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諸伏景光は物件選びで躓く−下
萌え 2019/06/21 23:31


・景光さんと麻衣兄同居シリーズ続き
・景光さん視点
・元ネタはネット上の怖い話
・景光さんはやたらと引き当てる設定
・グロテスクな展開になります





 全身を包む寝具の肌触りは最高だ。数日振りのまともな寝床である。新生活二日目できちんと掛け布団やら何やらを買っておいてよかった。景光はそんなことを現実逃避気味に考えた。間違いなく、今の景光は疲れている。こうなったのは疲れで判断力も口数も減ったせいだと言い訳している、自分自身に。

(東都青少年の健全な育成に関する条例……いやいやこれは不可抗力であってオレは引っかからない)

 景光のすぐ隣では、肩が触れ合う距離で麻衣が寝息を立てている。彼女が誘った側とは言え図太過ぎないか、と物申したい。いや、だからこそ一緒に寝るなどという提案がでてきたのだろうが。クマが出来た目でぼんやりと天井を見つめている景光一人が馬鹿を見ているようだ。

 もちろん、景光は抵抗した。景光はベッドに入る前のやり取りをぼんやりと思い返す。

「シングルですけど、詰めれば入りますよ」

「いや、一緒に寝るわけには」

「じゃあ自分が床で寝ます」

「それは駄目だって」

「ああもうこの睡眠不足ゾンビは」

 恐らくどちらも予想していたが不可避だった押し問答に、麻衣は面倒臭そうにため息をついた。そして彼女は景光の顔を両手でがしりと掴み、真正面から見上げたのだ。ところでゾンビと言われるほど、景光の顔色は良くなかったのだろうか。

 こちらを見る彼女が不意に見せた顔は、どこか同年代の青年のようだった。ラフな言葉遣いで、男っぽい。

「別に恥じらうような間柄じゃないだろ? あなたは“お兄さん”なんだから」

 引っ張り出されたのは、冗談交じりで交わした“設定”だった。意図して染めた景光の髪色は、麻衣のそれよりは濃いが似た色で、隣の住人に挨拶した時だって兄妹だと言い張った。景光は実の兄を尊敬しているし、好きだ。兄から与えられた家族愛を真似て、目の前の一人ぼっちの少女に与えることで、自分が今まで与えられてきた愛情を還元できるような気がしていた。兄のようになりたかった。

 けれど、これではむしろ。

「違うか?」

「……違わない」

「じゃあ問題ないだろ」

 麻衣はにかっと笑うと、顔を掴んでいた手を放してわしゃわしゃと景光の髪の毛を雑に撫でた。彼女はどうやら肌の接触に忌避感は覚えないらしいので、母親が亡くなるまではスキンシップが多い家庭だったのかもしれない。笑顔が妙に頼もしく、景光は少し呆然とした。

(……本当に兄属性だ)

 彼女の謎の自己申告が急に信憑性を帯びてきて、景光はうっかり頷いた。兄を素直に信じる弟属性を発揮して頷き、今に至る。

 しかし兄属性が本当らしかろうが何だろうが、実の兄ではないし、未成年の少女であることに変わりはない。添い寝することへの居た堪れなさはすさまじいものがある。

 そもそも、女性にハニートラップ……ならぬロミオトラップを仕掛けて情報を掠め取るのは、潜入捜査官として訓練を受けている景光にもできる。できるが、得意かと言われれば決してそうではなく、むしろそれは幼馴染の領分だ(あの彼は優秀なので、そもそもそこまで持ち込まなくても情報収集できるのだが)。それでも女性への耐性はそれなりにあるので、行きずりで、その場の流れで、などといった軽率な判断ミスは決してない。だがそれとこれとは別だ。そもそも任務ではないし、相手はこちらに親切な女子高生(入学式はまだだが法的には高校生である)。共寝する崇高な目的などなく、睡眠不足の景光にベッドを半分明け渡してくれる優しい少女だ。大義名分に欠けると、途端に余計な要素が景光の感覚を支配した。

(髪からいい匂いがする……シャンプー何使ってるんだ……? ってオレと同じだろ!!)

