「おらぁ!」

 ただ今の時刻は午後5時15分。○○は時計と睨めっこをしながら、鍋の中のチョコレートを力強く掻き混ぜていた。

 大好きな人にあげるバレンタインのチョコレート。しかしながら、自分の大好きな人はチョコレートよりもバナナの方が貰って嬉しいのではないか。バレンタインに乗じて、どこの店もチョコレートの値段が上がっている。はっきり言うと、バナナの方が圧倒的に安い。大好きな人が喜ぶのなら、チョコレートじゃなくてバナナを贈ろうではないか!そう思いバナナを大量に買ってきたのだが・・・。

「やっぱり・・・チョコの方がいいのかなぁ・・・?」

 疲れて帰ってきたクリスに、「お疲れ様!」なんて言って渡したら、あの素敵な笑顔を見せてくれるだろうか。それとも、大量のバナナを見せて「一緒に食べよう!」って言う方が、あの優しい笑顔を見られるだろうか。

 ○○は悩んだ。しかし、バレンタインは年に一度しかないのだ。ならば、やっぱりここはチョコレートを渡そうではないか!

 時計を見ると、時刻は4時半である。○○は近くのスーパーで、普通のお菓子コーナーにある、バレンタインの影響を受けていない一番安い板チョコを大量に買う。この板チョコを溶かし、クッキー用のアルファベットの型に流し入れて、『CHRIS』の文字でもたくさん作ればいいの思ったのだ。しかし、チョコレートをわざわざ溶かしたことなんかないから、失敗する分も含め大量に買う。

 クリスが帰ってくる前に、チョコレートを完成させたい!

 そう強く思う○○は、エプロンをして冒頭の掛け声に至る。

 チョコレートが早く溶けるようにと、○○は、鍋の中に入れた板チョコを力強くヘラで叩き、超高速で掻き混ぜる。鍋の中でぞんざいな、そして、激しい扱いを受けるチョコレートは、だんだんとその姿を変え、ホイップクリームのようになりつつあった。

「まだだ!おらぁ!」

 激しい動きを増した、鍋を掻き混ぜる○○の腕と、力をこめる体。

 今の○○の姿を10メートル離れた所でビデオ撮影したなら、10倍速の阿波踊りとぴったり合うに違いない。

「あっ!!!やばっ!チョコがなくなってきてるっ!!!」

 どうやら、凄まじい勢いでチョコレートが周りに飛び散っていたようである。しかし、今の○○にはこんな状況は何でもない。とにかく、クリスが帰る前に・・・!!

「ム〜ンッ!!」

 ○○は、何枚かの板チョコの包みを荒々しく引き千切ると、鍋の中にぶち込んだ。大丈夫、チョコレートは大量にあるのだ。




 どれ程の時間、チョコレートを掻き混ぜていただろうか。○○の額からは汗が流れ、その汗がボウルの中に次々と入っていた。もちろん、本人はこのことに気付いていない。

「はっ!時間は!?ええっ!もう6時半!?早くしないとクリスが返って来ちゃうよ〜!もう、型に入れるの止めて、このボウルのまま生チョコにしよう!今から冷やしても固まらないし、これが本当の“生チョコ”だよ!よし!これでいこう!」

 溶かしただけのチョコレートを本当の生チョコだと言い張る○○。しかし、このチョコレートには○○の「安いチョコで!」という情熱と、「クリスの笑顔が見たい!」という心からの気持ちと、○○の汗とがたくさん入っている訳で、あながち、色々な意味で“生チョコ”と言うのは間違っていない。・・・正確には“生々しいチョコレート”だが。

 ○○がガスを消して鍋を冷まそうとした時、玄関が開く音が聞こえた。

「ただいま」

 いつもと変わらないクリスの優しい目が、キッチンに居る○○を見つけた。


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