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諸伏景光は逃れられない
萌え 2019/10/28 00:06


・景光さんと麻衣兄さんの同居シリーズIF
・もしジンニキに連れ回されてる版麻衣兄だったら
・蛇人間(弥蛇山教授)が出る(蛇は謳歌すると関連)
・景光さん視点





 それは梅雨の終わり頃。米花町にある古本屋でのバイト中で、まばらだった客がちょうどはけたタイミングだった。

「髪の色を変えたのか、猿」

 本の並びを直していた時に唐突に声を掛けられ、景光は目を瞬かせた。猿、と呼ばれたのが自分だとすぐには認識できなかったのだ。振り返ると、そこには景光と同年代の男が立っていた。黒髪黒目で整った顔をしており、長身痩躯に上品なトラッドスタイルがよく似合っている。しかし、景光を見つめる顔は無表情に近く、どこか面倒そう、あるいは不満そうな様子すら窺わせた。

「私の知る中では一番礼儀がマシな奴であるのは、せめてもの救いといったところか」

「……お客様、何か御用でしょうか?」

 尊大な態度の男に眉一つ寄せず、景光は微笑みすら作って見せた、が。

「顔を貸せ、猿。それとも――スコッチと呼んでやった方がいいか?」

 ――瞬間、一気に景光の脳が最警戒に切り替わった。極度の緊張と集中で瞳孔が散大し、口角が上がり冷たい笑みを作り出す。スコッチ。黒ずくめの組織の元幹部(ネームド)で、気さくな雰囲気の男だが笑顔のまま標的の頭を撃ち抜く狙撃手。狙撃の腕はトップこそライに譲るものの十分に優秀で、狙撃手の中では最も人ごみに紛れるのが上手く他人に警戒されにくい殺人者。そういう男の人格を久し振りに表に出し、緑川唯を脳の底へ沈めていく。

 瞬き一つの間に現れたスコッチ(犯罪者)は、冷笑を浮かべたまま手にしていた本の背表紙を指先でなぞった。密室でもなんでもない場所でコードネームを呼ばれれば、いくら気さくな男とて笑みは冷たくなるものだ。スコッチとしておかしな反応ではない。客が誰もおらず、店主である老夫婦も昼休憩で店舗から繋がる自宅にいたことが幸いだった。

「……仕事中、という言い訳でも待ってくれないよな?」

「貴様の都合など私には関係ない」

「……分かった。少しだけ待ってくれ。すぐに出る」

 逃げようかと考えたが、わざわざ真正面から景光に接触してくるくらいだ。既に麻衣と同居していると知っている可能性は高い。下手に景光が逃走した場合、麻衣が危険に晒されるかもしれない。彼女が人質として機能する程度には景光には警察官としての良心があったし、彼女に対して保護者としての純粋な好意があった。だから、逃げるという選択肢は実質不可能である。景光は住居側にいる老夫婦に外せない急用ができたことを告げると、エプロンを外して素早く身支度した。更に警視庁公安部の佐枝に現状を端的に伝えるメールを送信し、送信履歴を消して再び店舗へ出た。メールを送った時点で、景光は声を掛けてきた男の名前を思い出していた。公安刑事は自身の身バレを含めた情報漏洩を極力防ぐため、メモを一切取らない。そのため、一定以上の記憶力が必須となるが、当然それが備わっている景光の記憶の中に男の情報が残っていたのだ。それも、組織の構成員時代のものとして。

