彼らの前からアスタルテが消えたあの日から、シンドリアの時間は止まった。
誰がこんなことになることを予想しただろうか。
それは血の繋がったシャルルカンでさえ予想しなかっただろう。
むしろ血が繋がっていたからこそ気付けなかったことも沢山あった。


「なんで…なんで教えてくれなかったんですか…!」


全てを知っていたジャーファルに殺気を背負いつつ迫ったこともある。
そうですよ!と共に声を荒げたヤムライハやピスティ。
そして無言ではあったがマスルールもいつもより少し鋭い眼光でジャーファルを見つめていた。

しかしジャーファルが顔色1つ変えずに言い放った言葉はまた辛辣なもので。


「アスタルテに頼まれたからですよ」


動揺の色を見せないジャーファルに腹が立ったのも事実。
しかしそんなことはなかった。
よく見ればジャーファルの拳は少し震えている。


「…アスタルテに…?」
「頼まれた、って……」

「人の死に慣れてしまったと言ったアスタルテにシャルルカン、貴方がふざけるなと声を荒げた日にアスタルテが言ったんです。
"今夜、あなたに話があります"と」

「!」


覚えがない訳ではない。
というより、あの時既に彼女は狂い始めていたのだ。


「…その、話って…」


そう思うと心苦しくて仕方ない思いが広がる中、ジャーファルが再び口を開く。

ただ一言。
しかしその一言に込められた思いは重く。




「頼まれたんです」




頼む、ということは最低限こうなることを予期しての事。



「きっと中途半端に仕事が残るだろうからと
ナルメスさんに迷惑をかけぬ様に既に自分が外交長官の座を辞すること

何より貴方たちの事

それともう1つ」



これは頼まれたことではありませんが、とジャーファルは一度間を置いた。




「ただ一言。

私が見た中では初めて涙を流して


"ごめんなさい"


と」




目を見開いたのはきっと今この話を聞いている全員であろう。
アスタルテが涙を流すところを見たことがあった人物がここにいただろうか。

唯一、その顔を見たことがあるのはシャルルカンだけ。
しかしここに泣きそうな顔を見たことはある人物はもう1人。
ダンッ、と大きな音を立てたのはマスルールの腕が壁を砕いた音で。


「……」


言葉にならない一瞬の呻きだけが聞こえる。
マスルールの隣でシャルルカンは一人頭を抱えずるずるとその場に座り込む。



「なんで俺は…!」



差し伸べられたシンドバッドの手を取ったのは自分。
シンドリアに訪れて生きてきた自分と、国に残されたアスタルテ。

巻き込まないようにと残したて来た自分の妹が必死に伸ばしていた手を掴んでやることができなかった。


―どうしてこうも無力なのだろう。


ジャーファルとシンドバッドは項垂れる彼らの姿を見て酷く心を痛めたのだった。
シャルルカンも、マスルールも、そしてジャーファルもシンドバッドも。
誰もがアスタルテに言いたいことがある。

なのに、彼女はもういない。

気付いた時には、傍にはいない。





木に縁りて魚を求む

(…ちっくしょぉ……!)
(……)

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