アスタルテが踏み出した一歩で砂利を踏む音がする。
雨音と、アスタルテたちの声以外の音は誰もが久々に聞いた気がした。

雨は降っているのに口の中はなぜか乾いている。
誰もがなかなか声を上げられない中、続く雨音という沈黙。
スッと持ち上がったアスタルテの手、細い指がマスルールをぴしりと指さした。


『私、あんたが嫌い』
「……それは知っている…が、今さらながらその理由がわからん」

『そんなのあの時の私からしたら簡単な理由。あんたには迷惑な話かもだけど』


10年ぶりに顔を合わせた兄と妹。
その出会いはまるで過去に何もなかったかのような笑顔から始まった。

無事だったのかと声をかけ、それがわかったと同時に笑顔を振りまくシャルルカンの姿をアスタルテがどう捉えたというのか。




『憎かったけど、やっぱり心のどこかで好きだった
だから本当に生きてるんだってわかった時それを嬉しがっている自分がいて

我ながら馬鹿だなぁって思ったけど、やっぱり剣を振るっている兄様はかっこよかった

だからそんな兄様をどこか無下にするマスルールを嫌いになった』




好きが嫌いが何が何だかわからなくなった末に、全てを笑うことでやり過ごしてきた。

アスタルテがシンドリアに来た時、憎しみを露わにしたのはシンドバッドの前だけ。
それ以外、アスタルテは飄々としていた。



『それを差し引けば、きっとアンタのことも好きになれたのにね』
「アスタルテ、お前…」

『ごめんね、もう遅いか』


初めて聞いた、アスタルテが素直に謝る姿。
こんな形で聞きたくはなかった。

しかし、そうして自分を偽っていなければ全てがその手から滑り落ちていくような、そんな感覚に襲われて。



『外交を通じて私は絶望した
憎くて憎くて仕方がない筈のこの国の全てが、知れば知るほど素敵な国だったから』



憎しみの矛先は全部下劣な男共に。
今日というこの日まで、アスタルテは何もかもを捨てる準備をしていた。




『私という存在は今日ここでいなくなる』

「……どういうことだ」
『悪いですけど、後の事頼みますねジャーファルさん』
「…はい」
「ジャーファルさん!?」





『私は…いくら賊とは言え今の兄様の愛するこの国の住民を勝手な私情で殺したんだよ。

だからケジメは付けることにした』




カラン、とアスタルテは持っていた槍を足元に捨てる。
もう血は全て雨で流れた。

後残っているのはアスタルテの中に残る罪悪感と、拭い去れない言い知れぬ思いだけ。






『ばいばい』





付き出した岬から、アスタルテの影が宙に舞った。
ここにいた全員が、このワンシーンをスローモーションに見たのは気のせいではない。

手を伸ばしても届かない、アスタルテに踏み出した足は雨に滑って体はその場に崩れ落ちる。

大きな水しぶきが上がる音。
落ちた、堕ちた、
アスタルテはこの荒れに荒れた海の中に飲み込まれていった。

伸ばした手も、上げた声も、全ては遅かった。



「っアスタルテーーーーー!!!!!!」



荒れる海の恐ろしさを、知らないわけがない。







―もうアスタルテは。






シャルルカンはこの日、初めて海を嫌いだと思った。









有終完美

















それはシンドリアに向かう途中の波も穏やかな海の上。


「んぁ?」


普通では考えられない、絨毯に乗ってその上を行く一人の少年は海に浮かぶ人の体を不審に思った。
長く黒い三つ編みにされた髪。
それと同じ黒い衣服を身に纏い、射抜くような赤い瞳が捉えたのは見たことがあるようなないようなそんな人物の姿。

自分の持っていた赤い宝石の装飾が施されたの杖でルフを操り、水浸しとなったその人物を絨毯の上に乗せた。



「オイ、起きろ」
『………あ?』



意外と簡単に意識を取り戻したその女はゆっくりと瞳を開き、体を起こしながら目の前の人物の顔を確認すると自分がいるこの場所が空を飛んでいる絨毯だということに気付く。
なぜ飛んでいる、という質問よりも先に彼女の口から発された言葉。



『ここは…どこ?

私は……誰?』



あぁ、これはいいモンを拾ったな。

そして少年―――ジュダルは言う。



「お前、俺の所に来いよ」










-第1部・完結-

第2部・煌帝国編へ続く

2013.02.18

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