 年頃の少女は気にしそうなものだが、麻衣からの提案で金の無駄だからと、二人はシャンプーもボディソープも同じものを使っている。どんな香りも何も、同じ香りである。しかし同じ香りがすると考えると、それはそれでいかがわしい気分になってしまうのは悲しい妄想力だった。

(ついこの間まで組織で死ぬか生きるかの瀬戸際だったのに、今は年下の女の子と添い寝って……嘘みたいに平和だよな)

 無理やり気持ちを切り替え、深いため息をつく。未来などないはずだった自分が、こんなことで一喜一憂しているなんて贅沢に過ぎる。麻衣の親切心に応えるべく、溜まった疲労を解消しなければならない。どこで寝ようが、寝ることに変わりなどない。

(あの頃は……寝るだけでも楽しかったな……)

 学生時代の、警察学校時代の同期たちの思い出がふと脳裏を過ぎる。もう二度と戻って来ない日々だ。隣の温もりがとても貴重なものに思えてきた景光は、瞼を閉ざして天井を見つめるのをやめた。久し振りに、昔の夢を見られる気がした。





 結局、夜中にソファで寝なければ異常は起きないと判明したため、次の日から景光は床で寝ることにした。ベッドの寝心地は良かったが、添い寝が常態化するのは良くないだろう。せっかくの2DKなので、自室の床に転がることにしたのだ。

 それからは何も起きずに丸一日ほど経った頃だった。本屋に行ってくると部屋を出た麻衣がすぐに戻って来た。時間的に、廊下に出てすぐ戻ったのだろう。雑に靴を脱ぎ捨てて景光に駆け寄って来た麻衣は、ひどく顔色が悪かった。

「麻衣ちゃん? 何かあったのか?」

 求人情報誌を眺めていた景光はすぐさま雑誌を放り出し、懐の拳銃の位置を確かめた。弾は残っていないが威嚇にはなる。“万が一の事態”で麻衣を連れて逃げる際、邪魔にはならないだろう。すると、麻衣は「ちょっと来てください」と言って景光の袖を引いた。廊下で何かトラブルでもあったのかもしれない。組織が絡んでいる可能性を頭の隅に置いたまま、景光は彼女に連れられて玄関先の廊下へ出た。

 部屋の外に出た瞬間、景光はすっと目を細めて足を止めた。嗅ぎ慣れたくはない、しかし知っている匂いが鼻に届いたのだ。麻衣が顔色を悪くしてとんぼ返りした理由はこれだろう。

(この独特の腐敗臭……まさか、近くに死体が!?)

 景光は職業上、死体の腐敗臭を知っていたし、麻衣がそれを知らざるを得ない状況を経験してきたことも察していた。明言こそしないものの推測できたため、麻衣は不安げな顔で景光を頼ったのだ。そうでなければ、異臭がしてもここまで酷い顔色をすることはない。

 臭いの元は隣室だった。部屋の住人とはおとといに顔を合わせたきりだ。その間に何かが起きたのだろう。景光は酷い臭いに顔を顰めながらインターホンを鳴らした。数回鳴らしたが応答がない。すると麻衣が「大家さんを呼んできます」と言って駆け出して行った。景光は咄嗟に引き留めようとしたが、異変が起きた部屋を放置するのも気が引ける上、彼女を置いて自分が大家に鍵を借りに行くのもしたくないので、大人しく麻衣の帰りを待つことにした。

 数分後、麻衣は大家を伴って戻って来た。二階の廊下に踏み入るなり大家は顔を顰める。そして景光がしたように何度もインターホンを鳴らし、さらに隣人の携帯電話にも連絡を入れた。しかしやはり反応が全くないため、大家は合鍵を使ってドアを開けた。

「麻衣ちゃんは入らないで」

 この先、恐らく死体がある。それもある程度腐敗したものだ。彼女に見せたくはない。自分たちの部屋の玄関ドアの前に待機しているように伝えると、麻衣は少し逡巡してから頷いた。

「……気を付けてください」

 それに頷いて答えた景光は、大家と共に隣室へ踏み込んだ。

 部屋の中は廊下の比ではない程、強い悪臭がした。髪や服に臭いが染みつきそうなほど酷い。これは確実に“ある”。

「うわぁっ!?」

 ダイニングに入るなり、大家が悲鳴を上げる。ダイニングの真ん中には、うつ伏せで倒れたままこと切れた小太りの男の死体があった。死体は腐敗が進んでおり、真夏の炎天下で一週間放置したような状態だった。崩れつつある両手には、細い針のようなものが握られていた。

(腐敗が酷いな……この分だと死因が特定できるかどうかも怪しい)

 死因も気になるが、それ以前にこの酷い腐敗状態が気になる。この部屋の男と景光はおととい廊下ですれ違っている。おとといまでは確実に生きていたのだ。つまり、丸一日の間に死体になり、腐ったことになる。たったそれだけの時間で、大して高くない室温のこの場所で、ここまで腐敗が進むのは明らかに異常だ。

 さらに大家が死体以外に何かを見つけたらしく、哀れっぽい悲鳴を上げる。大家の視線につられた景光は、右側の壁の異常に気付いて目を瞠った。

 壁の中心部分に、直径1mほどの範囲で無数の針が刺されていた。それも、呪だの殺だのという物騒な殴り書きと共に。茶色く変色した文字は、血で書かれているのかもしれない。景光は自然と自分の背中に手が行くのを止められなかった。針が刺されている壁の向こう側にあるのは、景光が寝ていたソファのある位置だった。





