屋上で開いていたノートを置き忘れたた事に琴音が気づいたのはあれから数十分後の事だった。 もしかしたらあの一十木音也と言う少年が拾ってしまっているかもしれないがその保証もない。 一応、もう一度屋上に行ってみようと足を運んだが案の定そこにノートは存在しなかった。 『…やっぱり一十木くんが拾っちゃったのかな…』 かと言ってAクラスまで行って催促に行くのもどこか気が引けてしまう。 しかもそれ以前に人見知りな琴音自身そんなことできないという結論に至っていた。 どうしよう、と思った矢先廊下の前方から男とは似つかわしくない可愛らしいオーラを纏いながら林檎が走ってくるのが見えた。 どうやら琴音が目的らしくまっすぐと琴音に向かってくる。 「いたいた琴音ちゃん!」 『どうしたんです?』 「ちょっとね!とりあえず職員室まで来てもらうわ」 『えっ!?な、なんでですか…』 「詳しい話は後々!あっ!逃がさないわよ〜」 『ひゃぁっ!』 先生に職員室に来いと言われていい印象を持つものなどいないであろう。 逃亡を図ろうとした琴音だったがそんなことお見通しと言わんばかりに林檎が背後から抱きしめるように琴音をホールドする。 若干赤くなっている琴音に林檎はにっこりと笑いながら彼女をホールドしたまま職員室へと連行した。 「一ノ瀬!ちょっといいか」 担任である日向龍也に呼ばれ、機械的に席を立つ。 成績優秀なトキヤは普段先生等に呼ばれることがない。 ならばなんの話だと疑問に思いながらなんですかと問えば職員室に向いながら言う、と日向と肩を並べて廊下を歩くこととなった。 「それで、私に用事とは」 「お前のパートナー、恋愛禁止令破って退学になったの知ってるよな?」 「えぇ。勿論存じています」 「それでな、お前も1人になったしもう一人作曲家コースの奴があぶれてんだ。丁度いいから組ませてみるかって言う話になってな。……ただ」 「ただ?」 そこで日向がなんとも言えぬ渋い顔をする。 「まぁ…会ってみればわかるさ」 ガラリと職員室のドアを開けると来た来た!と林檎の声。 その林檎の腕にがっちり抱きしめられた女子生徒が1人、黒い楽器ケースを抱えながら顔を真っ赤にしている。 トキヤは突然目に飛び込んできた状況を理解するのに若干時間を要したが、いつも通り冷静な表情に変わって2人を見つめる。 「この子が新しいパートナーよ」 「一応Sクラス同士だから名前ぐらい知ってるだろ。ほら、朝比奈」 林檎が腕を離すと一目散に林檎の背中に隠れる。 『朝比奈、琴音……です』 小さな声でそう言って琴音は林檎の肩口からちょっとだけ顔を出す。 その様子はまるで小動物さながらの姿であった。 「…悪いコイツ極度の人見知りなうえに男が苦手なんだ」 「………その状況で私にどうパートナーを組めというのですか。私は1人でもやっていけます」 トキヤはそう告げたが日向がそれは許可できないと返答を突っぱねた。 「琴音ちゃんは味方に付けとくが吉よ。普段はあんまり人とか関われないせいで才能を発揮しきれてないけどこの子を甘く見てると痛い目見るわ」 珍しく真剣な表情で林檎がトキヤを見据えた。 だが、その後ろから覗く琴音にそんな際のがあるとはトキヤには正直思えなかった。 しかし中身は知れぬが楽器ケースを持ち歩いているぐらいだ。得意楽器はこれなのだろう事が伺える。 トキヤはため息をつき、琴音を見つめた。 「では、その才能とやらを見せてもらいましょう」 その言葉に林檎は表情を一転させ琴音をなだめるように頭を撫でる。 「ですって琴音ちゃん!楽譜、ケースに入ってるわよね?レコーディングルーム行きましょ!」 『あ、の……その…今楽譜は…「あ、いたいた朝比奈さん!」 『は、はいっ…!?』 楽譜が現在行方不明であろうことを言おうとした時、職員室に明るく響いたのは音也の声だった。 その手には今まさに琴音が言おうとしていた楽譜が抱えられている。 『…あ』 「あれ、トキヤじゃん。なんでココに?なんか問題起こしたの?」 「そんな訳ないでしょう。音也こそ、なんでここに」 「俺は朝比奈さんがリンちゃんに職員室連れてかれたって聞いて!はいコレ」 突然の音也の登場に動揺を隠せなかった琴音に差し出される楽譜。 ニコニコと笑顔で笑顔でそれを差し出す音也に一瞬肩を震わせたが、ゆっくりと乙矢に近付き楽譜を受け取る。 『あ…あり、がと』 「どーいたしまして!あ、ねぇ俺さ、さっきなんかしちゃったかな?突然走っていなくなるから…」 「オトくん。琴音ちゃん人見知りなのよ」 「そうなの?じゃあ俺がなんかしたわけじゃない?」 『はっ、はい…』 「よかった!