炎天下の日差しが差し込む中、足は自然とあの場所に向かっていた。
市場を抜けるのにそう時間はかからずアリババの声など気にもせず走り抜けた。
あそこで振り向いてしまったらどうにかなってしまう。
悲しみも後悔もまだ拭いきれていない。
向き合おうと思っているのにこの体たらく、我ながらなんて無責任なのだろう。
息の上がるのと紛れて自分に向けたため息が漏れる。
泉の畔に座り込んで、無心になろうと思ってみたけどそれは叶わなかった。
―「幸せになってねシエルちゃん」
―「泣きたいときには…泣いてくれ」
―「アンタは悪くないよ」
自分の頭に責めるようにリフレインする声。
何をすればいいのかがわからない。
罪とは何か、罰とは何か、幸福とは何か。
「シエル!」
聞こえたアリババの声に返事はしなかった。
「あのおばさんは、自分の子供亡くしてもシエルの心配をしてくれてたんだぞ」
『…うん』
「セシルさんだってそうだ。命投げ売ってまで、憎んでた筈の…憎みきれなかったシエルを助けてくれたんだ」
―皆皆、優し過ぎるんだよ。
―セシルさんもあのおばさんも。
守るためにつけた力とは一体なんだったのか。
自我なんてものともしないままに放った矢には殺意しかなくて。
『どうせなら…一思いに責めてくれればよかったのに…』
誰かを殺そうとすために力を付けようとしたんじゃない。
『…私に……幸せになる権利なんてないよ』
立てた膝に顔を埋め、一筋だけ瞳から涙が零れ落ちる。
シンドバッドに言えなかった、抑え込んだ気持ちを吐き出した。
誰よりも皆を幸せを願う彼に。
その人物を思い、死んでいった者だっているのに幸せを求めるという行為が何を示すのか誰も答えは教えてくれない。
例え本人が望んでいたとしてもそれは許されないような事なきがして。
「…"お前がいたから赤ん坊もセシルさんも死んだ。"
"お前のせいだ"、って……言われたいのか?」
『……』
そうだ、と言えたらよかった。
でも臆病な自分には無言を貫き通すということしかできなくて。
そんなシエルにアリババはグッと拳を握って声を張り上げた。
「甘ったっれるな!」
『!』
背後に立っていたアリババがシエルの正面に回りその両肩を掴む。
予想以上に強い力で肩を掴まれたことに伏せていた顔を弾かれたように上げればキッと目を吊り上げたアリババがそこにはいた。
「残された奴は逝っちまった奴の分全部受け止めてやんなきゃならねーんだ!
あのおばさんもセシルさんも言ってただろ!
シエルは2人の分まで…いや、それ以上生きなきゃダメだ!」
まっすぐと交わった視線。
「お前は…シエルは生きて……幸せになんなきゃダメなんだよ…!!」
その声はまるで祈るようにも聞こえた。
『アリババ…くん…?』
「死ぬなんて罪滅ぼしは誰でもできる!」
「だから!そんなトコで座り込んでねぇで!」
「立てよ!」
「お前は今生きてんだろ!!」
『!』
生きている。
確かに己の心臓は鼓動を刻み、動いている。
その命が救われたものだったとしても、シエルが生きているということに変わりはない。
生かされた命をどう生きるか。
本人が決めなければならない、この道を。
「それなのにお前は!幸せを願った2人を裏切るのか!?いや、2人だけじゃない…!
シンドバッドさんもジャーファルさんも、アラジンやモルジアナだって…シエルの幸せを願っている人なんか他にもいっぱいいる!」
『…アリババ、くん……』
「それを裏切るってんなら…俺が今シエルを……!」
腰から抜いた剣を持つ手は震えていた。
アリババの頬に一筋の涙。
できるわけもないのに今この場で手に取った剣。
あぁ、この人はこんなに綺麗な涙を流せる人なんだなって、
へたり込んでいた身のままで、アリババの震える手を両手で包み込む。
自分の手も微かに震えていて、その手でスッと剣を下ろさせるとアリババはハッと目元を擦り出した。
「あのさ…ちょっと長くなるかもしんねーけど、聞いてくれるか?」
『……うん』
アリババは話し出す。
幼い頃、自分がスラムにいた話。
自分に流れる王族の血が生んでしまった内乱。
馬鹿な自分のせいで亡くした父親。
家族とも呼べる友との死別。
今の明るい彼からは想像もできない過去にシエルは絶句するしかなかった。
それに加えて、これからやって来るであろう煌帝国の使節団。
話し終わるまでに、再びアリババの手は震え出していて。
それを見てシエルはもう一度アリババの手を取った。
「…俺、カシムやアラジン…シンドバッドさんにも助けてもらってばっかで」
『…』
「情けなくて、スゲー落ち込んだ時もあった」
顔が俯き、ぎゅっと手が握られる。
アリババの表情は伺えない。
でも繋がった手から伝わってくる。
「でも、その度にアラジンは手を差し伸べてくれたんだ」
『アリババくん…』
「シエルもさ…手を差し伸べてくれる人、いるだろ?」
『………うん』
「だからさ、」
「幸せにならなきゃ、駄目なんだよ」
伝った涙が重なった掌に落ちた。
シエルの頬に伝ったそれは再びアリババの頬にも流れている。
どこかで露に濡れた葉の滴が落ちたのか、泉に広がる小さな波紋。
小さな波紋はやがて大きくなっていき、そして消えていく。
「……ワリ、泣きながらじゃカッコつかねぇよな」
彼はこの剣を取って立ち上がるのにどれだけの覚悟をしたのだろうか。
『…ううん。アリババくんはカッコイイよ』
そんな困難を乗り越えて、彼は生きている。
カッコ悪い筈がない。
誰にもカッコ悪いだなんて言わせない。
『アリババくんは…』
「?」
前に、過去を話してくれたモルジアナにも聞いたこと。
『今、幸せ…?』
シエルの問いにアリババは一度目を見開き、反動でまた零れそうになった涙を腕で目元を拭う。
そして今一度、いつものような笑顔で答えた。
「あぁ勿論!」
その笑顔にシエルも釣られて笑った。
幸せってなんだろう
生きてる意味ってなんだろう
答えなんてわからないけど
それを探すのを生きる理由にしようかなって、思えるようになった。
「シエルー!!!」
『え…』
声がして振り向いた先に。
シンドバッドを筆頭とした全員がそこにいたことにシエルは驚いて目を見開いた。
その光景にアリババも"うおっ"と声を漏らし、目を見開いた。
優しいよ、優しすぎる程に
(この世界を)
(また一つ好きになれる)
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