あんたが嫌がったり怖がったりすることを俺は絶対にしないから
―Snipe Of Love―

 目の前に桜が広がる公園には入らずに、ピアーズは駐車場の隅へと向かう。○○が後ろからその様子を窺えば、彼の前には草木に隠れた階段あった。

 少し離れた所にある外灯によってうっすらと浮かび上がる、草木が伸び放題の中にある傾斜の急な階段。

 隣町にある桜の広がるこの公園は知っていても、この階段は○○は知らなかった。

「足元、気を付けて」

 ピアーズは、心配そうな表情を浮かべる○○にそっと手を差し出した。

 戸惑いながらも○○が手を重ねると、ピアーズはゆっくりと階段を上り始める。

 月明かりによってでしか確認することのできないその階段を進んで行く。階段の上部に差し掛かると、小高い丘が見えてきた。

「ねぇ、二ヴァンスさん・・・!一体どこに・・・っ」

 いい加減、どこに行くのかくらい教えてくれてもいいのではないか。○○はいよいよ不安な表情になる。

「ここだよ」

 握った手はそのままに、ピアーズは○○を見つめた。

「ほら・・・向こう!見てみろよ!」

「え・・・・・・?」

 ピアーズの指さす方へゆっくりと顔を向ける。

「わぁ・・・!!!」

 ○○が顔を向けた先には、公園にある沢山の桜が外灯によって映し出されていた。暗い夜の中に、白や薄桃の淡い色がほんのりと、それでいて美しく浮かび上がる。高い位置にあるこの丘は、公園の桜が一望できるのだ。

「・・・こんな隠し通路みたいな場所、知ってるヤツは殆ど居ないんだ。だから、特等席みたいなもんなんだ」

 ピアーズはそう言うと○○を見つめた。

「綺麗だろ、桜!夜のこの時間帯は特に綺麗なんだ・・・だから、この場所に・・・桜を見に・・・来たかったんだ」

 本当は、“あんたと来たかったんだ”と素直な心を言いたいピアーズ。しかし、それを口にすれば、聞かされた○○は返答に困るだろう。当たり前だ。最近やっと口を利いたくらいの男からそんな意味深な言葉を聞かされるのだから。

 今の時点ではまだ言ってはならないその言葉、“あんたと来たかったんだ”という言葉をピアーズはぐっと飲み込んだ。

「ごめんな。こんな時間に付き合わせて。2人だけで・・・行先も知らずに怖かっただろ」

 月明かりの下に2人。静かな夜にピアーズの声が優しく響く。

「こんな時間に男と1対1なんだ、誘った相手のことをあれこれ考えて警戒するのは当然だ」

「・・・二ヴァンスさん・・・!」

 またしても心を読み取るようなピアーズの言葉に、○○は何と返していいかわからず視線を泳がせた。

 ここに来る前に、自分の車に乗るのを躊躇っていた○○にピアーズは気付いていた。こんな時間帯に、しかも2人きりで行先も知らなければ、あれこれと心配して警戒するのは当たり前だ。また、そうでなければ困るとピアーズは思っていた。いずれ自分の彼女になる○○が、そういった警戒心もなしに生活しているのであれば、危険なこと極まりない。彼女を狙う輩は沢山居るのだ。そして、ピアーズのこの考えは○○だけに限ったことではない。身体を求めるだけの下衆な男だって居るのだ。「女はちゃんと警戒心を持たないと!」というのがピアーズの考えであった。故に、○○がピアーズのことを警戒していたことは彼にとって嫌なことではなく、寧ろ嬉しいくらいのことであった。

「最近やっと口利いたばっかりなのに、こんな風に付き合わせてホントごめんな。でも、もう少しすると桜も散っちゃうしな・・・」

 それに、○○がいつ店を早く上がれるかとか、いつ予定が空いているかなど、全く知らなかった。

 更にピアーズは続ける。

「でも」

 ○○は泳がせていた視線をゆっくりとピアーズへと向ける。そんな彼女をピアーズはしっかりと見つめた。

「あんたが嫌がったり怖がったりすることを、俺は絶対にしないから」

 ピアーズの言葉と共に、春の風が優しく吹いた。散り始めた桜の花弁がふわりと舞い上がり2人を包み込む。

 ○○はピアーズにどんな顔をしていいかわからなかった。自分は彼を警戒してあれこれと考えてしまったのに、そんな自分を気遣うように彼は「当然のことだ」と言ってくれたのだ。

「・・・・・・ごめんなさい、二ヴァンスさん・・・」

「何で謝るんだよ」

 俯いてしまった○○にピアーズは優しく笑い掛ける。

 謝る必要はないというようなピアーズの声色。

 ○○は顔を戻し苦笑して見せる。

「わ、たしが一緒じゃ・・・もったいないですよ、こんな綺麗な場所・・・!」

 そして目の前に広がる淡い桜の輝きに再び視線を移すと静かに言葉を発した。

「一緒に来る人なら他に幾らでも居るでしょうに・・・」

 ピアーズにとって、この場所に一緒に来たい人物など1人しか居ない。しかし、やはりそれはまだ言ってはならない。“居ねぇよ、あんたしか・・・”そう言いたくて堪らない言葉を、そう言って○○を抱き締めてしまいたい想いをピアーズは腹の中に納めた。

「そんなこと、ねぇよ」

 ピアーズはそう言うと息を深く吸い込み、○○の横顔を見やる。

「教えてくれないか?あんたのこと」

 知りたかった。○○のことが。店で見て彼女を知った部分もあるけど、知らない部分も多いのだ。今日だって行先を言わなかったのは、驚く○○を見たかったから。そんな風にして、どんなに小さいことでも彼女を知りたかった。

 ゆっくりと、○○がピアーズを見つめる。

 “教えてくれないか?あんたのこと”これは、○○にも当てはまることだった。○○だってピアーズのことをよく知らない。

 ピアーズはジャケットのポケットに手を入れると、一枚の紙切れを取り出した。

「俺の・・・携帯の番号とアドレスだ・・・!」

 ○○はその紙をゆっくりと手に取ると、再びピアーズを見やる。

「あんたの携帯のは・・・あんたが俺に“教えてもいい”って思ったら教えてくれればいいから」

 ピアーズは微笑むと、ちらりと腕時計に眼をやる。時刻は11時を少し過ぎていた。

「そろそろ帰るか?」

「二ヴァンスさん!」

 来た道を振り返るピアーズに○○は口を開く。

「二ヴァンスさん!・・・もう少しだけ見てちゃ・・・ダメ・・・ですか?」

 どうしてかわからないが、もう少しこの景色を見ていたいと○○は感じた。階段を上る前から彼に握られていた手のことも気にならない程、時間が早く感じた。

「いいぜ」

 ピアーズは一瞬驚いた顔をするも、すぐに笑顔へと変わる。

 ○○に気付かれないように、ピアーズは握ったままの彼女の手に少しだけ力を込めた。


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