揺れ動く、心と体。
記憶と現実。

しかし、ジュダルから耳に入れた言葉は驚くほどにストンとアスタルテの胸に落ちる。

だから誰も自分に忘れた記憶を教えようとしなかったのか。
だから紅覇は面白いと言ったのだろうか。
だからジュダルは、自分を玩具だと言ったのだろうか。

真意は誰の口からも直接聞いた訳ではない。
ただの憶測に過ぎないこの事態にアスタルテの頭は既にキャパオーバー状態だ。
シンドリアと煌帝国。今は特に交戦関係にあるわけでもなんでもないというのにどうして自分の中にはこうもイラつくような好戦的な気持ちになってしまうのだろう。


『……くそっ』


イライラしているだけで持て余した体をベッドに沈めればギシリとスプリングが音を立てる。

うつ伏せになるように倒れた体。
しかし倒れたと同時に首元に何かが食い込むような痛みを伴った。
なんだと体勢を仰向けに変えて首元を確認する。
チャリ、と軽い音を立てたのは紅玉からもらったネックレス。

紅玉は、一体何を思ってこれをくれたのだろう。
友達だと一方的にその感情を押し付けながらここ数か月生活を共にしてきた自分を彼女はどう思っているのだろうか。

自分をどう思っているのか、それは紅玉だけに言えたことではない。

白瑛は、白龍は、青舜は、
直接聞いてみればいいのに聞くのが怖いと思ってしまう自分もいて。
でも、そこでシンドリアの話が出てきてしまえば"今"の自分はそれを理解し、受け止めることができるのだろうか。

―否
強いと思っていた自分は、思っていたよりも脆く弱かった。

ものを考えたくなくなって、アスタルテはネックレスを握り締め、直後部屋を飛び出した。
目指す先。思考を止められるような仕事をくれるような場所。
ツカツカとこれほどまでに乱暴に廊下に足を叩き付けながら歩いたことはなかった。

だが、今はそんなこと気にしてられない。


『…紅炎!』
「アスタルテ?」

『仕事頂戴!!』


同時に、アスタルテが自分から仕事を貰いに部屋に来るなどということは今までなかった。
何事かと部屋の主である紅炎は一度瞬きをしてアスタルテを見たが彼女の表情は至って冷静に見えた。
だが、冷静というメーターが一回転してどこかおかしくも見える。


「どうした突然。お前がそんなことを言いに来るとは」
『…色々あって何も考えたくない、仕事頂戴』

「誰かに何か言われたか?」

『……』
「図星のようだな」


一筋アスタルテの額を伝って行った汗に、紅炎は確信に似た何かを感じていた。
手元にあった書類を机にトンと叩き付けた紅炎が立ち上がり違う机に積まれていた書類の束の方へと歩いて行く。

このまま何か仕事をもらえれば何も考えなくて済む。

それを目的にここへ来たと言うのに。
紅炎が丁度いい、とそれなりに厚くまとめられた書類の束を掴むと、アスタルテの目の前に差出して言い放った。



「今度のシンドリアとの外交契約、お前に手伝ってもらおう」



これは確信犯なのかそうでないのか。

そうでなかったとしたら
これは運命の悪戯と言うのか、残酷な現実と言うのか。






いつも柳の下に泥鰌は居らぬ

(………)
(どうしたアスタルテ?)
(…なんでも、…ない)

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