「…シエル、ちょっとシンの所についてきてもらえませんか?」
『…?私が、ですか?』
「はい」
ジャーファルが部屋を訪れため息交じりにそう言われたのは数刻前。
今日はまだシンドバッドが逃げ出したという話も聞いていない。
だからシンドバッドを探しに駆り出されるというわけではないだろう。
なんでだろうとジャーファルの後ろをついて行き、連れて行かれたのはシンドバッドの執務室。
「シン。入りますよ」
『し、失礼します』
「……シエルか!?」
『へっ?!』
ジャーファルが扉を開けるや否や自分に掛けられた声にシエルはビックリしたがなぜかシンドバッドはマスルールに首根っこを掴まれていた。
一体どういう状況かがいまいちよくわからない。
やはりマスルールを置いて行って正解でした、と息をついたジャーファル。
更に疑問符が増えるシエルにジャーファルが状況説明を。
「シエル、すいませんがちょっとシンを見張っておいてもらえませんか?」
『え?』
「…逃げ出すんで」
「失敬な!俺は自由を求めているだけだ!」
「それを逃げ出すっていうんです」
茶番のようにも見えるが彼らは至って真面目である。
マスルールにずいっと差し出されるシンドバッド。
かといって差し出されても受け取ることもできずマスルールが手を放せばシンドバッドは床に落下。
もう少し丁寧に扱えと言えばはぁ、と言葉にもならぬ言葉を返す。
心配をする暇も与えずジャーファルの冷たい視線と仕事しろという言葉が飛んだ。
有無を言わせないジャーファルの気に押され、シンドバッドは頭を垂れた。
「貴方と言う通りシエルも連れてきてあげたんですから仕事してください。私とマスルールは視察の方に行きますからね」
『え?えぇ?』
「ではシエル、見張りお願いします」
目まぐるしいやりとりでシンドバッドと見張りを押し付けられてしまったシエル。
隣で立ち尽くすシンドバッド。
「…よしジャーファル達はいなくなったな」
『シンドバッドさん、仕事!』
「まぁそう固いことを言うな!」
出入り口とは反対側…窓の方向に体を向けたシンドバッドに慌ててストップをかける。
予想はしたがまさかこんなにすぐに行動に移すとは思ってもいなかった。
その行動力を書類とか業務に生かせばいいのに…!とジャーファルも思っていることであろう。
シエルも従者たちの日々の苦労をなんとなく理解した。
このまま放っておいたら本当に脱走しかねない。
何のために自分が呼ばれたのかはわからないけれどとにかくジャーファルの言う通り彼には仕事をしてもらうべきだということはシエルにもわかる。
『だ、…ダメです…!』
「!」
『せめてお仕事が終わってからにしましょう!……ね?』
風でひらりと舞ったシンドバッドの服の裾を掴み、しっかり目を見て言い切った。
距離が近いのが気恥ずかしかったものの言えたことに少し達成感すら感じる。
シンドバッドは髪を乱しながら頭を掻く。
「…参ったな、そんな顔で言われたら少し頑張らざるを得ないじゃないか」
身長差のせいで必然的にシエルは上目使い。
完全に拭い去れない恐怖心からか瞳は少し潤んでいて。
服の裾を掴むという控えめな動作がその威力を格段に上げている。
思わずシンドバッドも顔を赤くしかけたもののそこは女慣れしている分留まることができた。
無意識の内に放たれた女の武器。
シエルの数年後が楽しみだと下心を胸の内に秘め、やれやれと席に着いた。
「…シエルはずっとここにいるのかい?」
『えっと…特にやることもないので…ジャーファルさん達が戻ってくるまではここいいようかと思います』
「なら俺の膝の上にでも」
『のっ、乗りません!!』
「はっはっは」
からかい半分。本気半分。
言ってみた言葉は真っ赤になったシエルにすぐに否定されてしまった。
しょうがないと机に向かい合いペンを手に取る。
「シエル」
『はい?』
さらりとペンを走らせ、一瞬手を止めてシエルへと顔を上げた。
「仕事が終わったら、俺のお忍びに付き合ってくれるか?」
少し驚いたように目を見開いたがシエルはきゅっと口を結び、でもどこか嬉しそうに。
ジャーファルさんに怒られるかな、と思いつつ。
『…終わったら、ですよ?』
早くシンドバッドが仕事を終わらせることを楽しみにしてしまう自分がいることに気付いた。
お忍びの小奏鳴曲
(…あ、シンドバッドさんそこの精算間違ってます)
(え?どこだ…?)
(ここです。あ、私が見ておきますんでそっち、続けててください)
(……優秀な部下が増えたようで嬉しいような悲しいような…)
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