シエルはボロボロになって床に倒れこんだシンドバッドに毛布を掛ける。
剣術を教えてくれと言ったシンドバッドに自分が教えられることをできるだけ教えきったシエルも久々の剣術に肩を痛めかけていたところだ。
剣術ができるとは言ってもシエルの剣術は戦いの主力ではない。
戦いの中で戦術を補う為の力としてシャルルカンに教えてもらったもの。
自己流にアレンジはしてあるものの、これがシンドバッドの剣術に合うものかは正直微妙と言うところだろう。
―しかし求める力が自分にあるのならば、全力て力を貸そう。
シエルは剣を握りしめてボロボロになったであろうシンドバッドの手を一度握り水を染み込ませたタオルをその手に巻いた。
母親も薬を飲んだからかぐっすりと眠っている様子。
すっかり2人の意識が夢の世界に落ちたことを確認してシエルはそっとシンドバッドの家を出る。
空に浮かぶ月夜は、どこにいても変わらない。
青白く光る月が照らす辺りは明るく、とてもこの国が腐敗しているとは思えないとシエルは思った。
『…綺麗』
しかし現実はまざまざと突き刺さる。
女子供、老人しか見当たらない冷たく冷え切った世間は瞼に影を落とさせた。
「やあ、こんばんは」
『!』
意味もなく砂利の音のする道を歩いていれば不意にかけられた声にシエルは目を見開く。
『ユナンさん!』
「さっきは突然失礼しちゃったからね。君にはちゃんと話がしたくて」
『私もユナンさんとは話がしたかったです』
ルフになって消えて行ったようにも見える彼の姿を、また瞳に映すことになるとは。
シエルはユナンに駆け寄って笑って見せた。
幻の様に見えた彼の姿はしっかりと今目の前にある。
『単刀直入に聞いちゃうんですけど、もしかして貴方は』
言葉の先はユナンの長い指に塞がれる。
今度は、ユナンが笑って見せる番。
「…その先は…君の中で秘密にしておいてくれると嬉しいかな」
『…了解です』
「じゃあ僕も聞きたいんだけど、君はこの次元の住人じゃないよね?」
『はい。…戻り方ってわかったりしませんか?』
「分かってるんだけど、大丈夫。ちゃんと元に戻るよ」
『?』
ユナンの掲げた掌に白いルフが集まってくる。
するとシエルの周りにもルフが取り巻く様に輝き出して、その光景はとても美しいものだった。
しかしこの光景が見えるのはこの世界に、この場所には今自分とユナンの2人しかいないのだと思うともの寂しくもなる。
真っ暗な世界。
光差すは青白い銀色の月。
そして眩いルフの光。
「君もルフに愛されているから」
『ルフに?』
「それに……他にもいろいろなものに、人に、愛し愛されている」
ブワッと辺りのルフがユナン目がけて集まって行って、その勢いにシエルは思わず目を瞑ってしまった。
「ばいばい。ウリエルとその主、シエル
またいつか、どこかで会おう」
次に目を開けばそこに彼の姿はなく。
辺りにはユナンを象るように輝いていたルフが、そこに残るだけであった。
そんな月夜の悪戯。
何に愛し愛されているのか。
深いところまでの理解はできなくても、シエルには今愛すべきものが、人がいる。
ならば最後まで見届けよう。
この迷宮が導く未来を。
シンドバッドが起きた時、張り切って朝食の準備をしているシエルがいるのは次の日の話だった。
シンドバッドの冒険9
(未来が決まっていても)
(今を生きる君は確かに"今"なのだから)
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