どうしてこんなにも非現実的なことに自分は恵まれてしまったのだろう。
シエルは家の外に飛び出したシンドバッドの後ろに続いた。
目の前に立っている青年があの人物であるという謎の確信のもとシエルは様子を見守る。
凛とした目つきは昔から変わらない。
シンドバッドにしても彼にしても、眼光の強さというのは幼い時から変わらないものなのだろうか。
「喜べシンドバッド、お前に我が軍から召集がかかった。3日後までに準備を済ませ、軍に入隊しろ」
「!!」
『軍…?』
「伝令は以上だ。息子の出世だ、貴様の母親も喜ぶことだろう」
シンドバッドが拳を握ったのが見えた。
軍に入隊するということはこの家を離れ国に忠義を尽くし剣を振るうという事。
それを理解していない程バカではない。
出世、と取るのかそうでないかと取るのかは本人の自由だが便宜上出世をしたのだと考えなければ心は折れてしまう事すら考えられる。
「喜ぶ…?そんなわけないだろ」
「なんだと?」
辺りの女子供や老人たちがざわついたのがわかる。
シンドバッドは目線を逸らすことなく言った。
そう言って自分の父は帰って来なかった、と。
隣の家のおやっさんも、向かいの家の兄ちゃんも皆帰って来なかった。
「俺は入隊なんてしない!」
国からの言葉を突っぱねてでも、護らなければならない家族や人々がいる。
強い瞳に秘めた意思がひしひしと伝わってきた。
「そ、そうだ!シンドバッドの言う通りだよ!」
「ずっとワシたちもそう思っていたんじゃ!!」
騒がしく揺れる街の一角。
シンドバッドが切った啖呵は街中に広がり不満をぶつける様に口を開く人々をドラコーンは、フッと嘲笑った。
瞳に宿す光の色は違うというのに、真っ直ぐに前を見つめるシンドバッドとドラコーンにシエルは拭いきれない違和感を感じた。
そして、ここまで人々を簡単に嘲笑うドラコーンに、申し訳ないと思いながらもシエルは少なからず嫌悪感すら覚えてしまった。
八人将としてシンドバッドに仕えるドラコーンは国の為人の為に尽くすような人物だった筈。
いや、今も国の為にと思っているからこうも歪んでしまったのかもしれない。
ガッ
「……!?」
「っうわ!」
『…剣をお納めください、ドラグル=ノル=ヘンリウス=ゴビアス=メヌディアス=パルテヌボノミアス=ドゥミド=オウス=コルタノーン様』
「ほう……俺の名前を知っているか。女、貴様何者だ」
『………名乗るほどの者ではございません』
「俺の剣を止める腕を持って名乗らないというのか」
『はい』
ドラコーンの鋭い一太刀はシエルの右手首に付いている金属器によってギリギリと音を立てて止まっていた。
シエルの肩を後ろにひかれ背後に思わず尻餅をついたシンドバッドが目を見開きながら2人を見つめている。
『剣は不得手なので』
「……貴様…我らに逆らうつもりか」
『そんなことは全くないです。私はただの通りすがりの女に過ぎませんよ』
悩みに悩んだが、シエルは名を名乗らないことにした。
ここで下手をすれば未来に影響はないとまでは言えない。
ならば下手に干渉しなければいい話。しかしシエルはそこまで非情にはなりきれないでいた。
「面白い…我らが軍門に下れ」
『……お断りは』
「調子に乗るなよ」
『まさか』
表情を一つも崩さないシエルに、ドラコーンは一度剣を引く。
「貴様ら下民が…陛下の勅命に逆らうなど許されんぞ!それでもパルテビア国民か!恥を知れ!!」
まさに剣のように差すような視線がシンドバッド、そしてシエルを射抜く。
そしてシエルは確信した。
やはりドラコーンは、自分の知っているあの人で間違いない。
国の為に人事を尽くす彼は確かにシエルの知っている人物だ。
今、パルテビア王国の軍は人手を欲している。
謎の建築物、後に迷宮と呼ばれるものの出現に混乱するのは無理もないだろう。
国直属の魔道士があの中に人智を超えた力が眠っていると言う。
『(…あそこは…バアルの、迷宮)』
その力を手に入れなければならないと豪語するドラコーン。
しかし、力はシンドバッドに宿ると未来が告げている。
「我が国の者なら命を賭して国に尽くせ!いいな!!」
自分が干渉することでまさかこの未来が変わるとも思えないが心配なのに変わりはなかった。
「女!お前もだ!」
『…現地でお会いしましょう』
ドラコーンは部下を引き連れ、背を向けて歩いていく。
「シンドバッド…!貴方も、大丈夫かい?」
『は、はい。大丈夫です』
「あぁ、俺も問題ないよ。ありがとうシエル」
『どういたしまして。自慢じゃないけど、ちょっとは強いつもりだから』
尻餅をついたままのシンドバッドに手を差し伸べ、シエルは拳を握って見せる。
今のシンドバッドはどれだけ強いのだろうか。
もしかしたら、すでにあのドラコーンよりも強いのかもしれない。
だがそれでもさっき飛び出さずにはいられなかった。
『…怪我…しなくてよかった』
「!」
シンドバッドは、気付いていた。
拳を握ったシエルの右手が少し震えていたことに。
「シエル…お前…!」
『え?』
先程、ドラコーンの一撃を受け止めた衝撃が、この細腕に受け止めきれるはずもなかった。
衝撃波のように右腕に走った痛みは計り知れない。
よくもあんなポーカーフェイスが通じたものだ。
辺りの老人は、女性は、この国を嘆き涙を流す。
なぜ、豊かな国を作ろうとしているのにこんなにも理不尽な死が付き纏うのだろう。
弱きものが血を、涙を流さなければならないのだろう。
「…ごめん」
『何で謝るの?シンドバッドくんに何もなくて、私はよかったから』
「ごめん…ごめん」
未来ある小さな乳飲み子にも、
自分を庇ってくれたシエルにも、
輝かしい未来が、ある筈なのに。
シンドバッドがシエルの手を取りひたすら頭を下げる姿を、ユナンは静かな瞳で見つめていた。
シンドバッドの冒険6
(無力な自分に腹が立った)
(それでもこの国を守りたいだなんて)
(おこがましいのだろうか)
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