『拓人は、私がいなくなっても泣いちゃダメだからね』




ある日唐突に名前はそう言った。
俺はその内容が理解できなくてどういうことか理解できなかった頭でもう一巡り考えを巡らせてみる。

それでも答えが出なくて、訳が分からないと思っているのが名前に伝わったのだろう名前が笑って口を開く。



『私、いなくなるんだ。遠い、遠い所に』

「引越し、か?」



名前が再び笑った。

そういうことか。
いなくなっても、という言葉にはとても重苦しいものを感じる。
そんなややこしい言葉を使わないでくれと若干思ったがその事はため息1つで水に流すことにした。

どこに行くんだ?と聞けば今度はさっきとは違う意地の悪い笑みを浮かべてヒミツだと言う。


「それじゃあ手紙とかも送れないだろ」
『手紙、こっちから出すからさ。待ってて』

「じゃあいつ引っ越すんだ?」
『それもヒミツ!』


俺に背を向けて名前は走っていく。

この先には俺と名前の家の分岐点。
あと50メートル程道を歩けばもう別れなければならないのかと思うと心苦しい。
苗字の手を捕まえて隣に並んで歩く。

毎日こんな小さな別れですら少し寂しいというのに。
苗字は呑気なものだ。
俺のこの気持ちをはっきりと言ってやろうかとも思う。
言った時の反応も気になるしいつか言ってやろうなんて考えているとあっという間の50メートル。



『バイバイ!』

「あぁ。また明日な」



名残惜しくも手を離し、俺と苗字は右と左に別れた。









―それが最後の別れになるなんて、思ってもいなかったから。













朝、けたたましく鳴り響いた電話に使用人から"お電話です"と言われて受話器をとった時、言い知れぬ不安を感じていた。
まさか、な。と一人解決をして誰からだと聞けば名前の母からだという。

疑問と不安を胸に受話器を耳に押し当て、神童ですとテンプレめいた台詞を発すると受話器越しに聞こえてきたのは名前のおばさんのすすり泣く声だった。
そして告げられた言葉に俺は受話器を落としかけた。




「名前が…死んだ?」

「ごめんね拓人くん。あの子…もうずいぶん前からもうダメだって言われてたんだけど…拓人くんには言うなってうるさくて……」
「名前………?」







―『拓人は、私がいなくなっても泣いちゃダメだからね』






なんで名前は突然あんな事を言ったのか。

もう分かっていたのかもしれない。

自分がもうダメだってことを。
そしてそれに対して俺に泣くなといったことも。




「今からそっちにお邪魔していいかしら?名前から預かったものがあるの」




そういうおばさんの言葉にイエスと返事をするのが精一杯で、俺はソファに身を沈めた。
その後いつおばさんが来ていつ俺に名前からの預かりものを貰ったかは覚えていない。

いつの間にか俺の手元には一通の手紙があった。



「"こっちから手紙出す"って……こういうことだったのか……」



こんな風には受けとりたくなかった。
それが本音だが手紙を開けないわけにもいかない。

自分にはこれを開いてこれを読む義務がある。

恐る恐る俺は手紙の封を切り一通のシンプルな真っ白い便箋を開いた。




"泣き虫拓人

私がいなくなっても泣いちゃダメだからね。バイバイ"




いつも俺の隣の席で書いていた丸っこい字で。
あの日最後に交わした言葉がそのままに。


やっぱり名前は行っていた通り、俺の手の届かない遠い遠いところに行ってしまったのだと実感した。
手紙を抱きしめて、俺は涙を飲み込んだ。

だが俺の心からの言葉は飲み込めなかった。







黒猫が最期に残した言葉

(お前を愛してる、と)


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