暗闇の中で、シエルは一人になりたかった。
何も考えたくなくて。
でも考えなくてはいけなくて。
でもこの矛盾する気持ちをどうにかするのは自分しかいない。
何のために自分がここにいるのか。
自分は今の状況をどうしたいのか。
それすらも分からない中、闇は刻一刻と迫り来ていた。
誰にも傷付いて欲しくないから、シエルは一人でここにいる道を選んだのだから。
『…あなたが、これの差出人ですか?』
「……」
沈黙は肯定。
シエルは今目の前に立っている人物が我が命を狙うものだと悟った。
その姿は一度市場で見た時と酷似しており正直なところ聞かなくても安易に推測することはできただろう。
手には鋭く光る剣、暗殺者として顔を見られない為の黒い布は全身を覆っており同一人物かはわからない。
これはシエルの直感だ。
あえて言うならば纏う殺気があの時と同じだと感じたから。
ジンはもちろん左足に付けているホルダーにはジャーファルから貰ったナイフが収まっている為、最終手段の正当防衛はできる。
どう対応するか、シエルがホルダーに手をかけた時。
『…え…………?』
シエルは気付いてしまった。
相手の剣を握る腕に包帯が巻いてあることを。
間違えはしない、あの包帯は紛れもなく"今日シエルが巻いた記憶のある位置"だ。
『その…包帯は………』
最悪の答えが頭をよぎる。
そしてその予感は、無情にも見事に当たることになるのだ。
長い黒髪がぱさりと重力に従って落ちた。
―「父はシンドリアの人なんだけど実は私の母は煌帝国出身なの。だから私は煌帝国の文化には詳しいのよ」
―『あ、だから名前がシンドリアなのに綺麗な黒髪なんですね!綺麗で羨ましいです』
―「あらシエルちゃんの銀髪だって綺麗じゃない」
そう言い合った記憶が頭をよぎる。
『…セシル………さん…?』
頭の中でだけは否定をしたかった。
でもそれはできなかった。その答えには確信しかないのだから。
シエルの消え入りそうな声を聞き取った暗殺者が…いや、彼女が。
顔を隠すように纏っていた布を解いた。
「包帯だけで気付かれるなんて…流石、優秀ねシエルちゃん」
布と同じ黒色の長い髪がパサリと落ちる。
この場でだけは見たくなかった。
信じたくなかった人物の登場に頭は混乱を招くだけ。
嘘だ、なんで、どうして。
疑問という疑問に答えが1つも出てこない。
剣を構えているセシルに対し、正当防衛だなんていう行動はかき消されてしまった。
「この状況…理解はできている?」
『セシルさんが……暗殺者で、私の命を狙っている…』
「90点ね」
『え?』
「私は"元"暗殺者よ。暗殺業からは足を洗った筈だったわ」
『じゃあ…なんで……ッ!?』
言葉を紡ぐ途中に頬に鋭い痛みが走る。
狂いなく顔面を狙った斬撃を間一髪で避け壁に剣先が勢いよく突き刺さった。
皮一枚、という表現が一番近いであろう。
切れた頬から血が滴り落ちる。
「あんたが!!!シンドバッド様たちにあんなに気に入られているのが気に食わない!」
『!』
「私たち下女はね…ポッと出のあんたなんかよりもずっとずっとあの方をお慕いしてきたのよ…!
それなのに!あんたは突然やって来て、あの方のお傍にいる!」
『あの方…?シンドバッドさん…?』
「軽々しく口にするな!」
『っ、…あ!』
壁に背中を打ちつけられ、首に手がかかる。
圧迫された呼吸器でまともに息をすることはできず、かといって暗殺者であるシエルの手を振り払うことは不可能。
でもなぜだろうか。
セシルのこの憎しみに染まった瞳に、ここで殺されたっていいとすら思えてしまうのは。
「あんたがいるから…!あんたがいるからシンドバッド様は…!」
振りかざされようとした切っ先が目の前に迫った瞬間に背後から第三者の声が聞こえた。
その声の主をシエルはよく知っている。
「なーにしてんだセシルよぉ」
闇に現れしは闇からの刺客。
「ジュダル様…!?」
『…ジュダル…さん…?』
その時遠くで、何かが爆発したような音が聞こえた。
混沌とした闇の中、希望はまだ訪れない。
引き金は白濁の驕り
(照らし出すは怪しい三日月)
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