廊下ですれ違う人に挨拶をしながら目的の場所まで焦らないようにゆっくりと向かう。部屋の前で病室を確認してからそこのドアを開けた。
ベッドの傍まで行って、それから気付いたことが一つ、雑誌等はベッドの上にあるのにこの病室にいるべき奴が居ない。
「…またか」溜め息混じりの声が漏れる、何回目だと呆れる程に繰り返されているけど、どうにも慣れないし不安になる。
もしも、なんて考えても心臓の鼓動がどきどきと早くなって尚且つ焦るだけだってわかってるのに。
どうするべきかと悩んでみたものの、きっともう捜索に出向かれてるだろうなと今までのことを思い出して、他の患者さんも居ないみたいだから話し相手がいなくて退屈ではあるけど、待つだけ待ってやろうとベッドに腰を掛けた。
最初のころは驚いて混乱して、何故か私が涙目になって駆け回っていたっけ、でもその後に普通に連れ戻されてきて安心したのと同時にムカついた覚えがある。
うん、懐かしい思い出。でも、本当にもしもの事があったらどうしよう…、やはり不安にはなるもので、考えすぎてどうにかなりそうな位思考回路をフル活用させた時もあったっけ。
それは今でも一緒のことで、見た目は平然としてるかもしれないけど内心穏やかなことは無いんだよ。
…とりあえず、何をして待とうかなと思っていたら、廊下から足音と駄々をこねる声が聞こえてきた。
「ねぇ、もう少しくらい良いじゃんよー。」
「駄目です、ちゃんと安静にしてなさいって言ったでしょ?」
「ちぇー……、!」
あ、気付いた様な声を上げてから名前を呼びながら私の方に駆け寄って、抱き着いてきた太陽。良かった、今日もちゃんと帰ってきた。でも正直、苦しいし重たい。
ぎゅーっと抱きしめられるから少し痛かったりもする。まぁいいかとスルーして冬花さんに挨拶をすると笑顔で返してくれてやっぱり可愛い人だなって再認識した。
「いつもありがとう、なまえちゃん。」
『いえ、好きで来てるだけなので…、冬花さんも大変ですね。』
「ふふっ、なまえちゃんもね」
確かに、毎度毎度これは苦労するかも知れない…。太陽を見てから笑いを漏らすと「それじゃあ、」と戻っていった冬花さん。
ぱたぱたとスリッパの音が遠ざかるのを聞きながら、珍しく大人しくて静かな太陽に今更ながら違和感を感じた。
いつもなら私が冬花さんと話をしていようが割り込んでくるのに、可笑しい。
さっきは殆ど頭しか見えなかったけど今度はちゃんと顔が見えるように、と私にくっついたままの顔を上げて貰った。
…何て言うか、わかりやすく言うと小さな子供みたいだ。膨れっ面…っていうのかな、その上に自然と上目使いで少し睨んだ目つきをしていて、悪いけど怖いというより可愛らしく思える。
「…なまえ、久しぶりに会ったって言うのに僕より冬花さんと話す方が楽しいの?」
明らかにむくれていて、声も少し問い詰める感じで、なんだ簡単に言えば嫉妬か、なんて私の中では不明な点が解決してすっきりした。
それにしても、久しぶりとか言ってるけどそこまで久々では無いと思うな。昨日と一昨日はこれなかったからその前ぶり…?
前までは毎日会えてたから確かに長く感じるかもしれないけど大袈裟じゃないかな、…まぁいいや。
「ごめんね、太陽」私に抱き着いたままの太陽の背中に腕を回して抱きしめ返すと許してくれたみたいに顔が明るく満足気な表情になる。うん、本当にきらきらとしている。
それから太陽は私の首元に顔をうめた。くすぐったいのもあるけど、こんなに顔が近くにあるのはなんかこう、恥ずかしくなるから止めて欲しい。
「…やっぱり、なまえって良い匂いするよね。」
『え、そうかな…?』
「うん、なまえの匂い好きだな。」そう言って貰えて嬉しいような恥ずかしいような、自分じゃ匂いなんてわからないし香水とかもつけてるわけじゃないからそんなに良い匂いなんてしないと思うんだけど…。
「前までは僕と同じで病院の匂いだったのに」と太陽は変化が面白い様に笑う。
太陽の言った通り、私も1年程前までは此処に入院していた。といっても、太陽みたいに小さい頃からってわけじゃなくて事故で怪我をしたからだった。
野良猫を助けようとして入院するはめになるなんて、自分でも思わなかったけどね。
親や友達には馬鹿って言われ叱られるかと思えば「なまえらしい」と言われて呆れられてしまったし、知り合った後に仲良くなってからこのことを話したら太陽には優しいと褒められ好かれてしまい、なんだか複雑な気分だった。
ただ猫が好きだっただけで太陽含め色んな人と出会えた、と考えれば怪我なんてどうってことなかったから結果的には猫も助けられたし一石二鳥だったのかな。
『私は、太陽の匂いも好きだよ。』
驚いた顔をしてからありがとうとふんわりとした笑みを見せて、緩められていた腕の力を再度ぎゅうっ、としてきた。
その仕草がなんだか愛おしくて堪らなくなる。やっぱり、太陽はかわいらしい、本人はその事を言うととても嫌がるけれどね。
「ねぇ、なまえ」
『なに?』
「キス、してもいい?」
いいよ。そう言ってから目を閉じると、すぐに唇に柔らかくてふにとした感覚があった。久しぶりだったけど、相変わらず太陽のキスは優しくて温かい。
唇が離されて、目を細めながら笑った太陽の顔が見えた。「なまえ、好きだよ。」耳元で囁くように言われ、くすぐったいと思いながら「私も。」と返す。
好きじゃなかったらマネージャーの仕事だって沢山あるのにほぼ毎日此処まで来ないっていうの。
太陽に再度キスを要求されそれに応えて、恥ずかしい気持ちもあるけれど結局は流されてしまうから私もとことん弱いもんだと自覚する。
でも、好きだから良いかな、なんてね。
title byフォルテシモ
2012.07.10
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