 男の名前は弥蛇山(みだやま)要(かなめ)。東都大学の若き薬学教授で、黒ずくめの組織に目をつけられる程に優秀だ。スコッチとして直接対面したことはないが、バーボンとライと共に彼の研究室に行ったことはある。確か、景光達の前にジンとウォッカが教授を組織の一員にと勧誘しに行ったが袖にされた挙句に不興を買ったらしく、物騒な警備システムに殺されかけたらしい、と聞いている。どこまで本当かはバーボンでも探れなかったが不興を買ったのは確かであり、景光達はご機嫌伺いの名目で送り込まれたのだ。景光達は教授と最後まで対面できずに壁越しの会話となったが、教授はカメラでこちらを見ていたのだろうと思われるので顔は割れている。先程、一番礼儀がマシと言われたのは、あのスリーマンセルの中では最も癖がなさそうで、なおかつ物腰柔らかな応対をしていたからだろうか。……単純に、キャラ的に如何にも口が上手そうに見える(実際に上手い)バーボンと、その真逆でぶっきらぼうなライ、論外のジンとウォッカの中では最も地味なだけかもしれない。スコッチのキャラとて、普通っぽい顔でそのまま銃をぶっ放すという割かしヤバい奴設定ではあるのだが。いや、組織の幹部にヤバくない奴がいるはずもなかった。

 その後の探り屋バーボンの調べでは、弥蛇山一族の男は揃いも揃って優秀らしく、それぞれ分野は違えど一角の人物が代々続いているという。そのため、弥蛇山要よりも前の世代から目をつけられてはいるらしいが、一度も組織に与することはなく、かといって警察の捜査協力をするわけでもない、何とも言えない一族のようだ。平然と人を猿呼ばわりする目の前の男を見るに、人嫌いの要素が強いような気もする。そういえばバーボンたちと共に会いに行った時も猿と呼ばれたし、ジンやウォッカのことをクソ猿だのなんだのと散々こき下ろしていた。後者に関しては後日、バーボン共々ものすごく同意した。

 ひと気のない場所に連れていかれるかと思っていたが、弥蛇山に先導された先は落ち着いたレトロな雰囲気の喫茶店だった。昼時のため、ランチ目当ての客でにぎわっていたが、お誂え向きのテーブル席が一つ空いている。弥蛇山はさっさと店の隅にあるテーブル席に座ったため、景光もそれに倣う。先に座られたため、対面側にある壁を背にした席に座るしかなくなった。席を立つには弥蛇山の脇を通り過ぎなければならない位置である。だがさすがに、人目のある店舗内でこちらを殺す気はないだろう……と思いかけた景光は、沈痛な面持ちの麻衣の言葉を思い出した――“米花町は犯罪魔境都市、日本のヨハネスブルグですよ”。

 二人分のコーヒーを勝手に注文した弥蛇山は、テーブルに肘をついて手を組んだ。にぎわう店内は、雑音に紛れて話をするにはいい場所だった。弥蛇山は剣呑な表情を浮かべて口を開いた。

「貴様、私の妻と同居しているようだな。猿の分際で、手を出していないだろうな」

「…………は?」

 スコッチとして黒ずくめの組織のことを追及されるかと思っていた景光は、謎の言いがかりに目を瞠った。まるで心当たりがない。

「オレは人妻と同居なんてしていないぞ」

「谷山君と同居しているだろうが。しらばっくれる気か?」

 景光は一瞬頭が真っ白になりかけたが、無理やり思考を巡らせた。彼女と景光は互いの秘密を許容する仲だが、そんな話を聞いた覚えはない。

「……麻衣ちゃんは未婚だし、恋人もいないはずだ」

「下の名前で呼ぶな馴れ馴れしい」

「うーん……?」

 景光は首を傾げ、少し考えてから答えた。

「あー……。谷山さんは人妻じゃないし、オレもあの子と付き合っていない」

「指一本触れていないだろうな」

「不埒な気持ちで触れたことは一度もない」

 触れたこと自体はあるが、下心剥き出しでどうこうしたことは全くない。あったら景光は幼馴染に肉体的に殺されるし、恐らく麻衣自身の“いてつくはどう”で心を殺される。

 ひとまず景光がしっかりと否定したことで、弥蛇山は少し落ち着いたらしい。それを逃さず、景光は逆に質問した。

「それで、妻というのは?」

「未来の妻ということだ。今年でめでたく16歳になるので、晴れて結婚する予定だ」

 おかしい。景光はすぐにそう思った。麻衣に将来を約束している相手がいるのなら、住居を失った時点で頼っているはずだ。仮に、景光と同居し始めた以降に出会っていたのだとしても、それならば恋人でもない男と同居を続ける様な性格ではない。景光は嫌な予感に襲われ、恐る恐る尋ねた。

