任務が終了し、報告を終えた二人は燐の部屋に辿りついた。
本来なら弟である雪男が寮には居るのだが、燐達が任務に出てから二日後に任務に出た彼はまだどうやら任務先にいるようで、寮はしんと静まりかえっていた。
パチリと部屋の電気をつけて、二人で使い古されたフローリングの上に座り込む。
「はーやっと帰ってきたな」
「お疲れさん」
「志摩もな。今日は飯食ってくか?」
「ええの?」
「あり合わせでよければいいぜ」
「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらいます」
「んじゃ、準備するか」
そう言って笑った燐が腕まくりをしたところで視界に白い包帯が眼に入り、咄嗟に志摩はその手を掴んだ。
その時に自分で思っていた以上に力を入れてしまい、しまったと思ったがそれはただの飾りみたいなものだと気づき、安堵すると同時に悔しくなる。
「なぁ、奥村君」
「ん?」
「奥村君が負った傷は本当に、全部すぐ治るん?それと痛みはあるん?」
自分の一言に目の前の青い瞳が疑問符をその表面に浮かべて、それから緩やかにあぁ、と肯定が返される。
先程淹れたカフェオレを飲みながら、さも当たり前のように燐は言葉を紡ぎだす。
「傷はすぐ治るけど、まぁ、痛みはあるよ」
勿論、知っている答えだ。
今更彼の口からそんなことを確認せずとも自分は今まで幾度となく、彼が人間ならば死に至るような怪我をその身に受けて断末魔のような絶叫をあげながらも、人間のそれとは比べ物にならないくらいのスピードで回復する様を見てきた。
けれど、だからなんだというのだ。
からからと響く笑い声と共に降ってきた言葉は志摩の神経に障った。
「…志摩?」
黙っている自分の様子をおかしいと思ったのか、彼が下から覗きこんでくる。
美しい海の底のような青い揺れる瞳を見て、自分の腹の内にある感情を理解する。
今、自分の内に存在する感情は悲しいだとか悔しいだとかそう言った感情だ。
「し「なら、どうしてこんなことするん?」
「え?」
自分の言葉にぱちりと瞬いた燐の手に志摩は視線を落とす。
その手には、傷があった場所を覆うように包帯が巻かれていた。
今日の任務で燐が仲間を庇って傷を負った。
勿論、それは今に始まったことじゃない。
燐は任務に出るようになると同時に大小関係なく無数の傷を負うようになった。
しかし彼は悪魔と人間の混血児であり、彼の体質が傷を全てあっという間に治してしまう。
だからこの包帯の下には、もう傷など一つも残っていない。
醜く引き攣れた傷も、あふれ出る血もない。
ただ真っ白な包帯と白い綺麗な腕がそこにあるだけだ。
それでも、この包帯を巻いたのは燐の体質をよく理解しているしえみだった。
(しえみ、すぐ治るから大丈夫だって。お前も知ってるだろう?)
(大丈夫じゃないよ!燐の馬鹿!)
普段から穏やかな彼女が唐突に声を荒げた為、燐は不思議そうに瞬いていて、そうして大人しく腕を差し出していた。
(あぁ、女の子はこういう時、強いんやね)
今日は同行していない、もう一人の少女のことも思い出しながら志摩は苦笑を零した。
志摩がそんなことを考えている内に、しえみは手慣れた様子でするするとあっという間に燐の手に包帯を巻いていったのだ。
「昼間、杜山さんが言いたかったことわかる?」
「しえみが?」
「そう」
「俺、そういうの苦手だからなぁ…」
志摩の唐突な問いかけに眉を僅かに下げて笑みを零す燐の手首を掴んでいた手と逆の手で志摩は包帯の上から軽く撫でる。
「ちょっ、くすぐってぇよ。志摩」
「なぁ、燐」
「…ッ」
低い声で普段はあまり呼ばない彼の名前を呼べば、一瞬息をつめたような音が二人の間で響く。
彼も自分のいつもと違う様子に気づいているのだろう、それでもなんでもないかのように振る舞おうとする。
だから、逃げられないように追い詰める。
「俺ら、そんなに頼りないん?」
「え?」
「俺ら、それなりに頑張って、燐が背中を預けられる程度には強くなったと思っとるんやけど」
違う、こんなことを言いたいわけではなかった。
もっと自分を頼って欲しいだとか、仲間を忘れるなとかそう言いたかった筈だった。
それでも口は自分の意思と関係なく、言葉を吐き出してしまった。
「志摩…」
一瞬の静寂の後、燐が口を開いて自分の名前を呼んだ。
しかしその唇が紡ぐ次の言葉を容易に想像できるからこそ何も聞きたくなかった。
だから言葉を紡ぐ前に塞ぐ。
触れた唇は暖かく、人のそれとどこも変わらない感触だ。
それなのに彼は自分とは違う生き物なのだと思い知らされる。
理解していても認めたくない自分を、現実は嘲笑うかのように残酷だ。
ゆっくりと触れていた唇を離せば、燐の声が空気を震わせた。

「ごめんな、志摩」

落とされる声の優しさに大声をあげて泣いてしまいたい。
きっと自分が何を言ったとしても、彼が仲間のかわりに傷つくのを止めないだろう。
燐が笑う。
笑っているのに、泣きそうな顔で、志摩の言葉を否定する。
「ありがとう、志摩がそうやって思ってくれるのは嬉しいんだ。でも、俺が決めたことだから」
何も奥村君が傷つくことなんてない、自分の命くらい自分の力で守ってみせる。
傷がすぐ治るからってそれが怪我をいくつも負っていいということにはならない。
まっすぐと自分を射抜くその視線に喉まででかかったそんな言葉達はどれも安っぽすぎて、彼の持つ意思には見合わない気がした。
そう感じると同時に、目の奥が痛む。
喚起の為に開けていた窓から風が、カーテンをはためかせながら部屋へと入ってくる。
鮮やかな新緑の匂いだ。
その匂いが染みて泣いてるのだ、と志摩は自分の瞳から落ちた涙に言い訳をする。
「泣くなよ、志摩」
困ったように笑った燐の白い指が志摩の頬を撫でるその感触はやはりまぎれもなく自分と何一つ変わらず、頬に数瞬ばかり熱を残して、消えた。



優しい君を守れる自分でありたいと強く願う

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