名前は元から天性のピアノの才に溢れていた。
名前自身もピアノを愛し、周りも名前のピアニストになるという夢に名前の両親も俺もなんの疑いも疑問もなかった。
音楽の事はよくわからないが名前のピアノは世界に通じるものなんだと肌で感じていた。


あの事故が起こるまでは


飲酒により泥酔した運転手によるあちら側が一方的に悪い事故。
それにより名前右手は致命傷を負ってしまった。
一定の時間を越えると痺れ、痛みを訴えるその腕はピアニストになるという名前の夢を完全に地に堕としてしまった。







「と、こんなもんだ」
「………」
「あん時は『死ななかったのが奇跡だったからいいの』って明るくしてたつもりなんだろうな。…でも悲しそうな目をしてたのを今でもよく覚えてる」



南沢先輩は全てを話してくれた。
苗字先輩の隠している右手の事。


「神童。俺がこの事を話したからにはお前には責任がある」

アイツを助けるっつー責任がな


ハッと顔を上げた。
南沢先輩は突き刺さる視線を俺に向けたまま。
交わる視線にシンとした部室。
今は誰も来ないで欲しい。
きっと今俺は情けない顔をしてる筈だ。


「情けねぇ顔すんな。俺はお前に可能性を感じてんだ」
「可能性?」
「アイツをまたあっちの世界に引き込んでくれるって可能性をな」



やっぱり情けない顔をしていたようだ。
見事指摘された後に託された可能性。


「名前が楽しそうにピアノ弾いてるのを話してくれたの昨日久しぶりに聞いたぜ。まさか相手が神童とは思わなかったが」


ユニフォームに着替えた南沢先輩はベンチに座ってスパイクに履き変えていた。
俺はまだユニフォームにすら着替えていない。
動揺の差が見て取れる。


「俺はが楽しそうにピアノを弾いてる名前が好きだよ。お前とは違う意味で、幼なじみとして」


だから、
靴紐を結んだ南沢先輩は立ち上がって俺の肩を叩く。



「お前が本当に名前を好きだと思ってるなら……アイツを助けてやってくれ」


横を通り過ぎて行った南沢が部室のドアを開けると、どうやら皆が来たようだ。
急に騒がしくなる部室。
だがその声はまったく俺の耳に届かず巡るのは苗字先輩の事だった。

今日も先輩は音楽室にいるだろうか。

そう思うも、俺は苗字先輩に会って何を言う気かがわからない。
でも、言いたい事沢山ある。
事故の事、苗字先輩の夢の事、南沢先輩の事。



「すまない霧野。練習先に始めててくれ」



霧野達の横をすり抜けて、俺は校舎へ走る。
まだ夕方ではない時間帯。
苗字先輩はどこにいるかわからない。
でも探さなければいけない気がした。


今すぐ苗字先輩と話がしたい。

今すぐ苗字先輩に会いたい。


会って俺の気持ちを伝えたい。



俺はまだ明るい廊下を駆け抜けた。






第5楽章
(俺があの人の隠した事実を知った日)

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