「……よし!終わったぞ!」
『お疲れ様です』
最後の書類を投げ捨てんばかりの勢いで書き上げた書類をシエルが拾い上げトントンとそれを揃える。
ただやる気があまりないだけであって、やはり本気を出せばお手の物なのだろう。
いつもこうであればジャーファルも苦労しないものの、でもそうはいかないのがシンドバッドという人物だ。
「約束は約束だ!お忍びに付き合ってもらうぞ!」
『え!?今からだったんですか…!?』
「当たり前じゃないか!」
何のために頑張ったと!と凝った肩を回し嬉しそうに笑うシンドバッド。
確かにお忍びに付き合うとは言ったが今日この時にお忍びに行くだなんて思っていなかった。
嬉々として出かけようとしているシンドバッドにジャーファルの言葉を思い出す。
見張りの名目でシンドバッドについていたものの一応仕事は終わっている。
だが出かけてもいいのかはシエルには判断しがたい。
というか出かけてしまっては見張りも何もなくなってしまうのではないか。
「今から行くぞ。王様命令だ!」
『…怒られても知りませんよ…?』
「大丈夫だ、ジャーファルのお怒りは全て俺は受けるぞ」
『そ、それは駄目です』
もうシンドバッドを止めることができないのがわかった以上、お忍びは同罪だろう。
怒られるならむしろ自分にとシエルが言おうとした時、頭にシンドバッドの手が乗った。
「……じゃあ二人してお叱りを受けよう!それでいいだろう?」
頭から離れた手がスッと差し出される。
「それでは行こうか、お嬢さん?」
眩しい笑顔が降り注ぎ、シエルはシンドバッドに差し出された手を取った。
怒られることは確定かなと思いながらもどこか胸の高鳴りに忠実な自分がいた。
重ねた手がふと引っ張られ、体が引き寄せられる。
短い悲鳴を上げる間もなく横抱きにされたシエルにシンドバッドは大丈夫だと囁いた。
「しっかり掴まってろよ!」
『え……っ!…きゃああぁぁあぁぁぁぁぁ!!!!!』
窓に足をかけ、シエルを横抱きにしたままシンドバッドは飛び降りた。
男性に横抱きにされたという事よりも飛び降りた恐怖の方が勝ってしまい思いっきり目を瞑りシンドバッドにしがみ付いた。
叫び声を抑えることができずかなり響いてしまったがもうそんなことお構いなし。
高らかに笑うシンドバッド。半泣き状態のシエル。
相反する2人が地面に降り立ち、いまだ拭いきれない恐怖心にシエルの顔はシンドバッドの首元に埋まったままだ。
そして微かに震えているシエルの腕は離れないまま。
「すまない、何か一言言うべきだったな」
『…だ…大丈夫です』
「…もう少し落ち着くまでこうしておこう」
ぽんぽんと背中を小さく叩き、シエルの恐怖心が消えるのを待つ。
時間がたって震えが消えた…と思った矢先にやってきたのは羞恥心。
―よくよく考えたら凄く恥ずかしい状況なんじゃないか。
『!!!!!ごごごご、ごめんなさい!!!』
周りには誰もいないのが唯一の救いだった。
謝ると同時にじたばたと体を捻りシンドバッドの腕から抜け出そうとする。
だがシンドバッドの腕はびくともせず。
諭すようにゆっくりと地面に足を降ろされた。
『すいません……』
「別に構わないさ。もう少しあのままでもよかったんだぞ?」
『けっ!結構です!』
「それは残念」
『あっ……』
そう言ってシンドバッドはちゃっかりシエルの手を引いて王宮から外へと歩き出して行った。
市場まで慣れた足取りでやって来たシンドバッドとシエル。
この流れるような足取りを見ているとよく王宮を抜け出していることがよくわかる。
現に道行く人によく声をかけられるし、それに対しても気さくな対応だ。
後ろをついて行くのも恐れ多いと感じたもののついて来なければ来なかったでどこに行くかもわからなくなってしまう。
それではさすがに見張りの意味もない。
お忍びする以上は変なことをしないように見張っておかなければ。
『あの、どこか行き先は決まってるんですか?』
「ん?いや決まってないぞ。遊びよりかはこうして民との触れ合いをしに来ているからな」
『……』
シエルはシンドバッドのこういうさりげない所に王様の器を感じた。