 その後、泡を喰った大家が警察を呼び、隣室の男は不整脈による突然死として処理された。外部から侵入された形跡はなく、まさに男が突然死亡したようにしか見えなかったのだ。異様な腐乱状態については解決されないまま、この件は迷宮入りとされた。

 景光は少しだけ悩んだが、自身の部屋で起きている現象と無関係とは思えなかったため、麻衣にかいつまんで状況を伝えた。すると彼女は、顔を顰めて壁を見やった。小太りの男が住んでいた――針を無数に刺していた壁の方だ。

「人を呪わば穴二つっていう言葉もありますし、そういう意味で何かあったのかもしれないですね」

「何か、か」

 麻衣は何かを悟ったような、苦い表情をして景光を見上げた。

「唯さんがそのソファで寝るのをやめたのっておとといですよね」

「ああ」

「お隣さんが亡くなったのも、同じくらいですよね」

「……ああ」

 嫌な一致だ。麻衣は顎に手をやり、思い出す顔になった。

「大家さんにちらっと聞いたんですけど、今までの住人の人って、みんな病院送りになってから引っ越してたみたいです。我慢強かったんですかね」

「オレはそうなる前に、夜中にソファを使うのをやめたんだよな」

 イレギュラーと言えるだろうか。それが隣人の死を招いたのかもしれないと想像しかけた景光は、内心で首を横に振った。こんなこと、ただの推論であって根拠はどこにもない。隣人は突然死を迎えた。壁に針が刺されていた。それだけだ。……世の中、科学だけでは証明できないことがあると知ってしまった身の上ではあるが。

「……あれ?」

 その時、再び壁に視線を戻した麻衣が首を傾げた。

「唯さん、あの位置に染みなんてありましたっけ?」

 言われてみると、白い壁の中央にうっすらと茶色い染みのようなものが浮かび上がっていた。





 ――三日後。相変わらず床で寝る毎日だが、景光はとあることを強く決意していた。きっかけはいくつもある。異様な死を迎えた隣人がいる部屋の隣に、年頃の少女と共に住み続けるのはいかがなものかという考え。廊下に染みついた死臭が未だに消える気配のない事実。そして――壁に現れた染みが徐々に広く濃くなっていく奇妙な現象。特に最後が決定打だった。

 壁の染みが人型を取り始めた辺りで、景光は麻衣と手を取り合って決意した。

「引っ越ししよう」

「ええ、今すぐに」

 頷き合った瞬間、“隣の部屋”からバン、と強く壁を叩く音が聞こえたため、二人揃って飛び上がった。壁の方を見ると、いつの間にか誰かの手形が浮かび上がっている。それを見付けた瞬間、景光は今日からしばらくホテル暮らしに舞い戻ることを決めた。こんな部屋で気が休まるか。こんな部屋で一夜を過ごせるのは、メンタルゴリラの幼馴染くらいだ。いや、天パのサングラス警察官もイケるかもしれない。

 かくして麻衣の入学式前日に、景光は彼女を連れてホテル暮らしをしながら物件探しをすることになった。歴代住人に倣い、家具・家電は全て置いて行った。持ち出したら余計なものまでくっついてきそうだったからだ。景光も麻衣も、寝具を除いた私物はボストンバッグ一つに収まる範囲だったので、引っ越しは容易だった。

 ちなみに、次の住居候補の中には、部屋そのものは問題ないものの、左右上下の部屋全てで自殺やら殺人やら事故死が起きており、件の部屋で何かが起こればビンゴ達成というヤバすぎ物件が含まれていた。そのせいで景光は麻衣からしこたま怒られ、物件選びの主導権をもぎ取られることになる。





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付け加えて、部屋選び中の仮住まいのホテルでは、誰もいないのに部屋のドアがしつこくノックされる現象が起こる。散々。多分アレです、「誰もいないのにノック連打されたから、部屋に入れないようにドアは閉じっ放しだったぜ!→実は部屋の中から外に出ようとして誰かがドア叩いてたオチ」って話です。ネット上のネタ。
物件選びの主導権握る麻衣兄の心情は「もういい! お兄ちゃんが部屋を選ぶから!!」状態。発揮される兄属性。

逆なら自分もベッドを譲る麻衣兄:本来の自分と女の子という立場だったら俺も同じことしてるわという男のプライド的共感。なので、命の恩人うんぬんではない。

心は20歳の成人男性:ただの自白である。嘘ではない。

兄妹一緒に寝る状況:兄さんと麻衣ちゃん兄妹なら平気でやる。むしろ兄さんと親友の間に麻衣ちゃん挟んでも寝られる。謎の川の字。



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