―そろそろ覚悟を決める時

―さぁ選ぶがいい

―お前が生きるは異界の荊道か元の荊道か








胸の高揚収まらない。
家族、とどこか今まで求めていたものを見つけたような気がして嬉しかった。

綻んだ口元から鼻歌が自然と漏れる。
ブレスレットが視界に入るとあの時は忘れてたがキスをされたことが頭に過って少し恥ずかしくなったりと今日の私の感情は忙しい。
そして仕事も忙しい。
今日も今日とてシンドバッドさんの見張り兼お手伝いだった。

いつもより上機嫌な私にシンドバッドさんもジャーファルさんもマスルールさんも首を傾げていた。
そんな業務時間が終わってベッドで一段落。
今日は本当に気持ちが充実感に満ちていた気がする。

実は私はこっちの世界に来てから毎日日記を書いている。
昨日のページを開いてまた緩む口元。
さぁ書こう、とペンを手に取った時机の上に投げ出されていた一枚の紙が目に入った。


『あ……書類一枚出し忘れてた…』


現在それなりに夜遅くで。
今から持って行っても多分シンドバッドさんとジャーファルさんはいらっしゃるとは思う。


『迷惑…かな…?でも大事なものだったら申し訳ないし…』


日記を一旦閉じ、書類を持って自問自答。
書類の内容は私の処理できる簡易なものだが重要度は分からない。
きっと今頃シンドバッドさんがジャーファルさんにカンヅメにされてることだろう。

なら出さないで迷惑かけるより出して迷惑かけよう。

たった一枚の書類片手に部屋を飛び出した。
でもどこかそれを楽しんでいる自分がいる。


「エルさん!」
『きゃっ、アラジンくん!?』


背中にドンッと重量感と聞き覚えのある声が襲ってきて夜中にも関わらず声を上げてしまった。
声で誰か特定はできたものの衝撃には備えられない。

ビックリして後ろを振り向けば無垢な笑顔のアラジンくん。
悪気はないから怒れない…まぁ怒る気もないんだけれども。


「どこ行くんだいエルさん?」
『書類一枚出し忘れちゃって…今から出しに行くの』
「じゃあおじさんの所?」
『うん』
「僕も一緒なんだ!」


こんな夜中に?と言いたかったけど自分も同じようなものなので聞くのはやめた。
目的地が一緒となれば当たり前のように足が並ぶ。
そんな些細なことにまた口元が緩む。


「エルさんは真面目だねぇ僕ならそのまま寝ちゃうよ」
『一応置いてもらってる身だから。お仕事ぐらいしないと』


扉も目の前に迫り、私がドアに手にかけた時。











「最近随分シエルを気にかけますね」









中から思わず手を止めてしまうような会話が聞こえて来てピタリと足も手も止まってしまった。


「……それが悪い事か?」
「悪いとは言いませんよ」
「ならいいだろう」

「私には、貴方が彼女自身を見ていない気がしたので」

「…どういうことだ?」


聞き耳を立てることはよくないってわかっているのに。
体が、動かない。






「貴方が彼女に欲しているのは彼女自身ですか?それとも彼女に宿る力ですか?」


『「!!」』






ごくりと息を飲んで、体が少し震えた。

私に宿る力。
皆が特異だと言ったあのウリエルの力…?


「…どうなんだろうな」
「シン……あなたは…」






「彼女自身…と言いつつ俺が本当に求めているのは…力…なのか…」








「エルさん!!!!」


気付いた時には走り出していた。
苦しい。
息が上手くできなくなって、目の前が歪む。
嬉しいときに堪えた涙がこんな形で表に出てくるとは。

もう訳が分からなくなって。


―シンドバッドさんのあの言葉には私映っていなかったんだ。


私を思ってくれたのは私を見てくれていたからじゃない。
その先にある力を見ていたから。
力さえなければ私は今頃どうなっていたの?
家族っていうのはなんだったの…?

考えるのも嫌になって、王宮を飛び出した。
夜風が冷たく突き刺さる。
皮肉にも今日は私がこっちに来た時と同じ満月。
やけに綺麗な月が私を照らしているのに、もう自分の姿なんか見たくない。


結局ここにも私の居場所なんてなかったんだ。


いつの間にか王宮からずっと離れたとことまで来てしまっていた。
一人でこんなところまで来るの初めてで。
そういえば初めて王宮から出た時はシンドバッドさんのお忍びに着いて行った時だったなぁと、思い出してまた胸が苦しくなった。
その時に貰った、生まれて初めてのプレゼント。
嬉しくて堪らなくて、認めてもらえた気がして本当に嬉しかったのに。




―「なら、今日からキミはシエル・セレナーデだ!」





―「行く場所がわからないなら手を引いてやる」

―「留まる場所がないなら俺がつくってやる」

―「名前がないなら与えてやる」

―「怖いなら怖くなくなるまで傍にいてやる」




全部全部、嘘だったんだ。



目の前の大きな湖畔に映る月が怪しく、美しく光る。
吸い込まれるような月光。

私の足は勝手に泉へと進んでいた。

冷たい水が足先に染みていく。
筈なのに冷たさなんて全然感じなかった。
もう感覚すら感じないのだろうか。
ざばざばと音を立てて泉の中心へ。
既に水位は腰あたり。湖畔に映る月はもう少しで手が届きそうだ。

もう帰れないのかな?
帰れないとしても今度こそ死を覚悟してもいいのかな?




「シエル!」




醜いことに私の願望が幻聴となって聞こえてきたのかもしれない。
私なんかをあの人が追って来る筈ないもの。

湖畔の月の中心部。
突然深くなった水位に私の体は泉に消えた。
このまま消えられればいいのに。


思った癖に意識が消える前に見えたのは今幻聴だと思っていたあの人の姿だった。








溺れていく挽歌

(もう貴方に手すら伸ばせない)

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