「……ちなみに、谷山さんの同意は」

「…………口説いている最中だ」

「それは結婚の約束なんてしていないってことじゃないか?」

 景光の心の中で麻衣が全力で頷いていた。脳内の彼女は「付き合う時間があるならバイト入れます」としょっぱいことを言っている。恐らく実際に言うだろう。彼女はそのくらいの恋愛フラグクラッシャーだ。生活の余裕のなさと襲い来る数々の変態のせいで、甘酸っぱい恋愛を道端に捨ててしまったのだ。変態のフルオープンにされた局部を真顔で見つめ、「今更夢も希望もないです」と言い切った彼女の姿は記憶に新しい。ちなみにその変態はもちろん通報してお縄にした。性癖をどうにかするまで外界に出てこないで欲しい。

「つい最近は、愛情のこもったサンドウィッチを届けてくれた。これは結婚まで秒読みに違いない」

「それ、臨時で宅配のバイトをした奴だよな」

 弥蛇山の挙げる親密アピールは予想以上に痛々しい。

「“自分はデリヘルではない”と恥じらう程度には仲が深まった良い思い出だ」

「間違っても仲は深まってないし、高校生にそんな単語を言わせないでくれ……!」

 景光にはすぐに分かった。実際の麻衣は恥じらうどころか、ゴミを見るような眼差しを弥蛇山に向けていたのだろうと。だがあのあどけない顔でデリヘルとか言わないで欲しい、と景光は心底願った。恐らく願いは叶わない。

 弥蛇山の提供する話題の酷さが深まり、スコッチの皮が剥がれてきた気がする。しかし突破口が見つからない。そもそも、スコッチはこんなアホな会話をするキャラではない……というより、こういう話題を提供する人間がスコッチの周りにいなかった。物騒だったりポエムだったりはするが。

 コーヒーが二人分給仕される。弥蛇山は鼻を鳴らしてそれを一口飲んだので、景光もそれに倣ってほぼ同時にカップを手にした。もちろん、飲むふりをするだけで実際は口にしない。だが、飲むポーズは見せておいた方が角が立たない上、同じタイミングで飲むという行為はミラーリング効果で相手からの親近感を誘いやすい。この場を穏便に収めたい景光にとっては、やっておいて損はない行動だ。

 しかし、一口二口とコーヒーを飲み進めた弥蛇山は、景光のカップの中身が減っていないことに気付いて片眉を上げた。

「なんだ貴様。私のコーヒーが飲めないとでも言うのか」

 酒癖の悪い酔漢の絡みか、と思った景光だが、そう言われると飲まないわけにもいかない。仕方なく一口飲むと、弥蛇山は溜飲を下げたらしく自分のカップをソーサーに乗せ、頬杖をついた。

「ともかく、貴様が死のうが生きようが私には関係ないが、谷山君にだけは迷惑を掛けるなよ。ただでさえ、一時期は白髪の猿が彼女を連れ回していたというのに」

「待ってくれ。白髪の猿ってまさか……」

 一つの可能性に思い当たった景光は顔を青くした。白髪、もとい銀髪と聞くと思い浮かべる男が一人だけいる。それはとびきり最悪の部類に入っていた。そして弥蛇山は、景光の想像を否定しなかった。

「ふん。あの無礼な猿共は、谷山君を便利に使っているからな。そろそろまた連れ出しに家に現れるかもしれんぞ」

「どういうことだ……!」

「……貴様、白髪の猿の行動を知らないのか。同じ猿山で餌を貪っているものかと思っていたが……」

 弥蛇山は少し考える素振りをしてから再度口を開く。

「さては貴様、あの猿山から足抜けしたな? 猿にしては賢明な判断だ」

 ニヤリとした弥蛇山は、「まあ足抜けしようがしまいが、猿の顔など全部同じに見えるが」と嫌味全開の一言を付け加えた。ここまで徹底して他人を猿扱いする尊大極まりない男が、麻衣にだけ執着するのは奇妙だ。景光は直感で、その理由は麻衣の隠し事と関連しているのだろうと推測した。