君に嫌われてたらどうしようかと思ったよ!」 音也の言葉に火が出そうな勢いで顔を真っ赤にして琴音が再び林檎の背に隠れる。 「琴音ちゃんにオトくんは刺激がキツ過ぎたかしら」 少し腰が引き気味ではあったが、琴音が男子と喋っているのを目の当たりにして林檎は微笑んだ。 「それにしても…音也は彼女と知り合いなのですか?」 「知り合いって言っても会ったのはさっきなんだけどね」 トキヤの問いに音也は今までの経緯を話し始めた。 屋上に行こうとしたらフルートの音が聞こえ、それに感動したこと。 奏者である琴音に話を聞こうと思ったら走っていなくなってしまったこと。 その時の楽譜であると思われるノートを忘れていって今それを届けに来たこと。 話を聞いて、琴音の抱えている楽器はフルートだったのかとトキヤが1つの疑問を解決させる。 「で、俺もう一回朝比奈さんの曲聴きたくて!」 「じゃあ丁度いいんじゃないか?今からレコーディングルームに行くんだが一十木も行くか?」 「え?どうしてレコーディングルーム?」 「…私のパートナーに相応しいか見せていただく為ですよ」 「え!?トキヤ朝比奈さんとパートナーなの!?」 「その予定よん」 とにもかくにもとレコーディングルームに向かう一行。 当初の予定ではなかった音也も加わり、琴音は目眩を起こしそうになった。 『…月宮先生…、私やっぱりあの一ノ瀬さんのパートナーなんて…』 「ここまで来て何弱気になってるの!ほら入って入って!」 『きゃぁっ!』 林檎に背中を押されバランスを崩し勢い余ってレコーディングルームの床に倒れ込んでしまった。 そんな中でもしっかりとフルートは死守している。 『いたた…』 「…なにしてるんです」 『ごっ!ごめんなさい…!』 「むすっとすんなよトキヤ。大丈夫?」 ケースを体に打ち付けた所がちょっと痛かったぐらいで特に異常はない。 琴音が慌てて立ち上がってブースへ駆け込んだ。 そうやら立ち上がる助けと思って差し出した音也の手に動揺したようだった。 「すっごい人見知り…」 「と、言うかウブなのよあの子」 行き場のない手に寂しさを覚えながらもブース内でせっせとフルートを組み立てる琴音に視線を向ける。 「でも気をつけろよ。アイツ人見知りの並行して男性恐怖症だからな」 「嘘!?俺今度こそ嫌われたかな…」 「…そんなこと考える人とも思えませんが」 「そうよ〜。琴音ちゃんいい子だから人を嫌ったりなんて滅多にしないわ」 討論をしているとブースからマイクを通して琴音の声が装着していたヘッドホンから控えめに響いてきた。 どうやら準備が整ったようだ。 いつでもいいぞと日向が指示を出し、4人が口を閉じる。 心配そうな表情でトキヤを見つめる琴音に、トキヤは演奏を促すよう小さく頷いた。 それに後押しされたのか、琴音はフルートに息を吹き込んだ。 オリジナルで作られた世界は琴音により美しく描かれ、聴く者すべてを魅了する。 トキヤとて例外ではない。 さっきまでの真っ赤になって怯えていた琴音はどこへ行ったのか。 そう思うぐらいまっすぐで迷いのない音。 何とも形容し難い気持ちになる。 ただ、ずっとこの音を聞いていたい。この世界に浸っていたい。 そんな気持ちが胸中を駆け巡った。 だがどんなものにも終わりはくるもの。 音がゆっくりとフェードアウトしていく。 シンとした室内。 沈黙を破ったのは勿論元よりその音に魅了されていた彼だった。 「やっぱりスゲー!凄いよ朝比奈さん!」 おずおずとブースの扉を開けた琴音に音也が駆け寄る。 本当は勢いで手を握ったり肩に手を置いたりしたい所だが先程の教訓を生かし駆け寄るだけにしておいた。 ビックリしてもう一度ブースに引っ込みそうになった所を林檎にガシリと止められた。 そしてどこか誇らしげに笑う。 「どう?文句ないでしょ」 「…まぁ、合格ですね」 本当はそれ以上のものを見たが、それを素直に言う義理はトキヤにはない。 それであっても合格であるということに変わりはなく、琴音はホッと胸をなでおろし日向は素直じゃねぇなと息をつく。 「一ノ瀬トキヤ。Sクラスアイドルコース。…よろしくお願いします朝比奈さん」 『はっ…はい!』 普通なら握手の1つでもする所だろうが、2人の間にそんなものはいらなかった。 音が繋いでいくこの物語はまだまだ始まったばかり。 奏で始めた前奏曲 (いいなぁトキヤ…。あ、ねぇ朝比奈さん!琴音って呼んでいい?) (えっ…ど、どうぞ) (お前もあれぐらい素直になったらどうだ一ノ瀬?) (あれは音也が特殊なだけです) (だからそれが素直じゃないのよ) _ |