青舜!びっくりした〜…』
「…鈴蘭?ですか?」
『うん!』
紫苑が中庭の片隅で見つめていたのは小さな鈴蘭。
『…綺麗でしょ?』
「はい」
『これ、秘密だからね』
「なんでですか?」
『私がこっそり育ててるの!』
無邪気に笑う紫苑の笑顔を、なぜ忘れていたのだろうか。
「じゃあ私も育てます!」
『本当?一緒に育ててくれるの?』
「勿論ですよ」
今思えばずっとここにあったことが紫苑と私の軌跡、何よりもの証拠だったというのに。
『ねぇ青舜、青舜は鈴蘭の花言葉って知ってる?』
「紫苑は知ってるんですか?」
『うん!鈴蘭の花言葉はねー…』
そう言いかけて紫苑は一度口を噤んだ。
『やっぱり内緒!青舜が私よりも大きくなって強くなったらね!』
「なっ!なんですか!背はちょっとしか変わらないでしょう!」
『1センチは上だもん!調べちゃダメだからね!』
あの時から背後に魔の手は忍び寄っていた。
いや、むしろ幼かった時の方が無知ゆえに危うかったのかもしれない。
「あらまぁ、随分仲のいいことで」
『……』
「…………誰、ですか?」
「青舜様、そんな下劣な輩とつるむのはお止めくださいまし」
「李家の恥になりますわ」
「そちらの小娘はまだ正式に林家の跡取りとは決まっておられないのでしょう?」
「…私は好きで紫苑といるんです。関係ありません」
『青舜…』
これは心から思っていたことだ。
昔は紫苑が周りからよく思われていないことは露骨だった。
当時子供だった自分でもわかる。
面と向かって罵声を浴びせてくるのは紫苑のことを何も知らない様な人たち。
紫苑のこともよく知らないくせに、紫苑を悪く言うなと。
思いっきり言ってやりたかったけど言えば逆効果なことはわかっている。
紫苑は私の後ろで顔を伏せて、私の服の裾を引っ張った。
もういい、と言うように首を振る紫苑。
それを見て私は行きましょうと紫苑の手を取って女性たちに背を向ける。
「…なんと生意気な…!」
幼き自分は女性の狂気というものを舐めていたのだろう。
「生意気なクソガキが……っ!!!!」
チキ、と嫌な音がした。
まさかと自分が振り向いた先。
紫苑に向かって振り下ろされた刃。
「紫苑っ!!!」
刹那、鋭い痛みが走った。
確か自分の体が動いたのは半ば無意識だった気がする。
『青…舜……?』
私の背から滴る血。
膝まづいた私と紫苑の間の足元には鈴蘭。
そうだ、あの時の鈴蘭をダメにしたのは自分だった。
紫苑を切るはずだったのであろう女性たちは私が紫苑を庇ったことに驚いたのか既に姿はない。
こんな時だけ都合のいい頭をしているものですね、まったく。
目を見開いて紫苑が私を抱え上げる。
その瞳には涙が浮かんでいた。
『バカ青舜!なんで!』
なんでだろうか。
聞かれずとも私には答えなんてわかっていた。
「好きだからに決まってるじゃないですか」
私はあそこで意識が途切れたことを、後に後悔することになるというのに。
誰かの為に覚えた治療の術を自分にここまで施す日が来ようとは。
父上の部屋に行く前に一度部屋に戻って全力で傷口を塞いだ。
止血もしたし、大丈夫。
ちょっと血が抜けてクラクラするぐらい。
『(……青舜…)』
ダメだ、今は忘れよう。
どう足掻いたって父上の下に行けば何かを言われるのだから。
『父上、紫苑です』
「……入れ」
『失礼します』
部屋の戸を開け、床に伏せったお父様の姿が目に入る。
病状は良くないらしい。入った途端に咳き込む父上。
慌てて父上の背中を摩って落ち着かせようとしたが、それはなかなか止まることはなかった。
「紫苑よ……今日はお前に言わなければならないことがある」
『……私に?』
「――――」
『………………え?』
そこへ行くことができたら
(もしも彼を、彼女をすくう方法があったのなら)
(ここまでの道は交錯しなかったのかもしれない)