「気が変わった。谷山君の肉壁になるのなら、貴様が身を隠す手伝いをしてやろう」

「にくかべ」

「頭が足りなくてもそのくらいはできるだろう? 私の妻を守れ」

 なんだかんだで生まれてこの方二十数年、頭が足りないという評価をされたことはない。ここまで徹底して罵倒されると、いっそどうでも良くなってくる。ついでに喉が渇いてきたので、更にコーヒーを飲んだ。

「谷山さんを守ることに異議はない」

 言った後で、それはスコッチのセリフではないと思ったが、出した言葉は戻らない。それに、スコッチらしくはなくとも弥蛇山のお眼鏡には適ったらしい。彼は今までで一番愛想のいい笑顔を浮かべた。

 ――そうして、退店する頃には二人分のコーヒーは空になっていた。





 交換したアドレスが映ったスマホを眺めながら、景光は一人で通りを歩いていた。いずれジンとウォッカが接触してくる可能性が高いのなら、協力者がいるに越したことはない。何の備えもなく景光が彼らと接触してしまえば、今度こそ確実に殺されるうえ、残された麻衣がどんな目に遭わされるのか分かったものではない。連れ出されては家に戻されるという今までの状況も異常だが、景光との繋がりを知られたら拉致されて外界と隔離されてしまうかもしれない。そうなれば、警察の目は届かなくなってしまう。佐枝も案件違いで追い切れないだろうし、下手をすれば彼まで殺されてそこから日本警察の情報を抜かれるかもしれない。恐ろしい想像だった。弥蛇山と結託すれば、その可能性を少しでも減らせるのなら悪くない話だ。

(弥蛇山の麻衣ちゃんに対する気持ちは本物みたいだし、少しは取りなしてやった方がいいのか……?)

 悲しくなるほどスルーされまくっているが、結婚を望むほどの気持ちがあるのは嘘ではないようだ。協力してくれるというのなら、多少はフォローをしてやるのも人の道というものだろうか。

 そんなことを考えていた景光の視界にコンビニが目に入った。その前を通り過ぎようとした景光は、しかしギリギリで立ち止まる。

(……コーヒー、飲んじまったな。吐き出した方がいいか……?)

 気持ちは吐き出す必要がないという方向に傾いている。しかし景光は公安の捜査官だ。安全性が確保されていないものを腹に収めたままというのはあり得ない。

 数秒その場で考え込んだ景光は、結局コンビニに寄ることにした。そこでミネラルウォーターのボトルを購入し、近くにある公園の公衆トイレで水をたらふく飲んでは喉奥に指を突っ込み、強引に胃の中身を吐き出す。ボトルが空になる頃にはかなり体力を消費していたが、頭はすっきりしたような気がした。

 景光は公衆トイレから出ると、冷静になった頭で状況を整理する。

(……いやいや、取りなすなんてあり得ないだろ。年齢差もあるし、組織と絡みがある時点で危険な男だし、麻衣ちゃんにとっていいことなんて財産くらいじゃないか)

 組織の件は伏せて麻衣とじっくり話をしよう、と決意した景光は家路につ……こうとして、バイト途中だったことを思い出し慌てて踵を返したのだった。



+ + +



終盤で考えがコロコロする景光さん:支配血清(経口摂取版)のせいです。無意識に蛇人間(弥蛇山)にとって都合のいい言動をとってしまうという嫌すぎる効果。早い段階で軽く胃洗浄したお陰で、効果がすぐ切れました。そもそも、ランチでにぎわうお店で目立たなくて都合のいい席だけが空いてる状況も不自然だし、景光さんの目の前で何の素振りも見せていないのにコーヒーに薬が混入しているので、あの喫茶店の店員は既に弥蛇山の手中に落ちてます(店員に自覚はない)。

弥蛇山はガンガン洗脳して駒にする気満々+そのうち引っ越し先を突き止める&ヤバいことに巻き込まれてジンニキがやってくるフラグがビンビンなので、景光お兄さん頑張れ本当に頑張れ。



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