民からも臣下からも慕われていて、何よりも国のことを思っている。
「あら王様!今日のツレはジャーファルさんじゃないのかい?」
「今日はお忍びなんだ。内密に頼むよ」
「可愛い女の子ツレちゃって!ご贔屓にしてくれたら黙っといてあげますよ〜?」
「はっはっは全く口が達者だな!ならまた、ご贔屓させてもらおう」
「流石王様懐がでかいねぇ!!」
王宮にいても、町に降りても。
素の自分のままでいるシンドバッドがたまらなくかっこいいと思った。
きっとそんな彼だからこそ家臣も民も彼に着いて行くのだろう。
やりとりに思わず口元が綻ぶ。
人の好さが外にもにじみ出ているんだな、と改めて実感した。
そうじゃなかったら自分も今ここにいないだろうから。
「王様!そっちの可愛い神官様にこちらなんていかがです?」
『え?』
指差された先には自分しかいなくて"私?"という間にシンドバッドが露店に並んだ金属器へと目を光らせていた。
「ほう…これはまたなかなかのものだな」
「でしょう?先日こちらに届いたばかりのもので品数も豊富です!」
『ちょ、あの、シンドバッドさん?』
「シエルはどれか欲しいものはあるか?」
買う前提で話が進んでる…!?
キラキラと輝くブレスレットやアンクレットを前にしてシエルの足が止まった。
シンドバッドは1つ2つと金属器を手に取りシエルに薦めてくる。
ちょっと待ったと止める間もなくなぜか店の人とシンドバッドがあれやこれやと話し合い。
本人の意思はどうした本人の意思は。
シエルが次にやっと声を出せたのは既に売買の終わった後であった。
『し……シンドバッドさん!』
「ん?」
『こんなことにお金使っていいんですか…!?』
「こんなことじゃないさ」
シンドバッドがシエルの手を取り、その腕に金色に輝くブレスレットを通す。
「俺からのプレゼントだ」
『でも…!』
「ジャーファルには内緒だぞ?」
『…はい』
秘密、と立てた人差し指を口元に当て悪戯にウインクしてみせる。
買っていただいた罪悪感。でも嬉しいという気持ちも確かにあって。
自分の右腕に通ったブレスレットを目線まで持ち上げた。
その様子を見たシンドバッドは満足気に笑い、その笑顔につられて口元が緩む。
上手く丸め込まれてしまった気もするがこの際好意に甘えることにした。
なんだか後でまとめてジャーファルに怒られてしまおうとすら思えてしまったのだ。
シンドバッドの楽観さが移ったのかも、とどこか他人事のように思いながらもシンドバッドとブレスレットを見比べては小さく笑ってしまうのだった。
時を忘れる諧謔曲
(…なんで貴方が今正座させられているかぐらいはわかりますよね…?)
(……はい)
(あ、あのジャーファルさん…私は…)
(あぁシエルはいいんですよ。どうせ強引に連れて来られたからだと思いますから)
((…否定できません……))
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おまけ
「見張りご苦労様でした」
『い、いえ…結局はお忍びに付き合ってしまって…』
「…それでも今日の分の業務は滞りなく進みました。上出来ですよ」
『それならいいんですけど…』
「あと、ところどころ修正してくださったみたいですね」
『?どうしてそれを…』
「筆跡が明らかに違ったので」
『あ…なるほど』
「なかなか優秀な助手を手に入れた気分でしたよ」
『よければ…あの、お仕事に差し支えがない程度ならお手伝いしますよ?』
「本当ですか?そうして下されば助かるのですが………あれ?シエル。そんなブレスレットしてました?」
『え?……あっ!』
「…隠してももうバレてますよ。別に怒ってるわけじゃありませんから」
『…はい…』
「朝はしてませんでしたよね?」
『これは…その…』
「……シンですか?」
『…………はい』
「一度口止めぐらいされてたんでしょうが…それくらいでは怒りません」
『…ほんとですか?』
「まぁ、普段なら怒るところですが」
『…!』
「シエルの為なら許しましょう」
『あ、ありがとうございますっ…』
(何気にジャーファルもシエルに甘いな)
(シンには言われたくないですね)